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小池 裕幸

小池 裕幸 【略歴

教養講座

“ヘン”な藻類イシクラゲ

小池 裕幸/中央大学理工学部教授
専門分野 植物生理学(ラン藻を使った光合成機構の解明)

始めに

 イシクラゲという生き物をご存知だろうか。一般の感覚からするとこれは植物である。ただし、普通の植物のように根があり、茎があり、葉があるというような体制を持っている訳ではない。分類学的にはラン藻という藻類に属する。ラン藻とは、植物と同じように光合成をして生きている生き物である。つまり、太陽の光を使って大気中の二酸化炭素を固定し、デンプンを合成して生きている。光合成をして生きている生き物の中で、水中で生きているものを藻類と呼んでいる。ただし、ラン藻は「藻」という言葉を使ってはいるが、細胞の中に核を持っていないので、厳密に言うと藻類とも呼ぶことができない。あえていえば”酸素発生型光合成をする原核光合成生物”というのが分類学的には正しい呼び方になる。

 私たちの研究室ではラン藻を使って光合成機構の解明を目指している。イシクラゲは光合成機構を解明するための材料の一つである。光合成機構の解明は研究室の大きなテーマの一つであるが、もう一つ別のテーマがある。それは、”極限環境に生きるラン藻”の適応戦略を明らかにするというものである。つまり、厳しい環境で生きているラン藻は生き延びるためにどのような戦略をとっているのかということを明らかにしようとしている。

極限環境に生きるラン藻

 極限環境とは、普通の生物が生きていくことができないような環境ということである。たとえば温度でいえば、低いところでは氷点下10℃付近、高い方では海底の熱水噴出口付近の200℃くらいの温度になる。ラン藻では100℃もしくはそれを超えるような温度で生きられるものは見つかっていないが、70℃の温泉で生育しているものは報告されている。私たちは温泉ラン藻という言い方をしているが、これも私たちの研究材料の一つである。話を元に戻すが、極限環境とはこれ以外にも、圧力、紫外線、塩、pH等の極端な状態をさす。

 どのような環境にせよ、生物が生きていく上で最も大切なものが”水”である。私たちは水無しでは生きていけない。イシクラゲのような、単細胞を基本とする生物も同じである。細胞の中に水がなければ生きていくことはできない。極限環境に生きる生物も細胞が基本となっているので、細胞内の水が減ったり凍ったりすると生命活動が停止し、死んでしまう。

 ところが、私たちが材料としているイシクラゲは、カラカラに乾燥しても生きて(休眠して)いる。乾燥した状態になっていても、もう一度降雨などで水が加えられると休眠状態から戻り、光合成を始める。つまり生き返るのである。文献によると博物館に100年近く保存されていた試料に水をかけたら休眠状態から戻ったという報告がある。どこまで正しいのか確かめようがないが、とにかく乾燥状態にするとずっと休眠しているようである。

イシクラゲとは

図1 イシクラゲの細胞

図2 乾燥状態のイシクラゲ(左)と、膨潤した状態のイシクラゲ(右)

 イシクラゲは丸い数珠のような細胞が繋がっており、これが厚い寒天質の中に埋め込まれている(図1)。乾いた状態だと小さい真っ黒な塊となっているが、吸水するとどんどん膨張して緑色が見えてくる。これは自重の30倍ぐらいまで水を吸収するので、まるでワカメのように膨らんでくるのである。したがって、晴れた日にはほとんど目に付かない状態でいたものが、雨が降ると緑色のワカメ状態のものが出現することになる。そのため、リクワカメと呼ぶところもあるようである(図2)。

 こんな奇妙な生き物がどこにいるのかと思われるかもしれないが、実は日本国内ではたいていのところにいる。ちょっと開けた空き地で小石がごろごろ転がっていて、草がそこそこ生えているようなところでよく見つかる。舗装していない駐車場の隅や、芝生の芝の間、学校の校庭の隅なども格好の住み家(?)となっている。地球規模でいくと、亜熱帯から極域にまで分布している。極域でも見つかるというのも驚きである。実は南極の昭和基地周辺でも見つかっていると、国立極地研究所に勤めている方が教えて下さった。つまり乾燥に強いが、寒さにも強いのである。そういう目で見てみると、確かに冬の間数ヶ月間雪で覆われてしまうようなところにもイシクラゲが自生している。そのような場所を東北のある地方で偶然見つけた(図3)。ここは冬の間は昼でも0℃ぐらいにしかならない。よくこのようなところで生き続けているものだと感心してしまう。このように、イシクラゲは乾燥に強い生き物として知られているが、それに加えて寒さにも強い生物であることを最近実感してきている。

図3 東北地方T市で見つけたイシクラゲの自生地同じ場所の2月(左)と6月(右)の様子

吸水、乾燥に伴うイシクラゲの光合成活性の変化

 私たちはこのようなイシクラゲを使って、水を加えた時光合成活性がどのように回復してくるのか、逆に乾燥していく時どのように光合成活性が消失していくのかということを調べている。乾燥・低温に強い理由については中々たどり着けないのであるが、湿潤、乾燥の過程でどのようなことが起きているかという点については少しずつ明らかになってきている。

