下田 僚 【略歴】
下田 僚/中央大学文学部教授
専門分野 臨床心理学
私の専攻である心理学は一般の期待に反して、心とは何かという問いにうまく答えられない学問です。不思議に思われるかもしれませんが、心理学は心を定義できません。仮に定義したとしても、必ず限定的で不十分なものとなってしまいます。宇宙を研究対象とするのにも似て、心理学は心という途轍もないものを研究対象にしてしまった学問といっても差し支えないでしょう。脳の撮像や経頭蓋磁気刺激等に代表されるテクノロジーの進歩により、心理学においても心を脳に結びつけ、そこに閉じ込めて考えようとする傾向がますます強まっていますが、それにも限界があります。例えば脳に定位できない非局在的な心の働きについては枚挙が可能です。また最先端の物理学や哲学が示唆するように、素粒子ですらプロトマインドを持っているということになれば尚更です。心が脳と密接に関連していることは否定できない事実ですが、心は脳そのものであるとは言い切れず、それは脳を超えた領域にまで広がっているのかもしれません。ですから厳密にいうと心理学における心には、<いわゆる心>という意味を持たせるために、いつも鉤括弧を付けておく必要があります。ここでは、そうすることにしましょう。心理学は「心」をうまく定義はできませんが、「心」の機能や作用に関しては日進月歩で研究が積み重ねられてきています。つまり心理学とは、「心」がどのように機能し、行動に作用するのかについての法則性、すなわち<心理>を追究する学問ということができます。行動とは、行為に限らず人間有機体の状態変化が示すパターン特性を指します。行動は観察や測定が可能ですから、「心」の働きを知るためのインデックスとしての特性に優れています。
一般的に「心」はどのように働くのか、すなわち「心」の機能のしかたを追究する心理学の分野には、基礎心理学と呼ばれる実験・調査系心理学の分野があります。次に、「心」はどのようにうまく働かなくなるのか、言い換えれば「心」の異常を追究する分野として異常心理学があります。この分野は精神医学における精神病理学とオーバーラップする分野です。さらに、「心」はどうしたら再び、あるいはこれまで以上に、うまく働くようになるのかを追究する分野があり、それが臨床心理学と呼ばれる応用系心理学の分野です。臨床心理学は心理学の中の応用的な専門分野であり、「心」の悩み・問題を抱えて困っている本人、その周囲の人たちへの心理学的な支援や援助について研究する学問領域です。医療、教育、福祉、司法、産業・組織、開業など、社会の様々な場面(心理臨床場面)での支援・援助が研究の対象となります。
臨床心理学の研究対象となる、心理臨床場面での支援・援助の2つの大きな柱はアセスメントとトリートメントです。医療場面における診療(診察・診断と治療)に喩えると分かりやすいかと思います。アセスメントとトリートメントには心理学の諸理論を背景とした様々な方法があります。アセスメントとは、クライエント(臨床心理学的援助の対象者)のことをよく知るための作業で、心理査定あるいは見立てなどとも呼ばれます。面接、観察、資料調査、心理検査、精神医学的な診断基準との照合などの方法を用いて行われる作業です。適切なトリートメントを選択するための条件となります。トリートメントとは、アセスメントによってクライエントをよく知った上での実際の援助を指します。カウンセリングや心理療法などの援助的処遇が含まれます。心理臨床場面ではアセスメントで明らかとなったクライエントの悩みや問題、資質や可能性に応じて適切なトリートメントが選択され、施行されます。ここで臨床心理学を定義するとすれば、「心」の悩み・問題を持つ個人の特性や状態などを正しく理解し(アセスメント)、その理解に基づいてカウンセリングや心理療法をはじめとした支援・援助(トリートメント)を行うための理論と方法論を追究して、心理臨床場面で必要とされる専門的な知識と技法を提供する学問ということになります。
