細野 助博【略歴】
細野 助博/中央大学総合政策学部教授 公共政策研究科委員長
専門分野 都市政策・公共政策
いま「消滅都市」と言う言葉が一人歩きをしていて、人口減少に悩む自治体は危機感にとらわれています。また、「東京一極集中はけしからん、なんとか食い止めねば」という声もあちこちから上がってきます。でも人口減少は二つの要因から起ります。一つは出生数と死亡数の大小で決まる自然増減です。もう一つは流入数と流出数の大小で決まる社会増減です。この二つの要因の足し算で人口増減が決まります。若い人たちが多く集まれば、婚姻率が高まります。婚姻率が高まれば、出生数にプラスに働きます。では、若い人たちはどうすれば、集まるか。若い人たちが魅力を感じる学校を作り、学校を出たら入りたいと思う職場があり、そして将来に対して希望が持て、暮らしやすく、子育て環境も良い地域であれば、皆集まってきますね。そのような地域を「みんなで協力して」作り上げることが、まちづくりです。
ここで、「みんなで協力して」と言うフレーズが重要です。ここに公共政策が活躍する場があるのです。これまで「おおやけ=公」を中央政府+地方政府という図式で、公共領域(おおやけ)の問題は公で、それ以外の「たみ=市民、住民?」はそれに従えと言う体制が続いてきました。また、「おおやけ」の意思は「おとこの論理」で動いていました。たとえば、近隣公園には子供の遊び場が普通作られていますね。でも子供のブランコのそばに、喫煙の場所があったりするわけです。これは子供たちやタバコの嫌いな若いお母さん方が受動喫煙の被害を受けることに、何の配慮もないことを意味しますね。震災が起ったとき真っ先に避難場所になる小中学校の体育館。男性のトイレにはそれほどの行列はできませんが、女性のトイレにはいつも決まって長蛇の列。昔は「女性はあまり外で活動しないから」という理屈も成り立ったかもしれません。でも、今は女性も高学歴化し社会参加も活発化しています。むしろ生活圏について日常から様々な体験を通じて一家言を持っているのは女性の方ではないでしょうか。その女性の声を反映させない手はないですよね。
まだあります。大学は日本最大の多摩ニュータウンに隣接しています。入居が始まってからもう43年の月日が経ちました。30代の働き盛りのお父さんも70歳を過ぎた後期高齢者になっています。最も人口の多い団塊の世代も65歳を過ぎました。彼らがニュータウンで一生懸命に育てたジュニアは、仕事と結婚で住まいを都心にどんどん変えています。もちろん、親孝行の娘さんたちを中心に「親の近くに」と再びニュータウンに帰ってくるケースもありますが、大半は何らかの理由でできないようです。多摩ニュータウンは「若い人たちの夢」がぎっしり詰まっていました。若い設計者たちが、若い体力と情熱で作った「新しいまち=ニュータウン」ですから。地形の起伏をそのまま残し、階段と橋で丘陵をつないでいきました。でも年齢を重ねると、重いものを持ちながら歩いての行動は肉体的な制約を受けることになります。公団が建てた初期の4、5階建ての集合住宅には原則エレベータがついてはいません。そこに住む人たちは、現在ほとんどが老人たちです。住まいと年齢はとても関連が深いのです。単に居住費の高低だけで住まいは選択されるとは限りません。ライフステージによって、「住みたい」は変化してゆきます。確かに若い人たちと住みたいと願う老いた人たちは多いのです。でも老いた人たちと住みたいと願う若い人たちはどれほどいるでしょうか。「みんなで協力して」といいましたが、男女の考え方の差や年齢の壁を超越してと言うことがどんなにむずかしいことかがこのようなケースからわかります。