 湿潤や乾燥に伴い、イシクラゲの中で起きていることをお話しするためには、光合成の過程について少し知っておいて頂きたいことがある。光合成は光を吸収するところから反応が始まり、デンプンを合成するところで一応完結する。この過程はラン藻細胞(植物では葉緑体)の中にあるチラコイド膜と呼ばれる膜構造で起こる反応と、細胞質(植物では葉緑体のストロマと呼ばれる場所)で起こる反応とに分けられる。光合成の過程を大きく分けると、次の3つの過程に分かれる。

  1. 光の吸収とそのエネルギーの移動
  2. 光エネルギーの、酸化還元エネルギーへの変換と酸素発生
  3. 炭酸固定とデンプンの合成

である。この中で過程1と2はチラコイド膜で、過程3は細胞質で反応が起こる。

図4 イシクラゲの膨潤過程

 さて、乾燥したイシクラゲに水をかけると急速に膨らんでいく(図4)。ちょうど乾燥ワカメを水に戻した時のような感じである。水を加えると最初の3~4分で4~5倍の水を吸収し、その後30分ほどで十数倍にまで膨らむ。その後はゆっくりと30時間ほどの時間をかけて、最終的には30~40倍にまで膨潤していく。この間に光合成の活性が回復していくわけであるが、最初の急速な水の吸収が過程1の回復にほぼ対応する。次の30分ほどの吸水で十数倍に膨らむ頃には過程2が回復する。その後は数時間かけて過程3が回復してくるということが分かってきた。

 水を吸うと光合成反応全体がすぐ回復するわけではなく、段階を踏んで活性が回復してくる。しかもこれは、通常の光合成反応を行う時の反応時間の順番とほぼ一致している。たとえば光の吸収というのは純粋な物理過程であり、10−12秒という、我々では実感できない時間の内に終わってしまう反応である。一方炭酸固定反応は数分から数十分かかる反応である。別の言い方をすると、反応の順番に回復してくると言うことができる。では乾燥していく時はどうだろうか。これも予想通り、回復してくるのとほぼ逆の順番で活性を無くしていくことが分かってきている。

 しかしよく考えると納得のいかない点に気づく方がおられると思う。たとえばイシクラゲが吸水している途中の段階では、光エネルギーは使えるが、炭酸固定はできない状態が出現する。そうすると細胞内には炭酸固定に使えなかった過剰な還元力がたまってしまい、通常の細胞だと、それが細胞に対して悪さをするようになる。しかしイシクラゲはこの不安定な状態を軽々と乗り越えて元に戻ってこれるのである。また、乾燥状態の時は光合成ができない休眠状態になっている。この状態でも屋外にいると光が当たるので光を吸収してしまう。光合成ができないと吸収した光のエネルギーの使い道がないので、普通ならやはり細胞を壊すことにこのエネルギーが使われてしまう。しかし、イシクラゲでは何らかの方法でこのエネルギーを安全に、たぶん熱として逃がしていると考えられている。これがどのような仕組みで行われているのか、やはり手がかりもつかめていないというのが現状である。

イシクラゲはどこに?

 このようにイシクラゲは学問的にも非常に興味深い材料であり、解明すべき点は沢山ある。最後にもう一つ不思議に思っていることをご紹介する。冒頭でイシクラゲは日本国内ではたいていのところにいると書いたが、これは完全には正しくない。わたしは東京周辺ではほとんど見たことがない。学生に聞いてもほぼ全員見たことがないと答える。ただ、彼らはこんな地面に転がっているワカメみたいなものには元々興味は無いと思うので、見ていても記憶から消えてしまっているのかもしれないが。

 それはさておき、東京で何故見かけないのか以前から不思議であった。東京はほとんどの場所が舗装されているので、むき出しの地面がないからなのかもしれない。しかし、明治神宮や北の丸公園のような、オープンスペースで地面が出ているところに行っても見かけたことはない。ところが、房総半島の方に行くと普通にごろごろ転がっている。東京の中心部は、数千年前は海の下だったといわれている。その後利根川水系からの堆積物で海岸線が後退し、今のような地形になったと考えられているが、その上に関東平野を取り囲む火山からの、酸性の火山灰(関東ローム層)が堆積している。私はこれが原因となっているような気がしている。この真偽はともかく、東京の中心部でイシクラゲが生えているのを見たいと以前から思っている。見かけた方はお教えいただくと大変ありがたい。

小池 裕幸(こいけ・ひろゆき)/中央大学理工学部教授
専門分野 植物生理学(ラン藻を使った光合成機構の解明)
1952年長野県生まれ。高校卒業まで長野市で生活。1971年長野高校卒業後、大阪大学理学部生物学科入学。1975年東京大学大学院理学系研究科入学。1980年博士課程修了。理学博士。1981年理化学研究所太陽エネルギーグループ研究員。1990年姫路工業大学理学部生命科学科助教授。2004年兵庫県立大学大学院理学研究科助教授(組織、名称変更による)。2006年兵庫県立大学大学院理学研究科准教授(名称変更)。2008年中央大学理工学部生命科学科教授。
ラン藻を使って光合成機構の解明を進めている。特に極限環境に生育するラン藻を材料として、光合成の電子伝達系を明らかにしようとしている。今回話題にあげた耐乾燥性ラン藻の他好熱性ラン藻も研究材料として用いている。そのほかに常温性のモデルラン藻により分子生物学的な手法を用いて電子伝達系の研究も行っている。