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落合 誠一

落合 誠一【略歴

法は会社のコンプライアンスにつき何ができるか

落合 誠一/中央大学法科大学院・ビジネススクールフェロー
専門分野 商法、消費者法

本稿は、JSPS科研費15K03220の助成を受けたものです。(広報室)

はじめに

 本稿は、1つのジョークから始めたい。

「8才のジミーが、学校の先生から手紙をもらってきた。『ジミーは隣の生徒から、鉛筆を1本盗みました』。父はカンカンに怒った。ジミーにこんこんと説教し、自分がどんなに驚き、がっかりしたかを話して聞かせ、2週間の外出禁止を申しわたした。『母さんが帰ってきたらどんなに叱られるか!』とおどかした。父は最後にこう結んだ。『それにジミーや、鉛筆が欲しいなら、そう言えばいいじゃないか?なぜ父さんに頼まない?鉛筆くらい、職場から何十本だってもって帰れるのを知っているだろう?』」(ダン・アリエリー/櫻井裕子訳『ずる』(早川書房、2014年)42頁)。

 アリエリーは、このジョークを人間として誰しも持っている不正直さが、どんなに複雑かを示す例としてあげている。しかしここでは、「会社(職場はその一部である)のもの」ということの規範性の弱さに着目したい。「隣の子のもの」は、「会社のもの」と比較した場合、その帰属性は、明確であり、その規範性も強い。これに比して、「会社のもの」は、その具体性に乏しく、抽象度が高い。ヒトは、学校の隣の生徒あるいは同じ職場で一緒に働く同僚は強く意識できても、学校あるいは会社と言う存在は、通常ほとんど意識できないのである。

 ヒトの会社に対する意識の希薄さは、当然、会社のコンプライアンスの問題についても特有の困難さを生じさせる。「会社のもの」、「会社が大切にしている企業理念」、そして「会社のコンプライアンス」を、いかにしてヒトに不断に意識させ、遵守させていくかは、より難しい課題と言わねばならない。

 もちろんヒトは、この課題を克服するために、さまざまな工夫をしてきた。そしてそうした工夫の1つとして、法があることも疑いない。そこで、本稿では、法は会社のコンプライアンスにつき何ができるかを、若干、考えてみたい。もっとも難問であり、本格的な検討は、他日を期す。

会社のコンプライアンスとは何か

 会社のコンプライアンスとは何か。それを明らかにするためには、まずもって会社の社会的な存在意義を確認する必要がある。会社のコンプライアンスは、ヒトと会社と社会とのかかわりのなかで、その意義を明らかにしなければならないからである。

 それでは、なぜ、会社がわれわれの社会にとって有意義なのだろうか。それは、会社が新たな富をわれわれの社会にもたらすことにあると考える。新たな富の創出がなければ、われわれの社会は窮乏化せざるを得ないからである。「会社の営利性」とは、利益を創出し、それを会社構成員に分配することであるが、それは、まさに会社の社会的な存在意義を会社法ルールとして表現したものに他ならない。ヒトは、自己の利益の実現を求めて会社に出資し、会社はその期待に応えて、利益を創出し、それを出資者であるヒトに分配する。このヒトによる営みが、会社だからである。

 ところで会社の利益創出活動は、われわれの社会を離れてはあり得ない。会社は、経済社会を本拠とするからである。換言すれば、われわれの社会を離れて会社は成り立たない。その意味で会社は、社会の一員であるから、社会が期待することには、当然、会社も従わなければならない。これは、すなわち、われわれの社会が大切にする社会規範は、会社も遵守しなければならない。会社のコンプライアンスとは結局のところ、このことを意味するのである。

法とコンプライアンスのインフォースメント

「法とは何か」については、周知のように諸説ある。しかしここでは、社会規範の1つであり、通常「~すべし」「~すべからず」の形態をとるものと理解する。当然、それには、国家法のみならず、慣習法、自治規範も含む。いわゆるハードローは、もちろん、ソフトローも法である。法とは、要するに、われわれの社会が大切にする社会規範の1種である。

