トップ>研究>「アジア太平洋地域における法秩序多様性の把握と法の支配確立へ向けたコンバージェンスの研究」~リポートその1「そもそも、この研究では何をするのか」~
佐藤 信行【略歴】
~リポートその1「そもそも、この研究では何をするのか」~
佐藤 信行/中央大学法科大学院教授
専門分野 公法、英米カナダ法、情報法
「アジア太平洋地域における法秩序多様性の把握と法の支配確立へ向けたコンバージェンスの研究」は、2016年度に始動した本学の新しい国際共同研究である。本研究は、同年度に文部科学省が「私立大学研究ブランディング事業・タイプB世界展開型」に選定した23の研究の一つであり、法学分野の研究としては唯一のものとなっている。
本共同研究は、現在のところ2020年度までの5年度が助成期間として予定されている中長期プロジェクトであることから、今回を初回として、随時Chuo Online上で研究リポートをお届けすることとしたい。今回のテーマは、「そもそも、この研究では何をするのか」である。
法やそれよって形づくられる秩序というものは、実に多様である。これは、そもそも法というものが、社会ルールの一つであり、ある地域に生きる人々の生活や文化を背景としていることに由来している。ただ、こうした多様性は、時としてある方向へ収斂していくことがある。現在においては、経済分野で加速し続けている「グローバル化」が、こうした収斂を促している。国境を越えようとする経済活動にとって、国境を超えるたびに切り替わる法秩序は、時にコストを増加させ、時に活動自体を妨害する障壁だからである。
そこで生まれるのが、越境的経済活動単位と一致するように法を統一して、混乱を回避し、コストを削減しよう、という発想である。もちろん、これ自体は否定されるべきものではない。しかしその実現方法として、いずれかの国・地域の法システムやその背景文化を「正しいもの」「維持発展されるべきもの」とし、それ以外を「劣ったもの」として否定するならば、かえって混乱が助長されることになる。たとえば、「大国」が独占禁止法等の自国法をその主権管轄地域外でも適用する「域外適用」問題は、かねてより軋轢を引き起こしてきたが、近時では、マネーロンダリング規制、テロ対策、贈収賄、M&A規制等の新しいタイプの域外適用が問題となっている。
そこで、法秩序の多様性をまずは正しく認識し、それらに敬意を払いつつ、調和点を探し出して、安定的な法の支配を確立することが極めて重要となる。本研究は、こうした法発展を模索するものであり、その思いを込めて、「ユニフィケーション」や「アシミレーション」でははく、「コンバージェンス」という言葉を用いているのである。
日本の最高裁判決をヒントに、本研究の課題をもう少し具体的に考えてみよう。
1997年7月11日、日本国最高裁判所は、アメリカ合衆国カリフォルニア州裁判所の判決を日本国内で承認・執行することを求める請求について、その一部を認めないとの判決を下した。この事件は、法多様性の衝突の典型的事例の一つである。
事件のきっかけは、日本企業A社が、誘致施策を期待して、アメリカで工場操業を計画したが、結局これを取りやめたことである。この際A社は、地主との間で用地取得契約を結んでいたにも関わらず、撤退してしまったので、地主が損害賠償を請求したのである。訴訟はカリフォルニア州裁判所で争われ、同裁判所は、実損として42万ドル強を認めたほか、懲罰的損害賠償金(punitive damages)として112万5千ドルの支払を命じた。ただ、A社がアメリカ国内に資産を有していなかったために、原告は、A社の日本の資産からこれを得るべく、同州裁判所の判決(外国判決)を日本において承認・執行することを求める訴訟を、日本の裁判所で提起したのであった。
外国の主権に配慮して、外国判決は、その内容についての審査を行うことなく承認・執行されるのが原則である。ただし、「判決の内容及び訴訟手続が日本における公の秩序又は善良の風俗に反しないこと」(民事訴訟法118条3号)が必要であり、本件では、懲罰的損害賠償金という日本にはない制度の扱いが問題となった。
懲罰的損害賠償金とは、悪性の強い不法行為や契約違反に対して、実損額に加えて支払が命じられる、制裁的意味をもつ金銭であり、その活用は、アメリカ法の特徴の一つである。最高裁判所は、こうした制裁は刑事罰で行うのが日本の法制度設計であり、日本において懲罰的損害賠償金の支払を命じることは、公序良俗違反となるとしたのであった。
さて、ここまで読んだ方は、アメリカ(カリフォルニア州)法を押しつけ、日本法を否定しようとする試みを、日本の最高裁判所が拒絶し、日本法の多様性を守ったというストーリーと感じ取られたかもしれない。しかし、問題はそれほど単純ではないのである。この判決を逆にアメリカの視点から見るならば、自国法が一方的に否認されたともいえ、そこから日本法に対する「対抗措置」が議論されることになるのである。換言すれば、この最高裁判決は問題の終点であると同時に、次の問題の出発点になっているのである(なお、「次の問題」は、この判決の射程を拡張しようとする方向で現れることもある。日本の基準額を超える養育費の支払いを命じる外国判決は、公序良俗違反のため承認執行すべきでないとの主張がなされた事件は、その例である。ただし、裁判所はこの主張を認めなかった。東京高判平成27(2015)年5月20日)。
実際の問題連鎖の例として、アメリカ合衆国と韓国との間のFTA交渉とそれに基づく韓国著作権法改正がある。韓国も日本と同じく懲罰的損害賠償金制度を認めないが、米韓FTA交渉において、国境を越える著作権保護強化を狙うアメリカは、ここにその導入を主張したのであった。結果として、2011年の韓国著作権法で125条の2が挿入され、そこでは実損額ではなく、法定額内での相当な額の損害賠償金支払を命じることが認められた。この制度は、名称こそ懲罰的損害賠償金ではないが、その実質的機能は極めてそれに近いものである。
さて、この「決着」をもって、「アメリカ法の押しつけ」とみるべきであろうか? あるいは、韓国法とアメリカ法の相互尊敬に基づく調和点の設定とみるべきなのであろうか? もちろん、軽々に結論を出すことはできないが、この問いに答えるためには、米韓FTAや韓国著作権法の条文を表面的に見るだけでは足りず、その運用を含めた法実態を把握しなければならないことは明らかである。ここに、国際共同研究の必要性があるのである。
もとより、法多様性をめぐる課題は無限に広がっている。そこで、このプロジェクトでは、当面の研究対象地域を日本を含むアジア太平洋地域、とりわけ「日本、韓国、タイ、香港、シンガポール及びオーストラリア」の6とし、具体的な課題を「国際取引(契約)、紛争処理、データプライバシー」の3とした。研究手法としては、まず、それぞれの法秩序の多様性を明らかにするための質問票型調査を行い、その結果を格納するデータベースを構築する。そして、これを広く公開して、コンバージェンスのあり方を検討する輪を拡大してゆく計画である。また、法多様性の基底にある文化や社会構造を把握する研究を並行して行い、知らず識らずに、研究が「特定の法システムの押しつけ」にならないようにすることも重要であると考えている。
次回以降、具体的な事例を交えつつ、研究の成果をお届けすることとしたい。