青木 英孝【略歴】
青木 英孝/中央大学総合政策学部教授
専門分野 コーポレート・ガバナンス、経営学
本稿は、JSPS科研費15K03220の助成を受けたものです。(広報室)
現在、日本企業は1990年代の後半以来、再びコーポレート・ガバナンスの大きな変容に直面しています。2014年には責任ある機関投資家の行動規範である日本版スチュワードシップ・コードが公表され、コーポレート・ガバナンス元年と称される2015年には、コンプライ・オア・エクスプレイン・ルールによって社外取締役の設置を強く推奨する会社法が改正されるとともに、少なくとも2名以上の独立社外取締役の選任を求めるなどのコーポレートガバナンス・コードが東京証券取引所の上場規則として施行されました。これらの変化は、企業経営に対する機関投資家と社外取締役の重みが増したことを意味します。それでは実際、コーポレート・ガバナンスの在り方は、経営の意思決定にどの程度影響を与えるのでしょうか。
コーポレート・ガバナンスでは、企業という組織のトップに君臨し、実質的な意思決定の権限と責任をもつ経営者に対する規律づけメカニズムの有効性が重要な論点の一つです。例えば、業績悪化によって経営者が交代するという仕組みがあれば、経営者は放漫経営などせず、業績向上への努力を惜しまないでしょう。実際、先行研究ではこの関係が概ね確認されてきました。しかし、業績が悪くて経営者が交代するのなら、その前に経営戦略も変わるのではないか、と考えたのです。
さて、この戦略変更は誰が決めるのでしょうか。そう、経営者です。事業部レベルへの権限委譲が難しく、本質的にトップが担わなければならない意思決定の典型は、企業全体としてどの事業を保有するのかという決定と、部門間をまたぐ調整です。そして、この経営者による事業の“選択”(新規事業への進出と既存事業からの撤退)と、競争力ある事業へのヒト・モノ・カネなどの経営資源の“集中”の結果は、事業ポートフォリオの多角化に反映されます。
本研究のミソは、多角化の変化を経営者の戦略的意思決定の結果と捉えて、この意思決定に企業のガバナンス構造がどう影響するのかを検証したことにあります。例えば、企業業績の低迷は、戦略変更のプレッシャーを経営者に与えるでしょう。業績悪化に応じて戦略の見直しが行われている企業は、自律的なガバナンスが機能しているとみることもできます。
さてこの時、“もの言わぬ”安定株主が多ければ、経営者が感じるプレッシャーは緩和されるかもしれません。対照的に、“もの言う”株主が多い場合、あるいは取締役会に社外取締役がいる場合、経営者の感じるプレッシャーはより大きくなると予想されます。このように、伝統的な日本型ガバナンスの構造が経営者の現状認識の感度を鈍化させる一方、資本市場(株主)からの圧力と、戦略的意思決定とモニタリングの機能が強化された取締役会は経営者の現状認識の感度を鋭敏化させたのではないか、というのが仮説です。そこで、東証一部上場企業(金融を除く)の1990年度から2011年度までの22年間のデータを用いて、この関係をテストしました。
第一に、戦略変更は企業パフォーマンスの低下に応じてシステマティックに行われていました。したがって、企業業績が悪化すると経営者は戦略を見直さなければというプレッシャーを感じるといえます。
第二に、伝統的な日本型ガバナンスの逆機能が確認できました。大規模な取締役会と株式の相互持ち合いは、企業パフォーマンスの低下に感応的な戦略変更を阻害し、既存戦略の固定化をもたらす負の効果をもっていたのです。したがって、日本企業が戦略的意思決定機能向上のために取締役会のスリム化を進めてきた判断は合理的であったと評価できます。また、株式持ち合いによる安定株主の存在は、資本市場からの圧力を緩和することで、経営者に改革の必要性を低く見積もらせるといえるでしょう。
第三に、低パフォーマンス企業を中心に分析した結果、経営の規律づけ効果をもつガバナンス要因を特定することができました。社外取締役比率が高く、経営に対するモニタリングやアドバイスが機能していると思われる企業、および外国人株主や機関投資家といった“もの言う”株主の持株比率が高く、経営者が資本市場からの強い圧力に晒されていると思われる企業では、組織パフォーマンスの低下に感応的な戦略変更が促進されていたのです。
企業のガバナンス構造は経営戦略に影響する。これが基本的な結論です。ただし、以下の二点に注意が必要です。
第一に、企業のガバナンス構造は、常に経営戦略に影響するわけではありません。ガバナンスの影響が顕著に確認できたのは、1990年代の後半から2000年代の前半にかけてでした。この時期、日本企業のガバナンス構造は大きく変容し、経営者も新たなガバナンスのあり方を強く意識していたと推察されます。株式の相互持ち合いによる安定株主の存在とメインバンクによるモニタリング、そして大規模で内部昇進者優位の取締役会に代表される伝統的な日本型ガバナンスは、株式持ち合いの解消、外国人株主や機関投資家のプレゼンス上昇、取締役会のダウンサイジング、執行役員制度の導入による経営と執行の分離、社外取締役による監視と助言機能の強化など、新たな特徴を備えるようになったのです。しかも、この新しいガバナンス構造は、経営に対する規律づけがより強いという特徴をもっていたのです。
第二に、経営戦略に対するガバナンス構造の影響は、企業パフォーマンスが良好な時はそれほど明瞭に確認できるわけではありません。逆に言えば、企業業績が一定の水準に満たない場合に、ガバナンスの影響が顕在化するという特徴がみられました。コーポレート・ガバナンスの真価が問われるのは、業績が好調な時よりもむしろ組織に問題がある場合ですので、改革が求められる状況でガバナンスの影響を確認できた意義は大きいといえます。しかも重要な点は、企業業績が一定の水準に満たない場合、経営の規律づけ効果をもつガバナンス要因を確認できたことです。
日本企業のガバナンスに関しては、メインバンクの影響が後退したと言われて久しいですが、1990年代以降でも財務状態が芳しくない時に経営を規律づけるガバナンス・メカニズムの発現がみられたという事実は重要です。そしてその鍵は、資本市場からの圧力という外部ガバナンスと、取締役会のスリム化や社外取締役の採用といったトップ・マネジメントの構造改革による内部ガバナンスの強化にあったのです。なんだか現在の状況と似ているとは思いませんか?
※本コラムは、青木英孝(2017)『日本企業の戦略とガバナンス―「選択と集中」による多角化の実証分析―』中央経済社、の概要を紹介したものです。