 法は、ヒトに対して「~すべし」、「~すべからず」と一定の行為をとることを要求する。しかし法がそれを要求しても、ヒトがそれに従わなければ、法はその効果を発揮し得ない。法規範は、その内容自体の有用性はもちろんであるが、そのインフォースメントが重要となる。法は、その実効性があって、初めて規範性を得るからである。

 刑事法規は、国家が相当の積極性をもってその不遵守を探知し、裁判所にその是正を求めること(起訴)により、インフォースされる。これに対して民事法規のインフォースメントは、私人による裁判所への損害賠償請求等の提訴があって初めて開始される。国家の関与は、刑事と民事とで、直接的か、間接的かの相違はあるが、国家によるインフォースメントによってその実効性が担保される。

 これに対して会社のコンプライアンスでは、法規範のみならず当該会社の理念や倫理等もその対象となるから、その内容は、相当広範囲なものとなる。もっとも法規範の場合は、会社のコンプライアンスによらずに、その実効性が、期待できる部分もある。例えば、会社としては未だ認識できていない犯罪=不祥事であっても、国家による刑事法規のインフォースメントが、いわば会社の頭越しになされる場合もあり得るからである。

 しかし会社のコンプライアンスとしては、かかる頭越しのインフォースメントは、決して好ましいことではない。会社が認識していない不祥事は、当該会社の内部統制が機能していないことの証左だからである。したがって、法規範違反の場合であっても、会社が刑事・民事法規の違反を発見し、会社のイニシアティブにより国家によるインフォースメントが求められることが望ましい姿である。

 他方、法規範以外の会社の理念・倫理等に関する会社のコンプライアンスの実効性確保は、会社によるインフォースメントがすべてであり、国家のインフォースメントは、一般に期待できない領域である。会社のコンプライアンスは、むしろこの領域こそが中核であり、各社それぞれの特色・個性が発揮される部分となる。会社は、それぞれが置かれた環境・ニーズに応じて適切なコンプライアンスを用意すべきであり、まさに会社にとって極めて重要な戦略的部分となる。したがって、この部分のインフォースメントの実効性を確保するための仕組みの構築し、維持することが、会社にとってのコンプライアンスの基本となると言ってよいであろう。

むすび

 会社とは、そのベールを剥げば、株主、債権者、従業員、経営者等のさまざまなステークホルダーの自己利益実現の場であり、それ以上でもそれ以下でもない。会社は、会社それ自体が重要なのではなく、こうしたステークホルダーがそれぞれの満足の実現することこそが重要なのである。

 無論、会社のコンプライアンスがそのインフォースメントを含めて十分機能することは、すべてのステークホルダーにとってプラスである。そうだとすると、会社の良きコンプライアンスの実現には、単に適確なモニタリング・システムの構築・維持に尽きるものではない。むしろ株主、債権者、従業員、経営者等のさまざまなステークホルダーが、それぞれの立場からコンプライアンスへの能動的な関与が不可欠である。コンプライアンスは、最終的にはヒトの問題であり、法は主役とはなり得ないのである。

落合 誠一(おちあい・せいいち)/中央大学法科大学院・ビジネススクールフェロー
専門分野 商法、消費者法
1944年生まれ 東京都出身
1968年東京大学法学部卒業、東京大学助手、成蹊大学法学部助教授、同教授を経て1990年東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授、
2007年中央大学法科大学院教授、同ビジネススクール教授。
日本私法学会理事長、法と経済学会会長、日本保険学会理事長、国民生活審議会会長、市場化テスト管理委員会委員長等を務める。現在、中央大学フェロー、東京大学名誉教授、自動車損害賠償責任保険審議会(金融庁)会長。
最近の関心は、コーポレートガバナンスにある。単著は、『会社法要説』(有斐閣、2010年)、『消費者契約法』(有斐閣、2001年)、『運送法の課題と展開』(弘文堂、1994年)『運送法の基礎理論』(弘文堂、1979年)等があり、他に共著、論文多数。