マーケティング論の本質は、顧客視点にあります。顧客視点とは、顧客の意見に単純に耳を傾けるというより、顧客の心理および行動メカニズムを論理的に理解することです。顧客はときに非論理的な意思決定を行いますが、それをも論理的に説明しようとします。ここでは、顧客視点から「ハラル認証」について検討してみましょう。
最近、日本企業においてハラル認証への関心が大いに高まってきています。ハラル(halal)は、イスラム法において許されたものを意味します。たとえば、ある食品中に、イスラム教が摂取を禁じている豚由来の成分やアルコールなどが含有されていないとき、ハラルとして飲食が許されます。一方、ハラム(haram)は、禁じられたとの意味で、豚肉など摂取が許されないものを指します。そして、ハラル性は、食品のみならず化粧品、医薬品、衣料品など様々な分野におよびます。ハラル認証とは、イスラム教や政府関連団体が、成分や製法などを精査し製品がハラルであることを認証することです。ここで、ある製品がハラルであることと、ハラル認証されることは別の問題です。認証されていないハラル製品は数多くあります。
新興国の経済発展によるムスリム消費者の購買力の増大と、先進国市場の成熟化を背景に、先進国企業が新たなビジネス・チャンスを求めて、ハラル認証へ関心を寄せています。ただ、ハラル認証はビジネス(売上、顧客の獲得・維持など)にプラスとの暗黙の前提の下、顧客視点から十分に議論されてきたとは言い難いようです。そこで、ハラル認証に対する顧客の心理的メカニズムを検討してみましょう。
消費者推論の枠組み
ハラル認証には相当の費用が発生します。このため、イスラム教徒人口が大である国においても、地場企業の多くは(製品がハラルであっても)認証を受けていません。つまり、ムスリム消費者はハラル性が十分には明確ではない状況下で、購買や消費を行っています。このとき、彼らは推論により眼前の製品のハラル性を判断します。
必要な情報が不十分であるとき、限定された情報に基づいて、個人は推論(inference)により意思決定を行います。たとえば、品質に関する情報が不足するとき、ブランド名や価格などにより品質を判断することなどです(属性間推論)。
推論は、まず、
A)帰納推論(induction inference):特定の現象から、一般的法則や普遍的命題を導出すること、
B)演繹推論(deduction inference):一般的法則や普遍的命題から、個別の結論を導出すること
に分類できます。また、推論における情報処理として、
C)刺激ベース(stimulus-based):当該時点で負荷された情報により判断すること、
D)記憶ベース(memory-based):既に取得済みである知識・信念・態度・スキーマなどから判断すること
に分類できます。さらに、
E)単一判断(singular judgment):ひとつの対象についてのみ判断すること、
F)比較判断(comparative judgment):複数の対象を比較して判断すること
に分類できます。そして、推論の枠組みとして、(AまたはB)かつ(CまたはD)かつ(EまたはF)の8通りが提案されています。たとえば、演繹推論・記憶ベース・単一判断による推論などです。
属性間推論によるハラル性の判断
前述のように製品のハラル性とハラル認証とは別問題であるため、ハラル製品であっても認証を受けていない場合が大半です。また、ハラルであるか否かは、一見しただけでは判断が困難です。たとえば、ある調味料に豚由来成分が含まれているか否かを消費者は判別できません。このとき、ムスリム消費者は、入手可能である他の属性に関する情報を手掛かりに、眼前の製品のハラル性を判断します(属性間推論)。すなわち、どのような製品がハラルであるかとの一般的事前知識(たとえば、「イスラム教徒が多い地域である、店主・従業員がイスラム教徒である、ムスリム消費者を対象としているとき、提供されている製品はハラルである」など)に基づいて、ハラル性を積極的には確認することなしに、ハラルであると判断します。このとき、推論の枠組みは、演繹推論・記憶ベース・単一判断です。
演繹推論・記憶ベース・単一判断においては、全体的評価が個々の属性評価に影響を与えるハロー効果が指摘されています。これは、たとえば、「良い製品だから品質が高い」との非論理的な判断です(「品質が高いから良い製品である」が論理的判断です)。こうした意思決定においては、企業はときに消費者からの激しい感情的反応に直面する危険性があります。たとえば、ムスリム消費者は、ハラルであることを暗黙の前提とし、通常、その証拠を求めることはないが、問題が発生したとき過剰に反応するという指摘があることなどです。
三段論法によるハラル性の判断
