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石島 博【略歴】
~センチメント分析が切り拓く新たなファイナンス研究と学際領域~
石島 博/中央大学大学院国際会計研究科・教授
専門分野 社会システム工学、財政学・金融論
「センチメント」とは、見えざる人々の心理や世の中の雰囲気を表します。私が研究対象としている金融経済や企業経営においては、そのようなセンチメント、あるいはアニマル・スピリットと呼ばれる人々の心理は重要であると考えられます。私たちは、仕事をしたり、勉強をしたり、家族と生活したり、買い物をしたり、休暇を取ったりするなかで、これからの夢や暮らし向きなどについて、希望とか、逆に不安とか、あるいは、よく分からない…とか、何かしら感じることがあると思います。そうした人々の心理や雰囲気といったセンチメントは、人々の行動や、結果として、経済を先導する駆動力となります。換言すれば、センチメントは景気動向を左右し、将来の経済に対する期待を形成しうるわけです。
そのようなセンチメントが如実に反映されるのは市場です。株式などの市場は実体経済を先行すると考えられています。そして、センチメントはその株式市場の現在、あるいは少し先の将来を先導する、あるいは、少なくとも影響を与えていると考えられます。
そこで、このようなアイディアに基づき、人々のセンチメントを読み解き、市場や経済を予測しようという研究が、世界的に今、とても流行しています。
センチメントを分析するアプローチは色々と考えられます。古くから、アンケート調査によって、人々が感じている景況感を調べ、数値化する試みがあります。例えば、消費者や企業経営者への調査を集計したものとして、内閣府による景気ウオッチャー調査、日銀短観、ミシガン大学消費者信頼感指数などが挙げられます。こうした指数は、公的機関により調査され、長年にわたり蓄積されているという利点があります。逆に、公表までに時間を要するという欠点があります。
ここで例えば、市場における株価を考えてみると、時々刻々とグローバルに配信される経済・企業・政治・社会に関するニュースや、それを人々がどのように受け取ったかというセンチメントなど、ありとあらゆる最新の情報が瞬時に反映されて、株価が変動します。したがって、これまでの経済学やファイナンスの多くが対象としてきた過去の経済現象や企業経営活動を分析の対象とするのなら、情報の鮮度はあまり求められません。しかし、生きた経済の「今」を分析するためには、情報の鮮度がとても重要で、とりわけ、人々のセンチメントの「今」を知ることがカギとなります。つまり、いかにナウキャストするか=いかに今を知るかが、現代のファイナンス研究の一つのテーマになっています。
リアルタイムに金融経済を分析する研究例をいくつか挙げてみましょう。わが国において株式を取引する最大の市場といえば、東京証券取引所です。arrowheadと呼ばれる1ミリ秒(1,000分の1秒)の超高速な取引を可能にするシステムが導入されたのは、2010年1月4日のことです。株式に限らず、商いの基本は、「安く買って高く売る(buy cheap sell high)」が基本です。ならば、投資家にとっては、ライバルよりも、1ミリ秒でも速く売買することが、勝者の条件になります。近年、コンピューター・プログラムが売買注文を行う「アルゴリズミック・トレーディング」が取引の大部分を占めるにつれて、超高速かつ高頻度な取引、いわゆる「HFT(high frequency trading)」が、実務のみならず学術のキーワードとなっています。ただ問題点もあって、2010年5月6日の米国株式市場において、数分の間にダウ工業30種平均株価が約1,000ドルも急落した「フラッシュ・クラッシュ」という現象もHFTがその要因の一端であると言われています。
もう一つ、リアルタイム性が重視される研究の話を紹介しましょう。2012年の暮れに始動したアベノミクスでは、その成否の目安の一つとして、物価成長率、つまり、インフレ2%をターゲットしています。この物価成長率は、CPIという指数によって計測します。そのCPIは、消費者物価指数の略称であり、家計が消費する財や実物資産(住居・車など)の価格を集計して数値化します。その成長率がインフレです。1946年8月より、総務省統計局によって公表されており、主要な経済指標として有用なものです。しかしながら、その公表には月単位のラグがありリアルタイム性に欠け、限られた人手でサンプルされるためバイアスの存在も指摘されています。そうした問題点を解消し、リアルタイムに生の経済活動を把握すべく、MITのBillion Price Project(10億の価格プロジェクト)や、それに続く東大日次物価指数プロジェクトが学術主導で行われているところです。
