西 亮太【略歴】
西 亮太/中央大学法学部助教
専門分野 英語圏文学、批評理論、ポストコロニアル・スタディーズ
選挙そのものか、あるいは沖縄に一定の関心を持つ人であれば、2014年12月に行われた衆議院選挙の結果は非常に興味深いものであっただろう。「オール沖縄」で結集した候補者たちが、先行する県知事選挙で「イデオロギーよりもアイデンティティ」と訴えて当選した翁長雄志氏と手を携え、すべての小選挙区で勝利をおさめたことは、これまでの保革対立でとらえられがちなものとは大きく異なった沖縄の政治を予感させるものだ。だが、そもそもこの「沖縄アイデンティティ」とは、そしてその称揚とは、いったい何だろうか。そして沖縄の今にどう向き合ったらいいのだろうか。
いまの沖縄を読むために、ある戯曲を手掛かりとしてみたい。それは「本土復帰」の3年後、1975年に発表された知念正真による戯曲『人類館』だ。この戯曲は1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会の場外パビリオンにおいて国内外の生身の人々が「未開人」として「陳列」された「人類館事件」に題をとっている。本作に触れる前に、この事件を簡単にみておこう。学術人類館と名付けられたこのパビリオンは、パリ万博で同様の「陳列」を見て感銘を受けた人類学者坪井正五郎の発案と指揮のもとに運営され、朝鮮人、琉球人、台湾人、アイヌ人、ジャワ人などとされた人たちが資料として「陳列」され大盛況を博した。これに沖縄側が「北海道のアイヌ等とともに本県人を撰びたるは是我に対するの侮辱これより大なるあらんや」と猛抗議し、大事件へと発展していったのだった。ここでまずは、人間をそのまま「陳列」するという人種差別的行為の非人道性が批判されねばならない。だが、「本県人をアイヌ人らと並べるな」との抗議に現れている沖縄側の差別意識も同時に指摘されねばならないだろう。しかしながらこの沖縄の立場を、坪井をはじめとする本土の人間の持つ差別と同列にすることについてもまた、慎重であるべきだ。琉球処分から30年、近代化と皇民化の圧力の渦中で自分たちのアイデンティティを模索していた多くの沖縄の人びとにとって、アイヌ人らを差別的に踏み台にしてでも自分らを日本人として位置づけようとする姿勢は、「琉球人」であると同時に日本の行政区分に即した「県人=日本人」でもあろうとする非常に困難な在り方の招いた事態であったと言えるのだ。
さて、この事件に題をとった本作は、「調教師ふうな男、陳列された男、陳列された女」のみで演じられるミニマルな劇だ。調教師ふうな男の「皆さん今晩は。本日は我が「人類館」へようこそおいでくださいました」という挨拶から始まり、陳列された男女に関する解説で幕が開く。だがこの調教師はこの男女が日本の「魂」たる日本語をうまく話せず「方言」しか使えないことが気に食わないらしく、男女を執拗に「調教」しようとする。この執拗さの裏には以前、「琉球人」と間違えられて昇進を取り消された調教師の個人的な恨みがこもっているのかもしれない。苛烈でありつつもどこか滑稽なこの「調教」が進むにつれて舞台は小学校の教室、取調室、精神病院、そしてガマ(洞窟)へと目まぐるしく展開し、それに合わせて3人の役どころもころころと変わっていく。ガマが舞台となる劇の最終段になって、調教師は「本土」から来たと思われる「戦隊長」を演じ、ガマに避難してきた民間人を演じるこの男女に執拗に暴力を振るう。だが感情を高ぶらせていく「戦隊長」に、突然「民間人の男」が「方言」で語り掛ける。「カマー?…我どぅやしが、カミーよ」、と。するとそれまで高圧的にまくしたてていた「戦隊長」は我慢しきれなくなったように「方言」で叫び声をあげ、3人はひしと抱き合い涙で再会を喜ぶ。どうやら「本土」から来たと思われていた「戦隊長=調教師」は、「民間人=陳列された男女」と同様、沖縄の人間だったようだ。ここまでの「調教」が言語を用いて「日本語」が話せない存在としての「琉球人」を「日本人」の下位に固定化しつつ、同時に日本化しようとするものであったとするなら、ここでは「方言」がその調教の構造を切り崩している。だがこの突然の再会で大団円を迎えるかと思いきや、「戦隊長」は突然調教師に戻り、投降を呼びかける「たどたどしい日本語の、アメリカ人の声」に「異常なまでにうろたえ」、その後、手りゅう弾の爆発で死んでしまう。焦った男はどこからかムチと帽子を持ってきて、女と死んだ調教師を並べて座らせ、ムチを鋭く鳴らしてこう言う。「皆さん、こんばんは。本日はわが「人類館」へ、ようこそおいでくださいました」。
