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トップ>研究>職場いじめ・ハラスメント問題に対する修復的正義の可能性

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滝原 啓允

滝原 啓允【略歴

職場いじめ・ハラスメント問題に対する修復的正義の可能性

滝原 啓允/中央大学法学部助教
専門分野/社会法学

本稿は、JSPS科研費15H06618の助成を受けたものです。(広報室)

職場いじめ・ハラスメントの蔓延

 近年、急速に注目されるようになった社会的問題のひとつとして、職場いじめ・ハラスメント(以下単に「ハラスメント」)が挙げられよう。民事上の個別労働紛争の相談件数は「いじめ・嫌がらせ」が4年連続トップ(厚生労働省「平成27年度個別労働紛争解決制度の施行状況」)となっており、こうした状況は、ハラスメントの蔓延を端的に表しているものといえよう。

 本稿では、まさに若干ではあるがハラスメントに関する既存の議論を振り返りつつ、ハラスメントに対する新たなアプローチとしての修復的正義の可能性について考えてみることにしたい。[1]

 もっとも、何が「ハラスメント」なのか、確たる定義が存在するわけではない。本稿では「ハラスメント」という用語を、基本的には「職場における人格的利益侵害行為」として理解し、議論を進めたい。

労働関係における特殊性

 労働契約における基本的な義務は、労働者の労務提供義務と使用者の賃金支払義務である(労働契約法6条、民法623条)。では、賃金を労働者に適切に支払っているのなら使用者は全ての義務を果たしたことになるかといえば、そうはならないだろう。労働の特殊性を考慮するに、他にも付随的な義務(付随義務)が生じる。これら付随義務の規範的根拠については、明文規定を有するものもあるが、基本的に信義則(労働契約法3条4項、民法1条2項)に求められよう。

 そもそも労働関係においては、労働と人格との不可分性・集団性・継続性などの特殊性が意識されるべきであり、これらは労働契約における付随義務論に影響を及ぼし得る(あまねく「労働」にこれらの特殊性が全て必ず妥当するわけではないことを念のため付言しておく)。また、付随義務に関する議論のみならず、労働関係において生じる問題に対しての洞察を深める際にも、これら特殊性は参考となろう。以下では、ハラスメントとの関連において、かかる特殊性をみることとしたい(さしあたって上で挙げた3つをみるが労働関係における特殊性を当該3つに限定するわけではない)。

 まず、労働と人格は切っても切り離せない関係にある。そうすると、労務提供するにあたって人格に対する何らかの侵害が生じる可能性は高い。そして、そうした侵害における一定の類型はハラスメントとして認識されるであろう。

 次に、労働は集団的・組織的に展開されることから、労働者は他の同僚や上司等と日常的に接することとなる。人格がひしめく職場において、人格と人格との衝突はほぼ不可避的に生じ、それら衝突の幾つかは一方的な攻撃に終始する場合があり得よう。それは、成果主義のもと過酷な競争の中で生じた嫉妬や軋轢によるものかも知れないし、「教育指導」の一場面かも知れないが、ハラスメントとして対処すべきものは少なくないだろう。

 さらに、多くの労働契約が長期の継続を予定しており、あるいは殆どの労働者がそれを期待していることからすれば、自らが属する職場を構成する他者との中長期に亘る人間関係が円滑で良好である状態が望ましいことはいうまでもない。

 よって、前二者からすれば、ハラスメントは労働それ自体に内在する危険の一つとして指摘でき、後一者からすれば、そうした危険が惹起した際の適切対処が不可欠であろうことが導かれよう。

使用者におけるハラスメントに関する義務論

 労働関係における特殊性を反映したものとして位置付けることが可能なのが職場環境配慮義務や安全配慮義務(労働契約法5条)である。訴訟実務においては、両義務ともハラスメントに対処し得るものとして用いられ、それぞれの用法には一定の傾向を見出せないわけではないが、若干混交されているようにも解される。理論的には、1990年前後にセクシュアル・ハラスメント(セク・ハラ)を巡り立論された職場環境配慮義務がより適合的であろう。

 ともかく、使用者においては、ハラスメントに関し一定の義務が生じる。当初、セク・ハラの文脈において、①十分な従業員教育を徹底させること②現実に発生した場合には事情聴取を行い直ちにその行為をやめさせること③さらに必要があれば加害者の配転等の是正措置をとるべきことなどが指摘され[2]、また、通常、私法上の効力を持つものではないとされるものの所謂セク・ハラ指針[3]も①方針の明確化及び周知・啓発②相談に応じ適切対応するために必要な体制整備③事後の迅速かつ適切な対応などを求めているところ、ハラスメント一般についての具体的義務についても、こうした議論が妥当するものと解する。

