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トップ>研究>安保法制とこれからの日本 合憲説の立場から考える

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長尾 一紘

長尾 一紘【略歴

安保法制とこれからの日本 合憲説の立場から考える

長尾 一紘/中央大学名誉教授
専門分野 憲法学

「戦争への道」なのか、「平和と安定の礎」なのか

 9月19日未明、法案はついに可決された。安保法制案をめぐってこの1年間、激しい議論が繰り広げられてきた。何が問題の核心であったのか。一応の決着をみた今日、あらためて考えてみることにしたい。

 9月19日は、戦後史における画期をなすものといえよう。これによって、今後の日本の安全保障政策は大きく転換することになる。

 どのような方向に転換するのか。この点について、日本の議論は二分されている。

 反対派は、つぎのようにいう。集団的自衛権は違憲である。この法案は、「戦争法案」である。これが可決されれば、日本はアメリカの戦争に巻き込まれ、地球の裏側にまで行って戦争に協力することになる。自衛隊員の犠牲は避けられず、徴兵制度が導入される。これからの日本は、「戦争への道」を歩み始めることになる。

 賛成派は、つぎのようにいう。日本国憲法は、集団的自衛権を否定してはいない。集団的自衛権の合憲性を確認し、日米の協力関係を強化することは、日本のみならず、東アジア、東南アジアの地域全般の平和と安定のための礎とみることができる。

このように、「これからの日本」のイメージは二分される。いずれが正しいのか。日本の現状と将来を考えるうえで避けることのできない問題だ。

 結論を先にいうことにしよう。安全保障の問題は、国内だけの思いこみで判断することはできない。国際法、そして国際常識を重視する必要がある。反対派の主張はあまりに、国際法、国際常識から乖離している。この度の安全保障政策の転換は、日本のみならず、東アジア、東南アジア諸国に安定と平和をもたらすものとみることができよう。

世界の国々は歓迎している

 世界の国々はこの問題に大きな関心をよせている。法案の内容はひろく知られており、19日の時点で、すでに44の国々が法案に対して歓迎の意を表している。アメリカはもとより、ベトナム、フィリピン、マレーシア、台湾など、アジアの周辺国のほとんどが歓迎の意を表明している。フィリピンのアキノ大統領は、日本の法案審議をみて、「強い尊敬の念をもって注目している」と述べている。また台湾の外務省は、日米安保体制の強化は「地域の平和と安定の基礎だ」と述べている。この「地域」に、東シナ海だけでなく、南シナ海も含まれていることは明らかだ。これらの国々は、中国の急激な軍備拡張とルール無視の覇権主義政策に強い懸念をもっている。日米の協力関係の強化が、これに対する抑止力になることを期待しているのだ。

 また、オーストラリア、イギリス、フランス、ドイツ、さらにはクロアチアに至るまで、日本の政策転換を歓迎している。これらの国々は中国の軍事的脅威に直面しているわけではない。西欧の国々が日本の政策転換を歓迎するのは、PKO活動など、国際貢献への、日本の積極的な関与を期待しているからだ。

 このように世界の国々が新たな安保法制を歓迎しているなかで、ただ一つの例外がある。それは中国だ。中国外務省の報道官は19日、「日本は平和発展の歩みを放棄するのか、との疑念を国際社会に生じさせている」と述べている。しかし、このような「疑念」が国際社会に生じていないことは明らかだ。

 目を日本国内に転じてみよう。国内においては安保法案に対して、これを「戦争法案」だとして反対する動きがみられた。中国が日本の政策転換を歓迎しない理由は明白だ。アメリカはこのところ、アジアにおける影響力を弱めてきた。中国の露骨な覇権主義政策はこれに便乗したものだ。日米安保体制の強化は、アジアにおけるアメリカの影響力の復活を意味する。中国はこれをおそれているのだ。

 それにしても、わが国において、多数の人々が反対するのはなぜであろうか。以下、その理由を考えてみることにしたい。

日本の常識は世界の非常識

 6月4日、参考人としてよばれた憲法学者3人が、そろって「集団的自衛権の行使は違憲である」と主張して大きな波紋を拡げた。参考人らの見解は、学説において主流に位置する。

 国際社会において、集団的自衛権は独立国の固有の権利として認められている。個別的自衛権と集団的自衛権は一体のものとされており、これを区別して、集団的自衛権についてその行使を違憲とする議論は、日本だけにみられる特殊な現象だ。違憲論者は、日本という国家について、世界でもただ一つの「例外国家」であり、「異質な国家」である旨を主張していることになる。

 日本国は、イギリス、オランダ、ベルギー、スウェーデンなどと同様に君主国家であり、「普通の国家」である。この当然のことを、あらためて想起する必要がある。

 参考人らは、違憲論のほとんど唯一の根拠として、政府が従来の憲法解釈を変更したことを指摘する。

 しかし、政府が憲法解釈を変更してはならないというルールは存在しない。むしろ政府も国会も、より正しい憲法解釈をめざして努力することが必要とされる。相応の理由があれば、政府も国会も、いつでも憲法解釈の変更をなしうる。たとえば、環境権やプライヴァシー権について、政府や国会の憲法解釈は確実に変化している。これを一概に違憲であるとか、不当であるとみなすことはできない。なお、最高裁が憲法解釈を自由に変更しうることについては、いうまでもないことだ。

 自衛権の問題は、西欧諸国をはじめ世界の国々と共通なものだ。それにもかかわらず、アメリカやドイツ、イギリスやフランスなどの学説、判例などが違憲論者によって引証されることはまったくない。日本以外の国において、集団的自衛権を否定するような議論は存在しないからだ。

