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トップ>研究>平地人を戦慄せしめよ―『遠野物語』に見る異界と神々

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戸口 日出夫

戸口 日出夫【略歴

教養講座

平地人を戦慄せしめよ―『遠野物語』に見る異界と神々

戸口 日出夫/中央大学商学部教授
専門分野 ヨーロッパ語系文学……グリムを中心に昔話を研究。

ザシキワラシとオシラサマ

 遠野郷土淵(つちぶち)村にあった山口孫左衛門の家は繁栄を誇っていた。だが、幸いをもたらしたふたりのザシキワラシがある夜他家へ移った後、一日にして没落した。毒キノコのために家族や使用人が死に絶えた。財産は押し寄せた縁者たちによってたちまち持ち去られた。たまたま出かけていてキノコを食べなかった7歳の娘だけが、死を免れて生き延びた(『遠野物語』〈以下、物語と略記〉18、19話)。

 娘が馬を愛で、ついに夫婦になった。この不条理な出来事に激怒した父親がその馬を殺し、娘は切り落とされた馬の首に乗って天に上げられた。そして供養のため馬と娘のオシラ像が生まれた。オシラ由来譚のひとつだ(物語69)。この神は養蚕の神、目の神、女性の神となった。拾遺79話には、小正月にはこの神像に赤い布を着せ、巫女(いたこ)婆様がオシラ神の由来を述べて「オシラ遊び」を主催した、とある。土淵の伝承園の敷地には茅葺の古い曲り家が移築され、それにつながるオシラ堂がある。なかに入ると、おびただしい数のオシラサマに驚く。30センチほどの桑の枝に姫や馬の頭、あるいは烏帽子の頭を刻み、赤や青の布を着せた像たちが壁面を埋め尽くしている。来園者が願い事を布に書いて着せたのだ。

 土淵の人・佐々木喜善(きぜん)はこんな郷里の不思議な出来事、伝説や信仰の数々を柳田國男に語り、それを柳田が格調高い文語体に移し、119話に編集し、明治43年(1910)に『遠野物語』として出版した。昭和10 年には新たな299話(拾遺)を収めた増補版も出版された。

遠野郷

山里から六牛角山を望む

 高清水展望台から俯瞰する遠野郷の風景は美しい。青々とした田畑の間を猿ヶ石川が銀色の微光を放ちながら流れ、その右手に地域の中心をなす市街地が、その周辺に山里が点在し、それをさらに山々が囲んでいる。正面奥になだらかに聳えるのが遠野三山のひとつ六角牛山(ろっこうしさん)。その左下には笛吹峠がある。さらにその左には貞任山(さだとうやま)、そしてあのマヨイガが現れたという白望(しろみ)の深い山並が遠く連なっている。遠野三山でいちばん高い早池峰はここからは見えない。

 早池峰を除けば、さほど高くない山々に囲まれた小盆地・遠野は古くから南部藩の城下町として、また海岸の釜石や大槌と内陸の盛岡や花巻を結ぶ交易の要衝として栄えた。岩手軽便鉄道が通る前は、駄賃付けと呼ばれた、馬で荷物を運ぶ男たちが行きかったところであった。

自然の脅威・異界の近さ

 しかし、物語に記された遠野では、町場の繁栄とは逆に山里の生活の厳しさが際立っている。1701年には2858人、1755-56年には4300人など、相次ぐ凶作で多くの餓死者が出た。あるいは洪水を怖れて人身御供を捧げた家が祟られた話もある(拾遺25,25話)。山では狼の群れや熊が人を襲い、六角牛では経立(ふったち)と呼ばれた妖怪のような猿が恐れられた。神隠しの話もあまたある。青笹村の娘や上郷(かみごう)村の娘もさらわれた。遠野の町の西北、天狗森の麓の登戸(のぼと)に、サムトの婆の家があった。若いとき、彼女は梨の樹の根元に草履を置いたまま忽然と姿を消した。もう誰からも彼女の記憶が失せた三十年後、風の激しく吹く晩に親族が集まっている場に、彼女はすっかり老いさらばえた姿で現れた。懐かしい者たちに会いに来たのだ。そしてたちまちどこかへ去って行った(8話)。彼女も山男のごとき異人にさらわれたのであろう。

 遠野周辺の山は深い。白望の山にはマヨイガ(63,64話)もある。村人の前に、夢のように思いがけず現れる立派な家屋敷。だが欲深者たちが探しに行ってもけっして見当たらない。いわゆる隠れ里伝説のひとつだろう。同じ白望では夜、女が走り去るのが目撃され、その山続きの離森(はなれもり)ではある夜炭焼き小屋のなかを「髪を長く二つに分けて垂れたる女」が覗き、また「深夜に女の叫び声が聞こえることは珍しからず」と記されている。

 天狗や山男、山女の跳梁する山を村人は恐れた。5話には、海岸の大槌に向かう笛吹峠では近年必ず山男・山女に出会うため、わざわざ境木(さかいげ)峠越えの道を拓いた、とある。だが、山の神はもっと怖い。綾織村の山中で、赤ら顔の山の神に切刃を抜いて打ちかかった男が神に蹴られて気を失い、3日ほど病んで落命した。わずか「十余年前のこと」である(91話)。