 しかし、川崎市水道局事件(横浜地川崎支判平14.6.27)や国・京都下労基署長(富士通)事件(大阪地判平22.6.23)など実際の事案をみるに、ハラスメントに対し適切な措置が講じられないまま重大な結果が生じる場合は少なくない。また、所謂「パワーハラスメント」において問題となるような教育指導との関係においては、教育指導を行う者に対する研修等を使用者において充実させる必要が生じ、あるいは、アークレイファクトリー事件(大阪高判平25.10.9)などを参照すれば明らかなように、教育指導で用いる言辞の選定・コミュニケーションの程度や指導を受ける者の理解力・真意を適切に伝達し得たか否かなどへの留意が、教育指導を行う者において十分なされるべきであろう。

ハラスメントの背景・原因論と個別的な救済の限界

 適切な事後対応や教育指導がなされるべきことはいうまでもない。しかし、実際にこれらがなされることは少ない。この理由は、ハラスメントの背景や原因[4]について知れば、ある程度明らかになろう。すなわち、背景・原因論においては、人員削減・人材不足による過重労働とストレス、そして、それが引き起こす職場のコミュニケーション不足が指摘されることが多い。余裕のない職場では誰もが自らのことに専念せざるを得ず、それはときとして部下への強い叱責や、同僚間等における嫉妬や軋轢として顕在化する。経営層から追い込まれた中間管理職(加害者も「犠牲者[5]」である可能性)において余裕は失われており適切で丁寧な教育指導は行われない。事後的にケアを行おうにも加害者には時間的余裕も精神的なゆとりもなく、攻撃を受けた者は家族や友人などの身近な人物に相談しようにも日々の業務に忙殺され、そうした時間を取ることもできない。管理職が多忙であれば職場全体に目は行き届かず、自らの責任を果たすことのみで精一杯の者がひしめく職場において、適切なコミュニケーションは期待すべくもない。労働組合の推定組織率も低下しており、2015年は17.4%となっている(厚生労働省「平成27年労働組合基礎調査の概況」)。結果として、生じた被害について問題視されることさえない、あるいは問題視されたとしても解決する余裕も能力も欠如したままということにつながりかねない。

 さらに、こうした議論とも関連するが、ハラスメントについての司法的な救済は、どうしても個別的なものになりがちである。そこで争点化されない問題(職場ないし組織それ自体が抱える課題や加害者も「犠牲者」である可能性等)について、事後的に将来効をもった形で議論が行われることは、まず期待できない。そうすると、当該職場が抱える問題を集団(コミュニティ)として考察する必要が生じよう。それは、使用者に意識改革をもたらすし、職場の構成員である個々の労働者の能動的関与が得られれば、職場環境それ自体の回復ないし再構築が促進されるとともに、予防ないし再発防止策の自律的形成の契機ともなり得よう。

修復的正義の可能性

 こうした状況に適合的と思われるのが、修復的正義[6](restorative justice)という一種の「ものの見方」である。これは、相互協力のもと対話を促し被害の回復を促進させ新たな価値をも創造しようとするものであり、具体的には被害者と加害者そしてコミュニティの3者が進行役のもとで直接対話するモデルとして実践されることが多い。一定のコミュニティを維持しながら狩猟や採集のために移動を続けるような伝統的社会において人々が用いたコンフリクト解決法であり、あるいは、南アフリカ共和国におけるアパルトヘイト後の真実和解委員会における思想でもあり、学校でのいじめへの対処法としても用いられるのが修復的正義である。また、カナダ[7]などで、ハラスメントへの対処法として修復的正義が用いられている。

 当該「害(harm)」がなぜ発生したのかを考察し、悪化した関係を修復し新たな関係を構築し直す過程において、コミュニケーションを重視し、ニーズと責任と期待とを明らかにしつつ、将来に向けてポジティブな価値を生じさせようとする試みが修復的正義といえよう。誤解されがちであるが、もとあった関係性を回復するのみならず、仮にもとあった関係性に問題があるのであれば、新しい価値を生じさせながら新たな関係性を構築させようとするのが修復的正義である。よって、問題のある状況を再び「回復」させることは修復的正義の哲学に合致せず、あるいは、深刻な被害において被害者と加害者とが直接対話せずに、それぞれ異なる方向性に別離していく(それぞれが新たな関係性を得ることとなる)ための修復的正義も存在することとなる。

