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岡嶋 裕史

岡嶋 裕史【略歴

つなぐ

岡嶋 裕史/中央大学総合政策学部准教授
専門分野 情報ネットワーク、情報セキュリティ

 私はネットワークが好きで、ネットワークのプロトコルというもの研究をしています。プロトコルというのは、あまりふだんの生活で馴染みがない言葉ですが、通信をする上でのお約束と考えておいていいと思います。のろしをあげると「敵が攻めてきた」とわかるのは、のろしをあげる方と観測する方が同じお約束に則っているからです。このお約束がうまく機能しないと、のろしを山火事だと勘違いしたり、糸電話で両方が喋る役をやってしまったりという惨事が起こります。

 最近では、なんだかネットワーク以外の仕事も多くなってしまって、本当に自分はネットワークの研究をしているのかと自問することもありますが、手がけている仕事はすべて「つなぐ」というキーワードに収斂することができます。ネットワークとは、節点を経路で結んで流れを作る機構、すなわち「つなぐ」手段です。私はたぶん、何かと何かをつなぐのが好きなのです。

つながらないはずなのに

 私はどうも集団生活が苦手な子どもでした。学校では先生に当てられないようなステルス性ばかりを磨いていた気がします。人前に出るのが苦手だったので、村人8の役が当たっていた学芸会をズル休みしたことがありますが、クラスのみんなはあまり気づいていなかったように思います。

 そんな私の転機は高校への進学でした。父の会社が傾いたのです。何ということでしょう、これで高校に行かない口実ができました。単に「集団生活が苦手で・・・・・・」では社会の目が厳しすぎますが、「父の会社を立て直すために」だと何だか立派な人のようです。私は嬉々として進学が決まっていた高校へ退学届を出しました。

 大学の4年間をラッキーピリオドなどと言いますが、私のラッキーピリオドは間違いなくこの5年間でした。私は存分に自宅に引きこもり(国内でも先駆的な引きこもり事案だと自負しています)、存分に「大戦略」に耽溺しました。昔のPCゲームです(もちろん、父の会社も手伝っていました。世間に後ろ指を指されない程度に)。

 物理的に堅気の人たちと隔絶した生活を送っていたわけですが、不思議と孤独感はありませんでした。もともとが人の集まるところが苦手な質なので当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、パソコン通信の草の根BBS(インターネットの商用開放は、まだもう少し先です)などで他の人の会話を眺めてお腹いっぱいになっていたのも大きな理由かと思います。自分のことながら、「人はネット越しのこんな文字の羅列を読むだけで、つながった気になれるんだなあ」と不思議になりました。そのとき私は確かに、電子の海で何千人ものユーザとつながっていたのです。

 おそらくこのとき、「何かと何かをつなげるのは面白いことだ」と思ってしまったのです。そして手元の「大戦略」を見て、AIと戦うよりも、ネット越しの生身のユーザと戦った方が面白そうだ、とも思ってしまいました。たぶんこのときに、コンピュータのネットワーク周辺をうろうろして禄を食む人生が確定しました。

入門者をもう少し難しい領域につなぐ

 このまま通信の研究の話題に展開していくのが、こうした文章を任された筆者の責務だと思うのですが、たとえば「全銀手順」などという、銀行間の通信プロトコルのお話をしたとして、どれだけの方に喜んでいただけるか、想像するのも恐ろしいほどです。おそらく睡魔の誘発という一点において、極めて高純度な破壊力を持つ文章が仕上がることでしょう。

 ですので、もう少し違う「つなぐ」お話をします。私は小心者なので、引きこもり中の5年間も一応将来のことを考えていました。父の会社など、立ち直るはずがないので、何か手を打たねばならず、取り敢えず大検を受けました。しかし、1.高校で何単位かだけでも取っておくと受験すべき科目数が減ること、2.人が少ないこと、3.世間体もあること、といった論点で両親に説得され、夜間の高校に通ったことがあります。

 確かに夜学は少人数教育です。理想的なクラス編成といってもよいでしょう。しかし、私の時代の夜学が輩出する人材はなかなかハードでした。というか、どう見ても堅気の人がいません。時代は飽食へと突入しつつあり、苦学生などというものは絶滅し去った後だったのです。

 私も引きこもりですから「堅気の人」の範疇に入るのはおこがましいのですが、どう考えてもベクトルが異なります。しかも、少人数教育なので、義務教育中に磨きに磨いたステルス性を発揮しにくいのです。あっさり捕まった私は、「君は中学時代に成績がよかったようだね。もしよければぼくたちに勉強を教えてくれないか」といった趣旨のことを、まったく異なる用語と態度で依頼されました。たぶん断ると後がない依頼です。

 この依頼を「嘆かわしい」と評価すべきか、「宿題を全部やってこいではなく、勉強を教えてくれだなんて、なんと謙虚で向学心にあふれた若者か」と評価すべきかは、評価者を取り巻く環境に依存するかと思われます。しかし、渦中の私にとっては、教皇の勅書のように神聖な御言葉でした。だって、ちゃんと教えられなかったら、きっと物理的な報復が伴います。

 モチベーションも知識の蓄積もない相手にものを教えさせていただくというのは、なかなかの難事業なのですが、私は彼らによって、この出口の見えないトンネル掘削のような作業への耐性をかなりつけてもらいました。私は基本的に皮肉屋なのですが、皮肉ではなくそう思います。そして、この「入門者をもう少し難しい領域につなぐ」仕事がかなり好きになり、その後ずっと続けることになりました(でも、身の危険はたくさん感じたので、夜学は1学期だけで辞めました)。今まで書かせていただいた書籍に、入門者向けのものが多いのは、色々理由はあるものの、この時の経験が大きく影響しています。

