小松 晃之【略歴】
小松 晃之/中央大学理工学部応用化学科教授
専門分野 化学、バイオマテリアル
もしあなたが事故や災害にあって、大量に出血してしまったらどうしますか? すぐに病院へ行って輸血をしなければなりません。日本の輸血システムは世界最高レベルにありますから、安心して下さい。しかし、我々はその高い技術をもってしても解決できない深刻な問題を抱えているのです。
御承知の通り、日本は自然災害の多い国です。ひとたび大震災が起きると、一度に大量の血液が必要となります。ところが、血液は長期間保存することができません(赤血球の保存期限は3週間と決められています)。我々が抱える一つ目の問題は、大規模災害時に輸血用の血液が足りなくなるかもしれないということです。また、二つ目の問題は、少子高齢化により若い人の数が減ると、安定した輸血体制の維持が難しくなるということです。現在、日本では輸血用血液製剤の85%が50歳以上の患者さんに使われています。今後、少子高齢化が進み、輸血を必要とする高齢者の数が増え続け、献血者層(若年層)人口が減少すると、12年後の2027年(平成39年)には“年間約100万人分の血液が不足する”と予測されています。病院へ行っても輸血を受けられない日が来るかもしれないのです。この予測は日本赤十字社の推計によるもので、政府広報にも掲載されています。しかし、知っている人はあまりいません。少なくとも私の周りの人たちは、その数字を聞いてびっくりしています。
そこで、“血液型がなく・いつでもどこでも・誰にでも使える人工血液”が「危機管理の主要施策」として、また「輸血治療を補完する医療対策の一環」として強く望まれる状況になってきています。これは輸血システムの整っていない後進国の話ではなく、わが国が直面している現実なのです。本稿では、私の研究室で開発した新しい「人工血液」について紹介したいと思います。
図1.血液の主要成分であるアルブミンとヘモグロビン
人類にとって人工血液の完成は永年の夢でした。その歴史は古く、1970年代末にはパーフルオロカーボン乳剤(牛乳のような白色の液体)が“白い血液”として注目を集め、1980年代になると赤血球の中にある酸素を輸送するタンパク質“ヘモグロビン”(図1)を使ったいわゆる修飾ヘモグロビン製剤が研究の主流となりました。米国では臨床試験(人への投与試験)が最終段階(第三相)まで進みましたが、副作用(血圧上昇)や有効性に問題があり、実用化には至っていません。小さなヘモグロビンが血管からもれ出し、それが原因で血管収縮が起こり、血圧が上昇してしまうと考えられています。本来、ヘモグロビンは赤血球の中に袋づめにされた状態で体内を循環するものですから、ヘモグロビンだけを投与してもうまく機能しないのです。その他にも、ヘモグロビンを内包したナノカプセル型人工血液など、いくつかの製剤が開発されています。しかし、ほぼ半世紀にわたる努力にもかかわらず、2014年現在、認可された輸血用人工血液はありません。
“アルブミン”は血液の上澄み成分である血清の中に多く含まれるタンパク質です(図1)。成人男性の血清100mL中には約5gものアルブミンが溶解しており、血液を血管内に留めるはたらきをしています。代謝産物や薬物を運搬・貯蔵する役目も担っています。私はある時、酸素を運ぶヘモグロビンにアルブミンを結合させれば、安全性の高い人工酸素運搬体、つまり“人工血液”ができるのではないかと考えました。
図2.(ヘモグロビン-アルブミン)クラスターの合成
研究室の学生と一緒に2年間、日夜実験を繰り返し、ついに目的の分子をつくり出しました。それがヘモグロビンのまわりに3個のアルブミンを結合したコア-シェル型の(ヘモグロビン-アルブミン)クラスター(図2)です。クラスターとは英語で“ふさ(房)”という意味で、ヘモグロビンとアルブミンがぶどうの房のようにつながっている形を表しています。我々はこの製剤をHemoAct™(ヘモアクト)と名づけました。
様々な実験の結果、確かに1つのヘモグロビンに3つのアルブミンが結合していることを突き止めました。そうすると次は本当に図2に描いたような形をしているか? ということになります。我々は原子間力顕微鏡という分子1個を見ることのできる顕微鏡を使って、その三角形構造を直接観測することに成功しました(図3A)。さらに、電子顕微鏡写真をもとに分子構造を再現できる特殊な技術により、クラスターの三次元構造を明らかにしました(図3B、C)
図3.(ヘモグロビン-アルブミン)クラスター:(A)原子間力顕微鏡像、(B)電子顕微鏡像、(C)実際の立体構造、(D)ガラス瓶に入った赤色のHemoActt™製剤
その後、直ちに薬学部や医学部の研究者たちとチームを組んで、人工血液としての評価に踏み込みました。HemoAct™の表面はアルブミンで覆われているため、生体はこれを安全な物質として認識します。実際にHemoAct™をラットに投与すると、血中滞留時間は長く、副作用もないことがわかりました。HemoAct™の大きさは約8ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリメートル)と小さく、赤血球(8マイクロメートル)の1/1000ほどです。血管が詰まった部位にも入り込んで酸素を運ぶことがきるため、脳梗塞の新しい治療薬としても期待されています。原料はヘモグロビン、アルブミン、それをつなぐ架橋剤のみ(コストの高い試薬は一切不要)、製造工程は2ステップと少なく、特殊な装置も必要ありません。よく「血液が不足すると、原料のヘモグロビンやアルブミンも手に入らなくなりますね」と聞かれます。ヘモグロビンはウシやブタのものを使うことができます。アルブミンは遺伝子組換え技術でつくることができるので全く心配ありません。HemoAct™溶液(図3D)は血液型がなく、長期間保存が可能、凍結乾燥粉末として保管することもできます。つまり、既存製剤で指摘されている欠点を一切持たない新しい人工血液なのです。
人工血液がプラスチックのバッグや粉末として棚の上に常備され、緊急時にその必要量を患者さんに供給できる体制は、近未来の医療現場に望まれる理想的な姿といえるでしょう。その実現が人類の健康・福祉の向上に多大な貢献をもたらすことは間違いありません。
人工血液の用途・利用分野は幅広く、赤血球の代替物(出血でショック状態に陥った患者さんの蘇生液、手術中に出血した患者さんの補充液、救急車内での酸素供給液)としてはもちろん、心不全・脳梗塞・呼吸不全などによる虚血部位への酸素供給液、移植用臓器の灌流液や保存液、人工心肺など体外循環回路を満たすための補填液、癌の治療効果を上げるための増感剤、再生組織細胞への酸素供給液、さらには獣医療分野からも大きな期待が寄せられています。
災害時の大量需要に対応でき、室温でも長期間保存が可能で、血液型に関係なく、ウイルス感染の心配もなく、いつでもどこでも、誰にでも使える人工血液の市場規模は、先進国・新興国を含む全世界に拡がります。人工血液の実現が、まもなく我々が直面する深刻な血液不足の危機を乗り超えるための切り札になることを願い、現在HemoAct™の実用化に向けた研究を急ピッチで進めています。