もう一つは「公と民」の協力についても問題があります。先日、知人の依頼を受け、東日本大震災で甚大な被害を受けた地域に講演で訪れました。大震災から4年経ったのでまちづくりも進んでいるのでは、と少しは期待して現地に入りましたが、確かに低地地区には盛り土などの土木事業が進んでいます。でもその場しのぎで作った仮設住宅を離れられない人たちが被災地全体で40%も残っています。あの阪神大震災では2年後に仮設住宅に住まう人たちはほとんどゼロに近かったのではないでしょうか。たしかに、被災者の地域的な広さや対象者の数は比較にならないかもしれません。でも4年の歳月で、人口流出が減速するどころか加速しているところもあります。これはとても深刻な問題です。なぜでしょうか。人口は地域を支える重要な要素です。需要を作り、供給を支え、将来を切り開く力を持っているからです。特に、明日を支える人口を作る再生産を担う若い人口の重要性は説明する必要もないでしょう。
「人口は職を求めて移動」します。移動力と年齢は反比例します。若い人たちが去った地域に明日はやってくるでしょうか。東北は自然の恵みの多いところです。大都市からの距離は確かに遠いのですが、加工して付加価値をつける食品加工の企業は農水関連の生産物にとって、掛け替えのない産業です。農水関連の生産高が全国平均の3倍にも上ることと大都市までの距離を考えれば、単純に考えても食品加工の製造業も全国平均の3倍近い生産高が期待されるところです。さらに高付加価値化が成功すれば、全国平均の4倍から5倍も期待できますね。そうすれば、この成果が農水業にも波及するどころか、他の観光業や流通業にも波及してゆくはずです。でも残念ながら、全国平均と「同じ」でしかありません。とてももったいないことです。土木事業が進むことは誰の目にも復旧が進んでいるという「可視化」ができて、「お役所は仕事をしている」というエクスキューズができます。でも、限られた資源とお金を最優先でつぎ込む先でしょうか。いつまで、建設業に地域経済を支えてもらうつもりでしょうか。工事がすんで「そして若者は誰もいなくなった」と言うのでは、笑えません。広大な被災地に盛り土している光景に、現代のピラミッドを思い浮かべました。クフ王のピラミッドも失業対策でした。古代から人間の知恵は変わらないのかという暗澹たる気持ちになってしまいます。また、現地では、住民は誰も景観を一変させる「防波堤」を望んでいないと言う声も聞きました。「公と民の協力」とは言うは易く、行うは難しなのです。
「県とは何でしょうか?」と真顔で聞いてくる被災地市役所の職員の顔、顔。国、都道府県、市区町村の「三層構造」はどうすべきなのでしょうか。「地方分権」を議論するときにいつも現れる難問です。地方分権一括法で「水平化、補完化」の分業で協力すべきとうたわれながら、相変わらずの上下関係意識が色濃く残っているから、ぎくしゃくしだすと止まらない。その上に法律の解釈がばらばらだからと、困っている被災住民の姿を見て市区町村は国と直接交渉する道を選ぶ。これは被災地だけの問題ではないのです。都道府県と話していては間尺に合わないと、多くの市区町村が国と直接交渉を望む。彼らもそれだけ力をつけてきている証拠でしょう。それを都道府県は「市区町村は良くやっている」という度量を見せて、本来の仕事をもっと高水準のものに進化や昇華させる気概を持てば良いが、残念ながら現場はドロドロの状態を脱していないところが大半なのです。お互いに都合の悪いことは他に押し付け合う、おいしいところは何が何でもの「お役人体質」から抜けきってはいないのが現状です。二重、三重行政のつけが財政難を羽交い締めにしている愚からどうやって脱出するか、今日本で問われているのです。
どうすればバラマキが止まり、効率的な政府が実現するのか。どうすれば公共領域に助けを求める人たちに向けて迅速に効果的な救いの手を差し伸べることができるのか。経済財政政策と社会福祉政策の補完と代替を前提に、「国民各層の社会的厚生」の観点から分類し、望ましい組み合わせを提案することが公共政策の使命とも言えます。政策の形成、政策の決定、政策の実行、政策の評価の「政策循環」が社会的厚生の増大につながるような理想的仕組みづくりが公共政策に期待されています。「公共」とは公と民、公と公を橋渡しするきわめて今日的概念です。それを体系的学問にすべく、学会を組織し運営する仕事に関わると同時に、その苦労を「まちづくり」という体験型学習(PBL)を通じて、学生たちと分かち合っている毎日です。