永見 文雄 【略歴】
パリ第5大学医学博物館にて(2013年3月)
永見 文雄/中央大学文学部教授
専門分野 18世紀フランス文学・思想史、ルソー研究
2006年4月から2008年3月まで2年間、私はパリにある国際大学都市の日本館館長を勤めた。大学都市というのは、1926年から建設が始まり現在では40近い各国館が集う、5千名を越える学生と若手研究者たちの宿泊と生活のための施設で、1929年に開設された日本館もパリ市南端にある40ヘクタールもの広大な敷地に健在である。日本館には日本と世界中の国の学生たち合わせて70名ほどが暮らしている。私が日本館に赴任するに際して中央大学は長期出張という扱いにしてくれた。館長職の激務を終えて帰国し中央大学に戻ってから今日まで6年間の、私の研究生活を振り返ってみたい。
写真1.
『菩提樹の香り-パリ日本館の15カ月』
帰国後私は日本館のことを世間に紹介したくて館長日記の刊行を企てた。赴任して半年ほどしてから毎日せっせとつけていた日記を抜粋したもので、『菩提樹の香り-パリ日本館の15カ月』と題して2010年11月に出版した(中央大学出版部、全256頁、写真1.)。パリの街路樹にはマロニエやプラタナスと並んで菩提樹がよく見られる。大学都市にもその向かいにある英国式庭園モンスリ公園にも、大きな菩提樹がたくさんあった。6月になると黄色の小さな花をつける。芳しい香りがあたりに漂ってくる。「はしがき」で私はこんな風に書いた。「重い脚を引きずりながら疲れた心を抱いてそぞろ歩くことが私にもなかったわけではない。そんな時、不意に頭上から降ってくる菩提樹の花のかぐわしい香り―こうした僥倖なしには、パリ日本館の館長というなんとも慌ただしい仕事を果たすことはできなかったに違いない。」
事実、日本館長時代の2年間は読売新聞にフランスの新刊書の紹介を定期的に寄稿した以外、ルソー研究はおろか、勉強らしいことは何もできなかった。日記には日本館内の講演会や諸行事に加えてフランス社会のこと、個人的に親しんだ映画・オペラ・書物・コンサートや旅の思い出などが書かれていた。帰国してようやく専門のフランス思想史、なかんずくルソーへと戻ることができたのである。
2012年は私が専門とするジュネーヴ生まれの思想家ジャン=ジャック・ルソーの生誕300周年に当たっていた。日本でも何か記念の催しをしてはどうかと恩師小林善彦先生から提言をいただいたのは、帰国して半年ほど経った確か2008年秋のことであった。以来、パリ留学時代からの畏友である文学部仏文専攻の同僚三浦信孝教授と≪ルソー年≫目指して2人3脚を始めることになった。ルソーの専門家ではないが三浦さんは日仏会館の常務理事としてシンポジウムを数多く組織した経験があり、特に『アメリカのデモクラシー』で有名なトクヴィルが2005年に生誕200年を迎えた記念の国際シンポジウムの成功はまだ記憶に新しかったからである。ルソーの場合も東京を舞台にした国際シンポジウムにしよう。しかし何をどうやったらいいのか?
やるべきことはたくさんあった。先ずは情報集めだ。フランス語圏と諸外国では近年どのような研究者がどんな仕事をしているのか。2012年には世界でどのような催しが準備中なのか。留学中または留学から戻ったばかりの日本人若手ルソー研究者に2009年の夏頃から接触して種々の情報を得た。同年9月から10月にかけてはパリでフランスやジュネーヴ出身の有力なルソー学者や18世紀研究者に直接会って協力を依頼した。こうした接触はシンポの直前まで続いた。2011年3月(あの東日本大震災と大津波・原発惨事の前後)には三浦さんと一緒にパリに滞在し、また同年9月から翌年3月までジュネーヴ大学で教鞭をとった三浦さんが折からルソー祝祭年に沸くジュネーヴその他で活発に情報を集める中、2012年2月には私もジュネーヴを訪れ、さらに6月にはふたりでフェルネーとジュネーヴの大規模なシンポジウムに参加して、多くの研究者たちと懇談する機会を得た。
次はシンポジウムのテーマと枠組みをどうするかである。なぜ今ルソーなのか? ルソーにおいて何を問題とすべきか? さまざまな案が浮かんだが、近代世界の仕組みとその成立に対するルソーの貢献をどう見るかという観点に次第に絞られた。そして文学研究におけるルソー、政治哲学におけるルソー、ルソー受容の3本柱が見えて来た。
シンポジウムの開催時期を2012年9月中旬の3日間とすること、参加者は日本人と外国人合わせて12~15名程度とすること(実際にはこれよりずっと多くなった)、このふたつをとりあえず決めた後、中大人文研を中心に「ルソーと近代」研究会を組織して、シンポジウムに向けて精力的に勉強会を行うことにした。だが主催団体はどこにするのか? 資金集めはどうしたらいいのか? 結局主催団体は中央大学と日仏会館、日仏会館フランス事務所の3者に落ちついた。石橋財団、スイス大使館、日本学術振興会の3者が協賛団体となった。総額450万円ほどの開催費用は? これも「学術国際会議開催費」の支出を認めてくれた中央大学をはじめとして上記の団体が担ってくれた。ヨーロッパから研究者を招聘する場合、1週間の滞在なら時期にもよるがひとり35万円ほどかかる。最終的にフランスとスイスから合計9名呼ぶことになったため、それだけでも300万円以上が必要だ。
勉強会は2010年1月以来合計11回開いた。日本ばかりでなくパリ政治学院やパリ・ディドロ大学らフランスからも講師を招いた。中大大学院文学研究科の学術シンポジウム「ルソーと兆民をめぐる比較思想史」もプレイベントとして重要な催しとなった。会場を予約しホテルや航空チケットを確保する。こうして着々と準備が進んだ。
2012年9月14日から16日までの3日間、中央大学駿河台記念館と恵比寿の日仏会館ホールで開かれたルソー生誕300周年記念国際シンポジウムは日本人17名、フランス語圏9名の合計26名の発表者を迎えて連日盛況だった。大成功と言っていい。初日の学長招待のレセプションでは福原学長が挨拶され、最終日にはルソー作曲のオペラ『村の占い師』の上演でこの学術的祝祭を締めくくった。フランスとスイスから招聘した外国人研究者たちからもこもごも温かい感謝の言葉が寄せられた。このシンポジウムはフランス語系の学術集会としては質量ともに近年になく充実したものであった。なかでも中央大学の貢献はひときわ目覚ましい。4年近い努力がこうして実を結んだのである。
写真2.