私が取り組んでいるセンチメント分析は、日本語のテキストから心理を抽出するアプローチです。私たちは、ソーシャル・メディア、クラウド、ビッグ・データをキーワードとする時代に生きています。その多くの恩恵を受けている一方で、人が発する言葉に瞬時に反応して言葉を発しています。そのような言葉には、人々の心理が直接的に反映されています。もっとも端的で直接的な感情は、ポジティブな感情や、ネガティブな感情です。例えば、日本語の例文「景気は良いと思われる。」には、ポジティブな感情が反映されています。このように、メディアを介して発信される膨大な日本語には、どのような感情が反映されているのか、現代のテクノロジーを利用して、時々刻々と数値化していくのです。
アイディアはとても単純ですが、実際の作業はかなり大変です。例えば、先に挙げた日本語の例文を英訳すれば、“The economic condition seems good.”です。日本語と英語、コンピューターにとって、どちらが扱いやすいでしょうか。もちろん英語です。英語は一つひとつの単語がスペースで独立していて、冠詞や句読点を取り除けば、この例文には、形容詞・名詞・動詞・形容詞の順序で並んでいることが、簡単に判別できます。一方、日本語は、各単語がスペースで区切られ、独立しているわけでなく、わかち書きなどの処理が必要です。一昔前であれば私は、日本語から感情を数値化してみよう、とは考えなかったと思います。しかし最近では、自然言語処理や、日本語から有用な情報を抽出するテキスト・マイニングに関する研究が急速に発展しており、その成果が実装されたコンピュータ・ソフトウェアが利用可能です。また、金融経済の学術世界でも、心理の側面を重視する行動ファイナンス・行動経済学が確立されているという背景もあります。加えて、欧米を中心として、実務ではすでに、テキスト・マイニングを、株式などのトレーディングに応用したファンドが次々と立ち上がっています。
一方、わが国におけるセンチメント分析を利用したファイナンス研究は、まだまだ始まったばかりです。そこでまず、多くのビジネス・パーソンが読んでいる日本経済新聞を約30年分集めました。その上で、過去約10,920日にわたる、すべての記事と見出しを分析対象として、センチメントを日次ベースで数値化しました。米国では、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)やTwitterを利用した研究論文が有名ですが、日経の発行部数はWSJの1.5倍です(2011年度)。つまり、人口の大小も加味すれば、日経から数値化したセンチメントは、米国と比べ、より強く市場に影響を与える可能性があります。さて、センチメントは株価を予測できるのでしょうか。実証分析の結果は如何に。
予想通り、わが国の市場において、センチメントは持続的かつ有意に株価予測性を持つことが分かってきました(詳細は、コロンビア大学ビジネス・スクールに滞在中に執筆した論文をご覧ください)。
私は、昨年一年間、在外研究の機会を得てコロンビア大学ビジネス・スクール、日本経済経営研究所に滞在し、低く刈り込まれたイチイで囲われた芝生にレンガ畳のまさにアイビー・リーグなキャンパスで、たくさんのことを学び、たくさんの影響を受けました。耳に残った言葉の一つに、シルバー・ライニング(every cloud has a silver lining)があります。私なりに意訳すると、暗澹たる曇り空の反対側は必ず、太陽の光明を受けて銀色に輝いている、ということでしょうか。映画のタイトルにもなったことわざです(世界にひとつのプレイブック(原題 Silver Linings Playbook))。センチメント分析は、まさにシルバー・ライニングという表現がぴったりだと思います。「クラウド」時代のICTを駆使して、日本語テキストをはじめとするビッグ・データから、「雲」に隠れた人々の見えざるセンチメントを読み解く。その応用はファイナンス研究に限定されません。会計やマーケティングや経営・戦略といったファイナンスに近い領域から、選挙予測、政策・行政評価、日本語自体の変遷まで、学際的な研究領域の創出が期待できますので、様々な分野の方々とのコラボレーションを積極的に行いたいと考えております。