有光 哲彦【略歴】
有光 哲彦/中央大学理工学部助教
専門分野 音響工学
従来、音環境における主な関心は、人の心理および生理的に影響を及ぼす聴覚上の不快感でした。また、音環境により日々の活動や心理状態も影響を受けることが知られていました。
機械製品に着目すると、聴覚や視覚等のそれぞれの五感に訴えるデザイン性の向上に伴い、感性を考慮した質感に関する研究が進められています。一般的に聴覚を含む“感性”とは、「外界の刺激がヒトの感覚器で認知された後に発生する感情表現(心理反応)までの情報の流れや、それに伴う生理反応」と捉えられています。そのため、人の心理反応および生理反応の評価により、目的のデザインおよび環境が構築できると考えられます。
聴覚は、機械製品の色彩や形状などの視覚、風刺激の自然性や快適性などの触覚等の五感とも関連し、それぞれの感覚の状態により心理反応や生理反応に変化が生じることが知られています。そのため、五感を刺激する機械製品で構成する空間においては、聴覚のみでなく五感の相互作用の影響を考慮した音環境創りが望まれています。言い換えると、それぞれの空間において人の活動の目的は多様であり、音環境により心理反応および生理反応を制御することで活動の支援が期待されます。
図1 対象空間における音環境の機能性の概念
住宅、自動車、および医療施設などの私的空間や、学校、職場、駅構内、および街などの公共空間の対象空間では、人の快適性や知的生産性の向上などの活動の目的に応じた機能性を有する音環境(以下、スマートサウンドスペース)の構築が望まれています(図1)。例えば、大学附属病院などの医療施設では、患者および医療従事者に対して大規模な音環境に関する設問調査を実施し、立場や空間の目的に適切な音環境が必要であることがわかりました。
スマートサウンドスペースを構築するには、図2に示すように、人の聴覚を含む五感の相互作用を考慮した多領域で活動支援する制御方法が必要です。そのため、心理反応として設問調査に基づく主観評価技術や、生理反応として生体情報に基づく客観評価技術、および多領域音場制御技術を利用します。
また、図2に示す次の三点に着目することで、活動支援に大きく貢献できると考えています。まず、①「人の状態検知」では、音環境への心理反応および生理反応のメカニズムを、聴覚モデルとして構築します。次に、②「機能音の生成」では、人の聴覚を含む五感の相互作用を考慮した聴覚モデルを活用し、音環境に適切な機能音を生成します。さらに、③「音環境の創造」では、色彩などの光刺激やゆらぎ風などの風刺激を考慮して、多領域で目的の音環境を構築する多領域音場制御を行います。
それでは、研究の実施例について説明して行きます。
図2 スマートサウンドスペースの構築概念
近年、家電製品の外装、自動車のボディや内装トリムには色彩デザインの選択肢が増え、その色彩に相応しい製品音のサウンドデザインが望まれています。そこで、感性を考慮したサウンドデザインの応用的研究を通じて、音環境の創造には聴覚および視覚の相互作用を考慮する必要性があることがわかりました。
まず、構造物の色彩による視覚刺激が聴覚に及ぼす影響について検討しました。次に、自動車ボディの色彩の印象に相応しいサウンドデザインを提案するため、主観評価によるボディ色と動作音の印象との関係性を表す視聴覚モデルを提案し、聴覚および視覚の相互作用について検討しました。その結果、構造物の色彩および動作音はそれぞれで重厚性、明瞭性および快適性の印象評価を示し、視聴覚マッチング試験の実施より色彩と動作音には適切な関係性があることがわかりました。また、聴覚と視覚が整合するサウンドデザインは、生理反応よりストレス負荷を軽減できることを見出しました。
色彩が動作音の印象に及ぼす影響は、色彩の明度は音の重厚性に、彩度は音の明瞭性にそれぞれ寄与します。また色彩の明瞭性と音の快適性は逆の傾向を示し、これらの傾向を考慮することで色彩に相応しいサウンドデザインができます。
図3 多領域音場制御による音環境の概念
応用研究として、聴覚を含む五感の相互作用を考慮したスマートサウンドスペースを提案します。生活のくつろぎ支援や入眠前の安静時の誘眠支援を想定し、夏場の空調時を想定した基準室温に設定した実環境において、送風時の音環境のみでなく色環境を考慮した複合刺激による体感温度に及ぼす影響について検討しました。設問調査に基づく主観評価および生体情報に基づく客観評価より視聴覚モデルを構築し、体感温度を制御可能な機能性を有する音環境が構築できるようになります。