平和主義は集団的自衛権を必要とする

 日本国憲法が平和条項をもっていることは、日本が「異質な国家」であってもよいということの論拠にはならない。

 平和主義条項を憲法のなかにもっている国は、124ヵ国におよぶ。また、外国軍隊の非駐留や、核兵器の廃絶など、わが国の憲法よりよほど徹底した平和主義条項を備えている国も多くみられる。これらの国々において、徴兵制度の導入が定められている例も少なくない(西修『日本国憲法を考える』文春新書)。集団的自衛権の否定、制限などありうるはずもないのだ。

 平和を維持するためには、各国が集団的自衛権を行使して相互防衛条約を締結し、安全保障を強化することが必要とされる。これを戦争に対する「抑止力」という。これが世界に常識であり、国連憲章のとる立場だ。集団的自衛権の否定は、かぎりなく危険な政策だ。むしろ、周辺の覇権主義国家に対して、安易な侵略への誘惑を増幅させるものだ。

 日本国憲法は「国際協調主義」をとっている。これによって、国際関係の在り方については、日本だけにしか通用しえない独善的な考えではなく、国際社会の常識に従うべきことが要求されているのだ。そして、独立国が集団的自衛権をもつことは、国際社会においては常識(国際慣習法)とされている。

スイスの核武装計画

 かつての憲法学説において、非武装中立主義が大いに流行した。その影響は今なお根強く残っている。絶対的平和主義は、非武装中立を主張する。そして自衛戦争も含めて戦争そのものを否定する。

 このような絶対的平和主義の論者によって、しばしば、「日本は東洋のスイスになるべきだ」と主張された。しかし、スイス人がこれを聞けば驚いて目をまわすにちがいない。「軍事同盟を結んでいても相応の軍事力が必要だ。いわんや、同盟なくして自国の独立と安全を確保しようとするならば、その数倍の軍事力が必要だ」。これがスイス人の考え方だ。スイスは、全身ハリネズミのような国民皆兵の武装国家だ。日本がスイスなみの兵員をもとうとするならば、人口比にして、自衛隊員を500万人以上に増員する必要がある。

 中立を維持するためには、国際法上の義務を履行することが必要とされる。この義務を怠れば中立違反とされ交戦国から攻撃を受けることになる。第二次大戦中、スイス空軍は、上空を通過するドイツや連合国の軍用機に対して果敢に攻撃を加えている。中立国としての義務を履行したのだ。

 スイスはかつて核武装を企図したことがある。そのときの政府の説明において、核武装するのは「中立を保つためだ」と述べられている。

 「非武装」と「中立」は、このように両立しえない関係にある。日本の非武装中立の論者は、「中立」を国際法上のものとみていないようだ。その「中立」の観念は、空想ないし願望の産物にすぎない。

 この絶対的平和主義の影響は、現在の集団的自衛権の違憲論者に大きな影響を与えているようだ。両者の立論は、ともに空想の産物だということができよう。

占領政策と宮沢憲法学

 戦後憲法学には4つの流れがあった。すなわち、マルクス主義憲法学、リベラル派憲法学、自由主義憲法学、保守派の憲法学の流れがあった。このうちマルクス主義憲法学は、ソ連の崩壊とともに姿を消した。現在の憲法学説のなかで主流をなしているのはリベラル派憲法学だ。その源流をなすのが宮沢俊義の憲法学だ。したがって、憲法学説の主流を理解するためには、宮沢俊義の憲法学を知る必要がある。

 宮沢俊義の憲法学は、その時々の権力状況によってカメレオンのように変転する。そして歴史の流れの中でつねに主流の立場に身をおいてきた。

 昭和初期には自由主義の立場をとっていたが、ナチス政権が樹立されると、早速その合法性を弁護してエールを送っている。のちに選挙権についての論文において、「種の権利」という怪しげな用語を用いている。ナチスの人種理論の影響によるものと思われる。戦時中は、すでに時代遅れとされていた神権天皇制を強調する憲法論を展開した。

 占領の初期において、占領軍(GHQ)によって、「ウィーク・ジャパン」の方針の下に日本人に対する国家意識の解体が企図された。「加害者意識植えつけプログラム」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が実施され、そのために、新聞、ラジオ、図書に対する検閲制度、学校教育、公職追放などが利用された。宮沢憲法学は、天皇制度に対する否定的態度、国家主権、とりわけ自衛権に対する消極的態度を基調としている。このような特質において、GHQに対する迎合をみることができる。宮沢憲法学は、まさしく占領政策の申し子であった。

 現在の憲法学説の主流は、今なおこの宮沢憲法学の影響下にある。集団的自衛権を否定するのは、この宮沢憲法学の影響によるものとみることができよう。

 現在の日本において、もっとも重要な課題は「戦後レジーム」からの脱却ではないかと思われる。「戦後レジーム」とは、GHQによって植えつけられた、日本の歴史と国家に対する否定的な考え方と、これを支える社会的しくみのことをいう。宮沢憲法学は、まさしく「戦後レジーム」そのものとみることができよう。

長尾 一紘(ながお・かずひろ)/中央大学名誉教授
専門分野 憲法学
1942年、茨城県に生まれる。中央大学法学部卒業、東京大学大学院(修士課程)終了。1968年、中央大学助手。その後、助教授、教授を経て、2013年、名誉教授になる。
 近著として、『日本国憲法〔第4版〕』(2011年)、『基本権解釈と利益衡量の法理』(2012年)、『外国人の選挙権 ドイツの経験・日本の課題』(2014年)。本書の内容に関連するものとして、「宮沢俊義の正義論-ケルゼンの法理論を手がかりとして」法学新報122巻1・2号(2015年)。安保法制にかかる政治評論としては、正論2015年9月号に小論がある。