性質の異なるものをつなぐ

 入門者向け書籍というのは、割といつの時代にも需要があったものなので、書き方の定跡はかなり整備されていると言えます。教養新書などで好まれるのは、比喩表現の多用でしょうか。「インターネットは高速道路のようなもので・・・・・・」などで始まるアレです。私もこれが好きで、以前はけっこう使っていました。「ウェブはメロンの皮のようなもので・・・・・・」とか「将棋の美濃囲いというのは、上面装甲の薄い戦車のようなもので・・・・・・」とか趣味に走ったことを書いていたら、「この著者の日本語はおかしい」とだいぶ叩かれたので、最近はご無沙汰しています。小心者なので、怒られるのが怖いのです。

 それはともかくとして、比喩表現には「わかった気にさせるだけ」、「本質を掴み損ねる恐れがある」という批判があります。多用した経験のある私でさえ、その通りだと思います。イーサネットを糸電話になぞらえて説明したとして、理解したと錯覚してもらう文章はきっと書けるでしょう。しかし、それを読んだ人の相当数は、イーサネットを誤読するでしょう。頭のいい人はものの本質を極めて簡素に説明できるらしいですが、やはり難しいものは難しいのであって、たとえ話や抽象化によって零れ落ちていく情報はかならず発生します。その、「ふるいにかけられた枝葉末節」が意外と全体像の理解に必要だったりするので、理解を促すために些末をばっさり切り捨てた書籍は危険です。上記の批判は、とてもまっとうで大切なものだと言えます。

 ただ、その危険を理解した上で、それでも「ちょっとわかった気になってもらう書籍」は必要なのだと思います。高校生だけれども分数の理解に難があるとか、be動詞の次にはc動詞があるはずだと信じているとか、そういう人たちは少なからず存在していて、でもちょっとしたきっかけがあれば、難しいものを難しいままに学ぶところまで進んで行けそうなのです。だから、批判はされつつも、そして批判されてへこみつつも、ちゃんとした書籍にステップしてもらうための「つなぎ」としての入門書を、これからも継続して書いていきたいと考えています。もちろん、機会がもらえればですが。

 最近、すごいと思ったのは、「艦これ」です。旧日本海軍艦艇を擬人化したゲームですが、あれは確実に若年層男子の旧日本海軍艦艇の知識を底上げしました。私も結構な艦艇マニアでしたが、「艦これ」のユーザは極めてエッジの効いた、マニアックな知識をさらりと有しています。艦が萌えキャラへと擬人化されることで生まれる親近感、イラストに組み込まれる記号としての装備、キャラクタの相関関係で示される組織と歴史・・・・・・、教養新書でやろうとしたら、重量級の書籍が出来上がるであろう情報量が1枚のイラストに詰め込まれています。萌えキャラと艦艇という、本当に親和性があるのかどうかもわからない、異なる性質を持つものをつないで、独自の知識体系を作り上げてしまいました。

 この手法はいいなと思ったので、技術擬人化プロジェクトというのを始めました。ネットワークを構成する技術であるIPやTCPを萌えキャラに擬人化するのです。・・・・・・また、叩かれそうな企画なので(叩かれる以前に黙殺される気もします)、こっそりやっています。

 妙な話ばかりしてしまったので、最後にもう少しちゃんとした研究のことにも触れておきます。つなぐ技術はますます先鋭化し、IoT(Internet of Things)などへと展開しています。それ自体は素晴らしいことですが、情報漏洩や監視社会など、つながりすぎの弊害も目立ってきました。ずっと「つなぐ」研究をしてきたのにおかしなことですが、今はつながりを抑制して適切に管理する方法について調べています。

 また、障害者が健常者の世界に容易にアクセスするための技術も開発していきたいと考えています。パソコンやスマートフォンは、そもそも個人の能力を拡大するもの、として開発が進められてきたものです。各種のバリアフリー政策が進んでいますが、情報技術によってもう少し障害者の能力を、アクセスできる範囲を拡げていけると思われます。私の子供は障害があって、端で見ているとやはり生きるのが難儀そうです。この子が成人する頃までに、ちょっとだけでもこの分野の研究に貢献したいです。

岡嶋 裕史(おかじま・ゆうし)/中央大学総合政策学部准教授
専門分野 情報ネットワーク、情報セキュリティ
東京都出身。1972年生まれ。1997年中央大学総合政策学部卒業。1999年中央大学大学院総合政策研究科博士前期課程修了。2004年中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。関東学院大学経済学部専任講師・准教授・情報科学センター所長を経て2015年より現職。現在の研究課題は、いわゆるネット炎上の生起原理の解明や、障害児支援情報システムの開発など。主要著書に『こどもが楽しむ「プログラミン」入門』(技術評論社、2015年)、『ビッグデータの罠』(新潮社、2014年)、『ネット炎上』(日本経済出版社、2014年)、『ポスト・モバイル』(新潮社、2012年)、『実験でわかるインターネット』(岩波書店、2010年)、『構造化するウェブ』(講談社、2007年)、『郵便と糸電話でわかるインターネットのしくみ』(集英社、2006年)などがある。2009年より、NHK教育テレビ スマートフォン講座講師。