阿部 道明【略歴】
阿部 道明/中央大学法科大学院教授
専門分野 国際取引法、国際経済法、企業法務
本稿は、JSPS科研費15K03220の助成を受けたものです。(広報室)
いまではコンプライアンスは巷にあふれている。ほとんどの企業のみならず研究機関、大学、官庁、自治体においてさえコンプライアンスが実行され、書店には所狭しとコンプライアンス本が並べられている。わが国でコンプライアンスはいつごろから語られるようになったのであろうか。筆者はかつて東芝の法務部門に在籍したが、そこでいわゆる東芝ココム事件に遭遇することとなった。いまの若い人にココムといっても知らない人が圧倒的に多い。事件の起こった1987年当時は米ソ冷戦時代で、西側諸国はココムという国際委員会において共産圏に軍事技術・戦略物資を輸出してはならないと取り決め、それを各国がその輸出管理関連法規(日本では外為法と貿易管理令)で取り締まっていた。ところが、子会社の東芝機械がこれに違反して、潜水艦のスクリュー音を小さくすることに貢献する極めて優秀な工作機械とそれに関連する技術情報をソ連に輸出してしまったのである。これによって東芝は日本のみならずアメリカにおいてとてつもなく大きな非難とバッシングを受けて企業存亡の危機を迎えることとなった。
ここで、東芝制裁法まで制定したアメリカの怒りに対処する目的もあってコンプライアンス・プログラムを設定、導入したのである。筆者もこれに関与し、以前に同じような過ちを犯した企業としてシーメンスの作ったコンプライアンス・プログラムを調査するように命じられてミュンヘンに出張したこともあった。いずれにせよ、これは輸出管理に関するものだけではあったが、東芝においてとてつもなく重厚なコンプライアンス・プログラムが完成した。ここでこの事件を紹介したのは、正確に検証したわけではないが、多分これが日本におけるコンプライアンスの草分けではなかろうかと考えるからである。
その後、コンプライアンス・プログラムは他社に広がり、また分野も輸出管理から出発して独禁法などその他の多くの法分野に広がっていった。このように各プログラムは個別法分野から作られていったが、しだいにそれを統括する行動基準(コード・オブ・コンダクト)といった包括的なものが制定されることとなり、現在のコンプライアンスの形ができていったものと考えられる。
ここらあたりではコンプライアンスは間違いなく法令遵守である。つまり、comply withの後に来るのは、業法や行政法規を含めて圧倒的に法令が多い。しかし、この辺の概念は時代とともに変化ないしは拡大を見せており、現在ではcomply withの後に来るべきものの中に社会的道徳的倫理的な基準も含める傾向がみられる。例えば、いわゆるやらせ系の不祥事は法令違反であることは稀である。筆者は2011年に九州電力やらせメール事件の第三者委員会委員を務めたが、この件は九州電力の社員が経済産業省・保安院の主催する玄海原発再稼働の是非に関する公聴会において再稼働について賛成意見を出すように促すメールを社員に送った件であった。この不祥事は法令違反とは言えないが社会的には許容しがたい不祥事の事例の一つであり、同社においてはこういったものも包含するコンプライアンス体制を整備することとなった。
社会的道徳的倫理的な基準までcomply withの対象と考えるコンプライアンスは、法令遵守のみの狭義のコンプライアンスに対して、広義のコンプライアンスと言えるものである。ただ、このあたりまで来ると、さらに他の概念との接点ないしは競合点が頭に浮かんでくる。それはいわゆるCSR(企業の社会的責任)とサステナビリティー(持続可能性)である。これらの概念も明確で普遍的な定義があるわけでもない。ただ、CSRについては、全てのステークホルダー、さらにはそれを取り巻く社会の中で企業がどれだけ貢献しながら自社の活動を展開・発展していけるかどうか、また、サステナビリティーに関しては、いわゆるトリブル・ボトムライン(経済・環境・社会)を頭に入れながら、CSRの要素に加えて地球環境の維持や貧困の撲滅といったテーマまで取り入れた広範な概念のもとに進められる企業活動とも考えられる。
そこで再びコンプライアンスの概念に戻るが、一般的には、コンプライアンスという概念がCSRやサステナビリティーまでを包含するかと言われると、現状ではややネガティブな感じがする。ただ、ここでコンプライアンスに新しい切り口として、現在我々が取り組んでいる科研費研究(JSPS科研費15K03220)のテーマとなっている企業価値の向上という要素や目的を加えた場合には、コンプライアンスをCSRやサステナビリティーに近づける切り口の一端が見えてくるような気もする。
法令遵守を目的とするいわゆる従来型コンプライアンスの必要性、重要性はいささかも揺らがないが、それを厳格に実行するのみでは企業構成員の委縮のみが目立つ恐れがあり、また、コンプライアンスが過剰化、形骸化またはポイントを外したものに陥り、本来の法令遵守という目的の達成さえ脅かされることもありえること、さらには会社ぐるみ型やトップ暴走型の不祥事にはコンプライアンスが機能しないことが考えられる。こういう中で、コンプライアンスにもっと積極的な意味合いを持たせられないかという思いが出てくる。それが企業価値の向上という要素であり目的である。もちろん、いわゆる企業不祥事を厳格に防止すること、さらに発生してしまった不祥事に厳格かつ適切に対応することのみでも、企業価値の低下を防ぐだけでなく、場合によってはレピュテーションの向上を通して企業価値の向上に結び付くことは考えられる。ただ、そこで留まっていては従来型のコンプライアンスの発想から抜け出ることはできない。企業価値の低下の防止だけでなく積極的な企業価値の向上を目指すことが要求されてくる。
その一つはステークホルダーへの積極的な対応を行うことによってコンプライアンスへのインセンティブを高めることである。最も重視されるのが従業員への対応であり、各従業員(業種によってはパート、アルバイトまで含む)一人一人を人として尊重し、そのダイバーシティ(人種、性別、信条、年齢、国籍)を頭に入れて、可能な限りの対話(コミュニケーション)を図り、ワークライフバランスを重視することによって、従業員に自らコンプライアンスに取り組む労働環境を整備していくことが重要である。また、顧客対応としては、鉄道においてホームドアを設置したり体の不自由な方の乗車を介助するなど現在すでに行われていることがそのまま社会からの高い評価を生むことになる。
もう一つは、直接のステークホルダーではないが、企業活動の社会全体への貢献という観点からすれば、環境、労働、貧困の問題などが考えられる。環境との関係で言えば、省エネや省資源の商品を世に出すことはもちろん良いことであるが、その企業の世界環境に与える(プラスマイナスを合算した)総負荷の低下を目指すとか、発展途上国の過酷な労働条件(深夜労働、児童労働など)によって生産・流通している商品を扱わないとか、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い発展途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指すいわゆる国際フェアトレードを推進するとかといった活動が長い目で見た企業価値の向上に貢献することは明らかである。
もちろん先に述べた通り、これら、特に後者の環境、労働、貧困への対応はむしろCSRやサステナビリティーの概念そのものであるととらえ方もあるであろう。しかし、同時にこれらをも広義のコンプライアンスの一環ととらえていくことによって企業価値向上型コンプライアンスの輪郭が見えてくるような気がする。