死者は近き存在である

 かくのごとく、山里は異界に接していた。物語には超自然の現象が数々記されている。人が死ぬとき別の場所に姿を現したこと(86~88話)。人が死ぬのを知らせる種々の予兆や臨死体験の話もある。いまは亡き家族の者が姿を見せる話もある(22、23話)。そして2011年の大津波の後つねに引用されたのが、99話だった。明治29年の明治三陸大津波で妻を失った福二という男が深夜、船越の海辺で妻の亡霊と会う。だが彼女は、結婚前に思いを寄せていた、そしてやはり津波で亡くなった同じ村の男と一緒だった。彼らはいま夫婦になっていた。福二はその後しばらく病んだ。

 山口の民家を挟んでデンデラ野とダンノハナが、いずれも小高い丘の上にある。遠野を訪れるたびに、いつもデンデラ野に行く。かつて60歳を越えた老人を遺棄した場所だ。老人が居住した粗末な藁の小屋も復元されている。そこから村の家を見下し、その向こうの山を眺めると、老いた人たちはどんな思いでここに住んだのかと思う。元気なうちは下の畑で作業を手伝い、夕辺にはここに帰った。小屋では火をたけるようになっているが、それでも遠野の厳しい冬の寒さを老いた人たちはどう過ごしたのだろう。やがてダンノハナ(共同墓地)に葬られる日をじっと待っていたのだろう。そしていつか祖霊となって、早池峰に宿り、盂蘭盆(うらぼん)にはまた懐かしい家に戻ってくるのだ。

 物語が伝えるのは、生と死が連続する世界である。ふたつは異質ながらも、その間を人は行きかうことが出来る。死者は生者の記憶のなかに鮮明に現存し、死者の思いが現身の姿で生き返る。ある意味で、それは慰めのある世界像なのだ。そこには生が死で終わらない時間の円環性が見てとれる。

神々への敬虔な思いに生きる

遠野祭りの鹿踊り

 自然の脅威にさらされ、異界に囲まれていた人々は多様な信仰を育んできた。古来の仏教、神道、修験道に加え、山神、水神、田の神、オクナイサマ、ゴンゲサマ、コンセイサマ、そしてオシラサマや座敷童子(わらし)…。

 この地には古い石碑がじつに多い。火渡の街道筋の素朴な石碑たち、あるいは縁結びの卯子酉様(うねどりさま)の祠(ほこら)わきの山神の石碑群…。その近く、深い山中の五百の自然石に義山という僧が天明の餓死者の供養のために念仏を唱えつつ羅漢像を彫った五百羅漢。遠野では神々と人と自然(動物、森、水、石…)とが、アニミズムの古層に根をおろしつつ、深い関わりのうちにあった。

 昨秋は遠野祭りに行った。神事としての優雅な神楽や柳田が物語序文で印象的に綴った鹿(しし)踊りとともに、女性たちが美しい色彩の着物で踊る南部囃子(ばやし)やさんさ踊り。地区によって微妙に異なる数々の踊りが二日にわたって披露された。それらはこの町の文化遺産の豊かさを伝えて余すところがなかった。

いまなぜ『遠野物語』か

 本書が書かれた明治時代、日本中が文明開化に沸き立って旧来の風習や信仰を古臭いものと考えるようになった。次の話はそんな事情を伝える。

 青笹村の沼に湧く水が体によいというので、それで風呂を沸かして多くの病人を入湯させた者がいた。ご利益を求めて人々が殺到したとき、ある巡査がそんな非科学的な迷信など時代の進歩に対して有害無益とばかり、それをとがめ、傍にある祠を足蹴にし、踏みにじった。「するとその男は帰る途中で手足の自由が利かなくなり、家に帰るとそのまま死んだ。またその家内の者たちも病気にかかり、死んだ者もあったということである。これは明治の初め頃の話らしく思われる」(拾遺43話)。

 柳田は序文でいった。「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と。そして冒頭の献辞として「この書を外国に在る人々に呈す」と書いた。縄文にまで遡るであろう、深い自然のただなかに営まれてきた日本人の生活の原型とそこに滔々と流れてきた心の水脈を忘失した「平地人」は、いまや「外国に在る」。科学・技術の成果によって超越の視界を失い、さらに自然をもコントロールできると信じる現代人の高ぶる思いに柳田はハムレットの次の言葉を対置させたといえようか。「天と地には汝の哲学では夢想だにしえぬ事どもが多くある」。人間の世界は、これほどに広く深い。

テクストと参考文献
柳田國男:遠野物語(拾遺付)(角川ソフィア文庫)
石井正巳:『遠野物語』を読み解く(平凡社新書)

戸口 日出夫(とぐち・ひでお)/中央大学商学部教授
専門分野 ヨーロッパ語系文学……グリムを中心に昔話を研究。
1946年群馬県に生まれる。1969年国際基督教大学卒業。1971年東京都立大学大学院修士課程修了(文学修士)。高知大学人文学部助教授を経て、1978年より中央大学助教授。1986年より教授。1988年~89年ウィーン大学客員研究員。専攻は19、20世紀ドイツ文学およびウィーン文化論。昨今はとくにグリムを中心にメルヒェンを研究。
著書に『聖なるものと想像力』(共著、彩流社、1994年)、『ウィーン その知られざる諸相』(共著、中央大学出版部、2000年)ほか。訳書にH.シッペルゲス『ビンゲンのヒルデガルト』(共訳、教文館、2002年)、A.リーダー『ウィーンの森 自然・文化・歴史』(南窓社、2007年)ほか。