『ポーランド統治論』
しかし私はシンポジウムの準備と並行してまた別の個人的な仕事も進めていた。ひとつはルソーの著作『ポーランド統治論』の新しい翻訳の仕事で「ルソー・コレクション」の1冊『政治』に収められた(白水社、2012年9月、138頁、写真2.)。ルソー没200年を記念して白水社が1980年代に刊行した『ルソー全集』のための私自身の旧訳を全面的に改めたのである。
写真3.
『ジャン=ジャック・ルソー-自己充足の哲学』
もうひとつはこれまで私が書き継いできたルソーに関する論考をまとめる仕事であった。この著作には我ながら斬新なアイデアがあった。≪自己充足性≫という概念を主題的に立てることによってルソーの仕事総体の解釈に風穴をあけ、なかんずく文学と政治哲学の間に架橋しようと試みたのである。神ならざる人間は非充足性によって刻印された存在である。人は他者なしでは生きられない。遂に自己充足しえない我々の運命を二重に(現実の運命と本来的な運命を)描いたのがルソーであるというコンセプトでルソーの思想を総括し、その生涯と作品についても詳細に解説したこの浩瀚な本は、『ジャン=ジャック・ルソー-自己充足の哲学』と題して出版された(勁草書房、2012年9月、全632頁、写真3.)。副題は「自己充足の哲学」よりむしろ「非充足の哲学」とした方が一層内容に即していたかもしれない。ともあれ2冊の書物が生誕300年を記念するルソー・シンポジウムと軌を一にして刊行されたのは嬉しいことだった。
写真4.
『ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学-一般意志・人民主権・共和国』
2012年9月にシンポが終わり、≪ルソー年≫が過ぎ去ってしまえばすべて終わり、とは行かなかった。と言うより、むしろこれを機会に継続的にルソー研究を推し進める態勢ができたのである。実際その後も中大人文研の共同研究チーム「ルソー研究」を舞台に多くの研究者の発表があった。と同時に2013年には科研費でふたりの重要な学者をフランスから招聘した。ひとりはルソーの政治哲学研究の最先端を行くブリュノ・ベルナルディで、来日した1月には東京と京都で8日間に6回の講演会を行った。中大葉山保養所での炬燵を囲んだ発表は楽しい思い出となった。ベルナルディの来日講演集は『ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学-一般意志・人民主権・共和国』として出版された(勁草書房、2014年2月、全230頁、写真4.)。
もうひとりはこれもマルセイユ出身のブリュノ・ヴィアールで、11月に来日して10日間滞在し、京都、東京、別府で合計5回講演してもらった。ルソーだけでなく、19世紀の哲学者ピエール・ルルーや小説家ジョルジュ・サンド、それに『贈与論』で名高い社会学者マルセル・モースとテーマは多岐にわたった。こちらの翻訳はまだこれからだ。
写真5.
『ルソーと近代-ルソーの回帰・ルソーへの回帰』
しかしシンポ後の特筆すべき仕事は何と言っても記録論文集の出版である。26名の発表者のうち辞退者1名を除く25名の論文(うちフランス語圏9名)を網羅したこの書物の編集は容易ではなかった。日本語での出版だから9本のフランス語論文は翻訳しなければならない。出版社探しと資金集めも難航した。幸い政治学の専門書肆が破格の制作費で出版を引き受けてくれた。中央大学、同仏語仏文学研究会、フランス大使館、関記念財団から助成を得ることもできた。こうして多くの人に助けられ、シンポジウムから1年7カ月後の本年4月末に無事刊行することができたのである(『ルソーと近代-ルソーの回帰・ルソーへの回帰』、風行社、2014年4月、全426頁、写真5.)。
ルソーに終わりはない。記録論文集出版後の6月中旬にはボルドーからセリーヌ・スペクトール女史を9日間招聘し、チャールズ・テイラー、ユルゲン・ハバーマス、ジョン・ロールズといった現代の政治哲学者たちのルソー読解を批判的に紹介する4回の講演会を持った。≪ルソー年≫の後もルソーに明けルソーに暮れる日々が当分続きそうである。