一方、ハラル認証は、ハラルであることを証明にする外部刺激です。ハラル認証が明示されたとき、推論は、記憶ベースから刺激ベースへ変化します。すなわち、演繹推論・刺激ベース・単一判断となります。このとき、個人は三段論法により論理的に判断します。すなわち、「この製品にはハラル認証が付与されている、ハラル認証はハラル性を証明する、よってこの製品はハラルである」との理詰めの判断です。
ハラル認証なしにハラル性を判断できるとき、ムスリム消費者は(非論理的であっても)正しい判断を下すことができます。一方、ハラル性を判断する情報が相当に不足するとき、または、過剰に反応したとき、ハラル認証はムスリム消費者が論理的に判断するための証拠として機能します。これより、日本企業がイスラム教国において現地消費者を対象とするとき、ハラル認証は必ずしも必要ではないかもしれません。一方、たとえば、イスラム教徒が少数である地域においてムスリム消費者向けに製品を提供するとき、または彼らに論理的な判断を促したいとき、ハラル認証は効果を発揮します。
ハラル認証の負の側面
一方で、ハラル認証の負の側面にも注意する必要があります。すなわち、①ハラル認証はイスラム法におけるハラル性を証明するに過ぎず、品質証明ではありません。そして、②原材料・製法などの制限ゆえに、品質に劣ると判断される危険性もあります。また、③ハラル認証は政治と関連付けられることもあります(たとえば、マレーシアにおけるプミプトラ政策など)。さらに、④ムスリム消費者の購買力は増加しつつあるものの、たとえば東南アジアにおいては中国系のそれには達していないため、低所得層向けの製品とみなされる危険性もあります。さらに、⑤多くの欧米高級ブランドはハラル認証を受けていません。
このため、ハラル認証が付与された製品を、非ムスリム消費者は、自分たちを対象としていない・必ずしも高品質ではないと推論する危険性があります(一方、ハラル認証がないとき、ハラル性の判断には曖昧さが伴うため、ムスリム消費者にはハラルであると、非ムスリム消費者にはイスラム教とは無関係であると推論させることが容易です)。
帰納推論による手掛かりの変更
ハラル認証が外部刺激として負荷されたときの、非ムスリム消費者の推論枠組みは、帰納推論・刺激ベース・単一判断であると考えられます(一方、ハラル認証下でのムスリム消費者の推論枠組みは、演繹推論・刺激ベース・単一判断でした)。これは、非ムスリム消費者のハラル製品に対する知識(たとえば、ハラルであるから美味しくない)は、演繹推論を導く一般的法則ではなく、帰納推論を導く個人的経験(レストランで食べたときに美味しくなかった)であると理解できることによります。そして、帰納推論においては、複数の手掛かりを用いて、帰納的な判断がなされます。たとえば、ハラル認証を受けた日本メーカーによるチョコレートに対して、ハラル、日本メーカー、チョコレートなどに関する複数の個人的経験により製品が評価されることなどです。
帰納推論・刺激ベース・単一判断において複数の手掛かりに注目するとき、手掛かり交互作用効果(cue interaction effects)が働きます。これは、競合する複数の手掛かりを用いて意思決定するとき、ある手掛かりの予測力が高いと判断できるならば、当該手掛かりが重要視され、競合する手掛かりの重要度が減退することを言います。
この効果を利用することにより、ハラル認証を受けた製品に対する、非ムスリム消費者による否定的な推論を修正できます。すなわち、日本製であることなどハラル認証以外の手掛かりを強調した後、当該手掛かりの重要度を高め、ハラル認証の重要度を低減させることです。たとえば、競合する手掛かりとして「ハラル認証」と「日本製」があるとき、「日本の製品だから美味しいだろう」との判断が、「ハラルだから美味しくないだろう」との判断より正しいとき、日本製が手掛かりとして重用され、ハラル認証は注目されなくなります。これにより、ハラル認証を刺激として負荷したときの、非ムスリム消費者のよる否定的な推論を回避することが可能となります。
その他の対策として、たとえば、製品カテゴリーによる推論枠組みの使い分けが考えられます。たとえば、ハラル性の判断が困難なカテゴリー(調味料など)においては、ハラル認証による刺激ベースでの推論を促す一方、ハラル性の判断が容易ないし問題とならないカテゴリー(飲料水、植物性食品など)では、ハラル認証を取得せず記憶ベースの推論にとどめることなどです。
推論枠組みの拡張
ここでは、消費者の推論枠組みに依拠して、ハラル認証のビジネス上の効果と課題について検討してきました。ここでの議論は、ハラル問題にとどまらず様々な課題に拡張可能です。たとえば、ハラル問題は食の安全性・偽装問題とよく類似しているとの指摘の下、推論枠組みを用いることにより、食品メーカーが直面する課題に広く対応できるでしょう。また、ハラル認証をブランドと考えれば、ブランドを手掛かりとした製品評価にも拡張可能です。