トップ>研究>ひきこもり支援に取り組む岩手県洋野町との関わり
山科 満【略歴】
山科 満/中央大学文学部教授
専門分野 精神医学、臨床心理学
わが国では2000年頃からひきこもりに関するさまざまな調査が行われてきた。2010年の内閣府調査では全国に70万人のひきこもり者がいると推計されている。この数字には批判もあるが、家族会は独自の調査に基づき100万人超という主張をしており、内閣府調査は実態から乖離した数字ではないと考えるべきであろう。
近年、ひきこもり者の平均年齢が上昇しているという指摘が多い。ひきこもりは一旦陥ると容易に抜け出せないために、長期にひきこもった人が平均年齢を引き上げているものと考えられるが、新たに高齢(40代以上)になってひきこもり始める人の存在も指摘されており、両方の要素が関与しているものと思われる。以前は若者の問題であり家族が抱える問題と考えられていたひきこもりが、長期間を経て単身・高齢のひきこもりとなり、地域の問題として捉え直さねばならなくなったということである。
ひきこもりはけっして都市部の若者の問題ではない。町を挙げてのひきこもり支援で有名な秋田県藤里町は白神山地の麓に位置し鉄道も国道も通っていない自治体であるが、その人口4000人余に対して100名を超えるひきこもり者が存在したという。ひきこもり者の半数近くは40歳以上である。社会資源が限られている地方における高齢ひきこもり者への支援が一般的に困難を極めることは想像に難くない。
このような報告に触れつつも、多くの精神科医と同じく筆者も日常診療の中でひきこもり者本人に出会うことは稀であった。家族からの相談を受けても、それが本人の適応改善に結びつく手応えを得られないことが多かった。転機は、東日本大震災であった。
筆者は大震災発生直後の3月21日から、岩手県久慈保健所管内にある野田村に入り精神科医として地域精神保健活動を支援してきた。現地に入って最初のブリーフィングを村の保健師から受けた際に、精神科医である筆者に期待する役割として、家族を失った人のケアとともに、通院中などの理由で継続的に精神科的支援を要する人のケアが挙げられた。そして、活動開始翌日には、避難所巡回の合間に保健師に導かれる形で、村内でかねてからひきこもり者として把握されながらも支援が膠着状態に陥っていた3人の男性の自宅を訪れることになった。大震災という例外状況では、外部支援者の家庭訪問もさほど違和感なく受け入れられた。長年関与を続けてきた保健師の慧眼であろう。
3人の属性・背景はそれぞれ異なっていたが、筆者が訪問による関わりを続ける中、まず半年後に、最も長期にひきこもっていた男性が就労に向けて動き出しほどなく定職に就いた。遅れて他の2人も医療の関与のもとで徐々に社会復帰の道を歩み始めた。一連の経緯を見ていた精神保健関係者から筆者の元にひきこもりの支援に関する依頼が徐々に来るようになり、とりわけ久慈保健所管内にあって震災被害が比較的少なかった洋野町から、講演やひきこもり者家族との面談依頼が熱心に舞い込むようになったのである。3人の改善はけっして筆者の関与の結果ではなく震災という例外状況がもたらしたものなのであるが、関係者のひきこもり問題に対する関心の高さと苦悩ゆえに、いわば藁にもすがる思いからの依頼であったと思われる。
地域の関係者が異口同音に述べるのは、そもそもひきこもり者がいることを家族は強く秘匿しがちであることと、仮に本人・家族が解決を模索し始めても、情報アクセスが困難な人が多いこの地域では、誰にどう相談して良いのかわからず途方に暮れている場合が実に多いということである。一般的な広報を繰り返して相談を待っているだけでは、最も支援を必要とする人のニーズを汲み上げることが極めて難しく、支援関係者の方から積極的にアプローチする必要があるのだ。