 先に述べた労働関係における特殊性のうち、集団性と継続性は、修復的正義が前提とするところや想定する価値と親和的である。なぜなら、修復的正義はコミュニティの存在を前提にするが職場それ自体は一つのコミュニティとして捉え得るし、地域社会等における人間関係の存続に関心を有する修復的正義は特定の使用者における中長期的な労働に伴う人間関係の円滑かつ良好な継続という価値を包摂し得るからである。また、ハラスメントの背景や原因との関連においても、修復的正義は、職場に問題解決力を付与し得るし、コミュニケーションを促進させ、過重労働やストレス等から生じる害を考察することに資するだろう。そして、被害者へのケアがなされようことはもとより、なぜ当該被害が発生したのかを考察する際、職場ないし組織それ自体が抱える課題について考えざるを得ないし、実は加害者も「犠牲者」である可能性などについても考慮し得ることとなろう。そうしたときには適切な事後対応や教育指導のあり方などについても模索されよう。

 労働関係における修復的正義の実践は、職場を支配し管理する使用者における義務が豊富化される契機を生じさせ、当該職場に革新的な価値を付与し、あるいは増進させ得る。修復的正義は、使用者における一種の「義務」ないし「責任」の創出装置(それが法的義務や法的責任の次元まで昇華するかは別として)として、さらには新たな価値の創造装置として機能し得ることとなろう。

今後の課題

 修復的正義を労働関係とりわけハラスメントを念頭に立論する場合、その法的位置付けや規範的根拠といった法理論的課題はもとより、実践における進行役の養成、参加者ないし担い手の見極めといった制度設計的な課題が多数認識される。しかし、これまでの検討からすれば、ハラスメントについて、個別的救済のみならず、集団として当該職場ないし組織を考察する作業が要請されようことはほぼ疑いない。そして、その際修復的正義が有用と解されることからすれば、筆者は蛮勇をふるって当該課題群に対し取り組んでいくこととなろう。

参考文献
  1. ^本稿は、日本労働法学会131回大会ミニ・シンポジウム 「職場のハラスメント問題への新たなアプローチ」における筆者の報告原稿に大幅な加除をなし、本教養講座の一として整えたものである。なお、同学会同大会は2016年5月29日に同志社大学にて開催された。また、報告原稿それ自体は日本労働法学会誌128号に掲載予定である。
  2. ^山田省三「セクシュアル・ハラスメントの法理-福岡地方裁判所平成元年(ワ)一八七二号損害賠償請求事件鑑定書-」労働法律旬報1291号30頁、39頁(1992)。
  3. ^「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」(平18厚労告615号)。
  4. ^これについては、内藤忍「『職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議』提言と今後の法政策上の課題-労使ヒアリング調査結果等を踏まえて-」季刊労働法238号2頁(2012)に詳しく、参照文献も豊富に記載されている。
  5. ^西谷敏『人権としてのディーセント・ワーク-働きがいのある人間らしい仕事』(2011年,旬報社)271頁。
  6. ^修復的正義については、Howard Zehr, The Little Book of Restorative Justice, (Good Books, 2002)、 高橋則夫『修復的司法の探求』(2003年,成文堂)、同『対話による犯罪解決-修復的司法の展開』(2007年,成文堂)、宿谷晃弘=安成訓『修復的正義序論』(2010年,成文堂)、山下英三郎『修復的アプローチとソーシャルワーク-調和的な関係構築への手がかり』(2012年,明石書店)などを参照した。
  7. ^Susan J. Coldwell, ‘Addressing Workplace Bullying and Harassment in Canada, Research, Legislation, and Stakeholder Overview: Profiling a Union Program’, (2013) 12 JILPT Report, 135.
滝原 啓允(たきはら・ひろみつ)/中央大学法学部助教
専門分野/社会法学
1981年生まれ。
2000年京華高等学校卒業。
2004年早稲田大学法学部卒業。
2008年中央大学大学院法務研究科法務専攻修了。法務博士(専門職)中央大学。
現在、中央大学法学部助教。
主要論文として、「イギリスにおけるハラスメントからの保護法とその周辺動向―職場におけるdignityの保護―」日本労働法学会誌122号121頁(2013年)、「職場環境配慮義務法理の形成・現状・未来―行為規範の明確化にかかる試論―」法学新報121巻7・8号473頁(2014年)。「コモン・ローにおける雇用関係上の注意義務と相互信頼義務―職場いじめ・ハラスメントへの対処,あるいは『心理的契約』論の援用を中心として」季刊労働法250号189頁(2015年)。