以上をふまえてこの作品を読んでみよう。作品内の人物関係は実際の差別関係と並行した、「調教師=本土(=日本)」対「陳列される男女=沖縄」という対立構造に見える。だがすでにみたように、劇が展開し終盤に差し掛かるところで対立は瓦解し、片方の死とともに役割が交換される。本土と沖縄の対峙に見えた本作は、「琉球」と日本の一部としての「県」の間に引き裂かれたアイデンティティの悲劇であったことがわかる。これこそが本作品の最大の仕掛けであるとひとまずは言えよう。
だがこの解釈だけでは不十分だ。「琉球人=陳列された男」と「県人=調教師」が究極的には交換可能となるとき、そこでいくつか大きな問題が露わになる。まず重要なのは、男性同士が最終的に役割交代を果たす一方で、「陳列された女」にはその機会が欠如しているという点だ。男性間で交換可能な同質的アイデンティティにはどうやら男性中心的かつ男同士の絆で結ばれたまさしくイデオロギーとしか呼びようのないものが潜んでいるようだ。これに加えてもう一つ、重要な問題がある。登場人物たちの涙ながらの再会は暴力にさらされた揺れる沖縄のアイデンティティの悲劇を表すわけだが、これは作中に「本土=日本人」がもともと登場していなかったことを明らかにしつつ沖縄あるいは琉球を排除した「日本人」のアイデンティティを作品の埒外に留めて保持することとなる、という点だ。「本土」出身のわたしからすれば、作中でわたしが自身を同定する位置は暴力をふるう「調教師」のそれなのだが、先ほどの再会を経て役割交換がなされると、それが間違いだったことに気付き、唖然とする。だが、実はこの作品に「本土=日本人」が異なった形で書き込まれていたと考えてみるとどうだろう。すなわち「調教師=陳列された男」の語りかける「皆さん」だ。「調教師」は「展示物」紹介の際、学術的で知的な言葉を用いているが、あきらかにエンターテイメントとして「展示物」を供している。この強烈な暴力をともなうエンターテイメントを供されるのは、そしてその暴力を発動させているのは物見遊山で人類館に足を運んだ「本土」の「皆さん」だ。だが戯曲のト書きに即して考えると、この登場せざる登場人物は暴力と死と役割演技の交換を安全な埒外から見つめる観客であるということにもなる。単純な対立関係が瓦解し登場人物全員(「オール」)が沖縄の人となり、そして暴力が連鎖していくこの舞台を見つめている観客に、この戯曲を読むわたしが含まれていることを否定できるだろうか。
調教師の呼びかける「皆さん」は博覧会の学術人類館の観客であり、この作品の観客であり、そして基地問題に揺れ続ける沖縄を他人事のように、もしくは学術的で知的な態度で本土からみるわたしたちなのではないだろうか。ここで、再会から調教師の死と役割交換へと展開する契機となった「声」の存在を思い出す必要がある。その「声」は登場人物たちにこう呼びかける。「ニッポンノ、ミナサン。戦争ハ終リマシタ」。この呼びかけは舞台上の3人を暴力的に「ニッポン」人と同定するのだが、「ミナサン」は「皆さん」にも向けられている。
「オール沖縄」が本当に「オール」なのか慎重に問わなければならない。だが、その問いは「オール沖縄」が対峙しようとする「本土=日本」を問い直すものでもなければならないし、あの「声」をふまえてここまでにいたった歴史を精査しなければならない。この問い直し抜きにして、沖縄で現れている問題を「沖縄対本土」の単純な線引きを越えた、わたしたちの問題として考えることはできないだろう。