かつてこの地は日本でも有数の自死多発地帯であった。これに対しては岩手医科大学の大塚耕太郎医師(現同大神経精神科学講座教授)らが積極的な地域介入を行い、傾聴ボランティアの育成など地道な取り組みを続けた結果、自死発生率の半減という目に見える成果をあげてきた地域精神保健の土壌がある。近隣の人の精神的苦悩に関心を寄せる土地柄なのである。
筆者は洋野町だけで2012年以降ひきこもりについて3回の研修会講師を務めてきたが、参加者の大半は民生委員や同町独自の保健推進委員(1名が平均で50戸を担当)、さらにボランティアなど地域で問題意識を持っている非専門職の人たちであった。
洋野町では、先に述べたように民生委員が実に良く機能している。そこで、2014年に同町では各委員が担当地区で把握しているひきこもり者について情報集約し概数調査を行った。
定義は、社会参加(就労および家庭外での交遊)を回避し6か月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態の者(他者と関わらない形での外出をしている場合を含む)とされた。つまり精神障害の有無を問わないものであり、対象者も16歳から64歳と広く取り、これは家族の切実さ拾い上げるのに相応しい調査であると考えられる。
調査以前から町の支援機関で関与していた者も含め、50名のひきこもり者が把握された。人口1万5千人の町で50人というのは、まだ一部しか把握できていないということかもしれない。しかし、町を挙げてよくこれほどの調査を行うことができた、という感慨を持って筆者はこの調査報告を聞いていた。
50名の内訳では、40歳以上の者が全体の60%と、想像を超える高齢化率である。また、ひきこもり開始時期については22歳以上が56%、31歳以上が34%であり、過半が就労経験を有すると考えられた。このことは、彼らの「働く」ことへの強い意志と、それゆえの「働くことにまつわる失敗・挫折」がひきこもる契機であった可能性を示唆している。実際、筆者が面談できたひきこもり者の大半が働くことを望み、機会があれば就労したいと述べているのである。
秋田県藤里町では、「居場所作りは役割作り」というコンセプトで、ひきこもり者の就労機会の提供を重視している。これに倣い洋野町でも、豊富な第一次産業を活用しての支援が模索されている。たとえば栽培椎茸の収穫や昆布の加工など、文字通り猫の手も借りたい場面が町内には随時あり、それらを活用して短期・短時間就労の機会を確保すべくベテラン保健師のコネクションを駆使して理解ある職親の開拓を始めているところである。また、就労支援にはひきこもり者本人と職場を結びつけオンザジョブトレーニングに寄り添うコーディネーターの存在が不可欠であるとの認識で、そのような役割を担える人材を育てるべく模索している。さらに、町の施設の一角にひきこもり者のためのサロンを開設する準備中であるが、当事者にサロンの運営を担ってもらえるよう、人選を進めている。
このような町を挙げてのひきこもり支援に関与する筆者の役割は、精神医学的な観点からのアセスメントである。筆者がこれまで同町で26名のひきこもり者の面談(一部は家族のみ)を行ってきた。その中には遷延したうつ病を患っていたり、発達障害傾向を有する人が思春期青年期にいじめに遭い心的外傷を負った結果対人恐怖が前面に出ている、というように、医学的支援を優先すべき人が複数あった。さらに、特別支援教育が充実していなかった時代に知的障害を見逃されたまま今日に至っているという人も複数いた。
それゆえ支援は、医療・福祉・心理のさまざまな次元で重層的に行われるべきで、筆者はまず対象者のアセスメントを担うものと心得ている。筆者が洋野町を巡回できるのは概ね年間10日程度である。その役割は取り組み全体の中では一部分に過ぎないが、「誰もが暮らしやすい地域を目指して」を合い言葉に熱心に活動を続ける関係者と共に、アウトリーチ活動と支援者への支援に今後も力を入れていきたい。支援と調査研究は車の両輪である。ひきこもり者の実態の掘り下げた把握と支援策の有効性についての検証も筆者に課せられた役割と思われる。