トップ>研究>自治体の「中小企業振興条例」づくりと小零細企業
八幡 一秀【略歴】
八幡 一秀/中央大学経済学部教授
専門分野 中小企業論、地域経済論、地場産業論
2014年6月「小規模企業振興基本法」が施行されたが、その背景には「アベノミクス」効果の恩恵が届かない小零細企業層における経営の困難性がある。1999年の中小企業基本法改正により手厚くなったはずの創業支援政策も功を奏さず、中小企業は減少の一途をたどっている。筆者は自治体による中小企業振興条例による小零細企業振興政策こそ地域経済振興に役立つと確信している。本論は、その条例づくりの基本の「き」を述べるものである。
厳しい経済状況におかれている地域経済の活路打開のため、中小企業振興条例づくりの第1は、それぞれの地域における工業・商業など今ある産業集積を前提として計画・策定することである。全国の地域ごとに産業集積は千差万別であり、農林水産業、建設業、製造業、卸・小売業、サービス業など産業構成の違いだけでなく、同一産業内部でも異なった中小零細企業が集積しているためである。そこに国の画一的な「優等生的な」中小企業を育成する政策を援用しても十分な効果をあげることは難しいのは当然である。まず、それぞれの地域の個性=現在の産業集積を前面に押し出すことで住民が誇ることのできる地域づくりが初めて可能になるのである。
第2には、そのため政策主体となるのは国よりは地域の実情を把握しやすい、地域に最も近い地域自治体及び首長がなる必要がある。1999年に改訂された新「中小企業基本法」第6条には地方公共団体の責務として「地方公共団体は、基本理念にのっとり、中小企業に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、その地方公共団体の区域の自然的経済的社会的諸条件に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する」とある。
つまり、自治体では基本法の政策と連携する部分と同時に、地域の特性をふまえた独自の中小零細企業政策をとりうることができるとしている。旧基本法で自治体は「国の施策に準じた施策を講じるようにつとめる」(第4条)ことが求められており、多くの自治体では地域の小零細企業の要望を聞くことよりは、国の下請機関としての役割をはたす程度の施策に止まってきた。未だに当時の考え方が自治体職員の中に染みついていることや自治体が企業の利益のために働くことへの反発などがあることは残念としかいえない。
世界を見ても自治体が行政区内に立地する多数の小零細企業に対する振興・支援政策を立案、実施することが必要になることは明らかである。筆者が研究しているイタリア「職人企業基本法」(1985年)の第1条では、政策立案の責任は地方自治体にあるとしている。地域経済振興政策であれば地域に最も近い自治体への権限委譲が前提となっている点は日本も学ぶべきである。ちなみに「職人企業」とは経営者が労働者と一緒に現場労働を行う小零細規模の企業のことである。
条例の先進事例として1979年制定の東京都墨田区「墨田区中小企業振興基本条例」がある。その特徴は、いかに地域の中小零細企業者の実情や要望を反映した政策にしたかにある。条例制定前の2年間、墨田区では係長以上の職員全員がすべての区内中小零細企業者を訪問し、その実情を自らの目で見て、耳で聞くという悉皆調査を通じて、自分たちの自治体の中小零細企業者の実態を把握していったことは有名な話である。また条例制定後には「墨田区産業振興会議」など地域ごとに中小零細企業者を中心にすえた会合に自治体労働者が参加する中で、はじめて小零細企業者の要求を知ることができ、実情に即した施策が作られていった。第3のポイントは、自治体職員が地域経済の実態を自分たちの足と目と耳で把握し、要求を汲み上げる方向で策定された政策こそが実効性を持つということである。
都道府県レベルでも中小企業振興条例を制定するだけでなく、各市町村に「地域振興・中小企業振興条例」を制定させるよう指導し実施予算を獲得するため、中小企業団体が運動を行っている。特に熱心なのが「中小企業家同友会」や「民主商工会」であり、全国的に中小企業振興条例づくり運動が展開された結果、2014年4月現在「中小企業振興条例」と名がつく条例は31道府県116市区町で制定されるまでになっている。
第4に中小企業振興条例は地域の環境や福祉を守るための広い意味での「まちづくり」とリンクさせることが重要である。すでに環境・福祉が21世紀のキーワードといわれて久しい。近年多発する様々な食品偽装問題では、国内外で生産される農作物・加工品に関する情報が明らかになるにつれ、地域内で育成された安心・安全な農作物・加工品への需要も急速に高まりつつある。さらに地域農業の再生となる「地産地消運動」が高まりを見せ始めていることからも、地域の農林水産業、製造業、卸売業、小売業といった地域経済循環の輪の再構築が可能となる条件は満たされつつある。
環境と福祉を前面にすえた政策を展開することが、安心して住み続けられる地域をつくり出すことになる。そのために地域自治体が振興しなければならないのは、世界中から取り寄せた商品を販売する大規模ショッピングセンターやコンビニエンス・ストアなどではなく、地域の環境にやさしい、住民に喜ばれる中小零細企業者の振興でなければならない。さらに中小企業振興条例は建設業関連の「公契約条例」、住民主体の「まちづくり条例」、仕事おこしの「住宅リフォーム助成制度」など様々な条例や制度とリンクさせて地域中小企業振興政策としていく必要がある。
これらを実現するため、第5には自治体と地域住民との新たなるネットワークづくりの構築がなされる必要がある。これまでよく見られた「アリバイ作り」のための公聴会や少数の住民だけが選ばれ参加する懇談会・委員会などではなく、広く地域住民の声を政策に反映させることが自治体には期待されている。NPO法人などが設立され活躍が期待されているが、自治体の財政難から単にコスト削減のために、ボランティア的な無償労働に期待するのであれば、短期間で破綻することはこれまでの経験が証明している。
まちづくり・都市計画・社会福祉などの諸政策と有機的にリンクさせる地域経済を振興する主役を育てる中小企業振興政策を住民の声を反映させる形で作りあげることが重要である。
ヨーロッパ各国は自治体が地域行政の主役として長い歴史を持っている。筆者の調査によると、自治体レベルの商工担当者は産地・地場産業や商店街の状況を把握しており、中小零細企業者や住民の声を聞きながら地域経済振興政策を立案している。
住民の声を自治体政策に反映させる制度の事例として、イタリアの各都市には各地域ごとにいくつもの「地区住民評議会」がある。それぞれの地域ごとに直接選挙で選ばれた多様な思想を持ち、異なる職種の住民が自治体政策の審議権を持ち、住民にその決定過程を明らかにしていくことが制度的に保証されている。
これを政治制度の違いといってしまえばそれまでだが、この制度はまちづくりをはじめとした地域経済の振興政策や社会保障など地域住民が政策対象となっている問題に、住民の声を反映させることが民主主義の基本原則であることを示している。
日本で中小企業振興条例を制定した各自治体では、中小零細企業者による制定要求運動が大きく寄与しているが、地域住民をも巻き込んだ「まちづくり運動」となっている点も見逃してはならない。それだけ地域経済振興は自分たちの問題として住民が意識しはじめている、いや意識しなければならない厳しい経済状況が眼前にあらわれていることを忘れてはならない。