まず、音環境が体感温度に及ぼす影響を調査しました。送風音に含まれる高周波数帯域成分には、人の冷感を誘発させ、快適感かつ冷感を有する適切な周波数帯域が存在します。また、周波数帯域と冷感との間には線形的な関係性があり、音響心理評価量のシャープネスを用いた体感温度の聴覚モデルができます。
次に、色環境が体感温度に及ぼす影響を調査しました。色環境における照明色には主観評価より冷涼性および誘眠性があり、xy色度図の色度x成分は体感温度に影響を及ぼし、色度図と体感温度との関係性に基づき、色度xによる視覚モデルが構築できることがわかりました。また、色環境の体感温度への影響は、±1 ℃と音環境の影響と同程度でした。
さらに、音環境および色環境を組み合わせ、複合刺激が体感温度に及ぼす影響を調査しました。冷感および暖感に及ぼす影響が顕著であった音環境と色環境を同時に考慮することで、体感温度を効果的に変えられるようになりました。
近年では、空調機器による風環境の自然感や快適感などを向上させることに成功し、音環境、色環境との統合制御により、家電製品そのものだけでなくスマートホームや自動車車室内等への適用が可能となります。
図4 多領域音場制御による音環境の概念
上述のように、人の目的に適切な音環境を多領域で構築します。まず、自動車車室内の多領域で音環境を制御する、『多領域音場制御』により創造する音環境の概念を図4に示します。半導体技術の発展より、プレミアムオーディオシステムでは10個以上のスピーカが搭載された自動車が増えてきました。左図の様に音楽鑑賞では音楽ライブやコンサートのステージ前席にいる疑似的な体感を可能にし、デジタルフィルタによるイコライジングによって音質感、定位感、および奥行感の優れた音場が創られてきました。また、ナビゲーションのガイド音声も同時に全ての乗客に伝わりますが、睡眠中の子供らにとっては不要な音情報であり、この場合は伝達しない方がよい音環境であると言えます。
一方で、近未来の自動車運転は自動化されます。運転手や乗客の乗車中の活動は多様化され、多領域で個人に特化された個別の音環境が必要になります。そのため、運転手や同乗者のそれぞれの座席位置に、快適性、居眠り運転から覚醒させる安全性,および操舵性の向上等の機能音(スマートサウンド)を伝達する音環境の制御方法を確立することが必要です。運転者や同乗者の心理や生理的条件に適切な音環境の提供は、将来における車室内空間の望ましい姿であり、適用分野の発展が期待できます。
そこで、多領域音場制御理論を車室内に適用し、乗客毎の制御領域に対して音情報の効率的な伝達方法を検討しました。乗客の頭部周辺の目標音場が、機能音の伝達領域や非伝達領域などの具体的な音圧分布で与えられる場合には、目標音場を達成するためのデジタルフィルタを導く方法が有効です。まず、車室内にマイクロホンを取り付けるフレームを設置し、運転席および後部座席の二つの各領域で多数のスピーカとの音響伝達関数を測定します。次に、音響伝達関数より効率的に音情報を伝達するスピーカ配置を決定します。さらに、目標音場に対するデジタルフィルタを検討し、効果的な出力方法を検討します。結果、多領域で目標の音場を構築できることがわかりました。16チャンネルのプレミアムオーディオシステムを搭載した高級セダンに適用したところ、一部のスピーカの配置を見直すことで、目的の音場が得られることがわかりました。
これらの技術は自動車だけでなく住宅のほか閉空間であれば実用化が可能です。
本研究の究極の目標は、人が居る環境において、個人の聴覚モデルに基づいて常に適切な活動支援を提供することです。設問調査に基づく主観評価技術ならびに生体情報に基づく客観評価技術、および多領域音場制御技術を利用し、①「人の状態検知」、②「機能音の生成」および③「音環境の創造」の観点より音環境の制御方法を確立することで、人への活動支援に大きく貢献することができます。
今後は、人と環境が協調して環境自体が進化し、人への活動支援の効果が持続可能な音環境(サステナブル・サウンドスペース)の提供が期待されます。