カウンセリングあるいは心理カウンセリングという言葉は、今では学校や職場などで広く使用され、その意味も理解されるようになってきています。それはトリートメントとしての相談のことであり、話し合いを通じた「心」の悩み・問題の解決というのが一番おなじみのイメージかと思います。人(カウンセラー)と人(クライエント)の出逢いと関わりの中で、「心」が癒され、変化・成長していくこと。その過程、理論、あるいは方法をカウンセリングと呼びます。実は、私たちは日常生活の中においてもカウンセリング的な体験をしています。打ち明け話の聴き手を得ることによって、①話してすっきりする、②分かってもらうことでほっとする、③話を聞いてもらっているうちに大切なことに気づく、④話し切ることによって気持ちの収まりや踏ん切りがつく、等々がそれに当ります。こうした体験を集中的にできるように関わり方を工夫し、組織化・体系化したものがカウンセリングです。
カウンセリングの作用機序をごく簡略化して説明すると、対話を通じて、①クライエントはカウンセラーという他者から自らのありのままを受容される体験をすることによって、②自分自身をありのまま受容することが可能となり(自己受容)、③自らの様々な側面を探索しはじめます(自己探索)。その結果、④ありのままの自分が見えてくると、⑤自らに気づき(自己洞察・自己理解)、⑥自らに相応しい選択によって行くべき道を自ら決めることができるようになり(自己決定)、⑦自分の選択に責任を持てるように変化・成長していく、ということになります。
日本ではカウンセリングと心理療法を用語として厳密に区別して使用しない傾向が見られますが、ここでは便宜的にカウンセリングは既述のようにとらえ、それ以外の援助者側がリードする量の多い援助方法を心理療法と呼ぶことにします。心理療法の中にはクライエントの意表を突くような、ちょっと変った方法もあります。一風変ったやり方でクライエントの今までのものの見方や捉え方(認知)の枠組みの変換を図る、つまり凝り固まった考え方、感じ方、更には行動の仕方を突き崩して、新しい準拠の枠組みを積極的に提供するのですが、これを効果あるものにするためには、クライエントに関心を持ってもらい、変化への決断と実行を促す工夫が必要になります。意表を突くということは、そうした工夫の一環であり、他の工夫と組み合わせることによって心理療法へのクライエントの動機づけを高めるのに有効であることが期待されます。
例えば私たちの日常生活においては、「心」の悩み・問題の解決のための努力が逆効果になっていることがあります。緊張すまいとしてかえって緊張してしまう、眠ろう眠ろうとしてかえって眠れなくなる等々がそれに該当します。このような場合、今までの逆をする勇気が解決を生むことがあります。押してもだめなら引いてみようという訳です。これを逆説的な介入としての症状処方と呼びます。日常生活の特定の場面で過度の緊張が生じるというあるケースでは、クライエントの「緊張しちゃだめ!」、「緊張しないように…」という意識が、かえって緊張に意識を向けることとなり、結果的にもっと緊張してしまう(感情リアクタンス)という逆効果の罠にはまり悪循環に陥っていたのですが、症状処方により、「もっと緊張しろ!」と緊張場面で自分にけしかけるという、従来の逆をする勇気が解決(緊張の受容による抑制・緩和)を生みました。
自動車の運転を熟知していないドライバーは、カーブに差し掛かって車がドリフト走行を始めると、恐怖感から無意識的にハンドルをカーブの内側に向かって切ってしまうので、車体は更にドリフトしてスピンしてしまいます。このような際には、逆にハンドルをカーブの外側に向かって切ること(カウンターステア)によってスピンを防止できます。また飛行機・航空機の操縦においても、機首が上がって失速しそうになると未熟なパイロットは恐怖感から操縦桿を手前に引いてしまい、それによって更に機首を上げる結果となり、失速を招いてしまうのだそうです。このような際には、逆に操縦桿を前方に倒すことによって機首を下げ、揚力を上げることができるということです。このように人は不安や恐怖から逃れるためにしていること、つまり解決努力がかえって逆効果になってしまい、問題を生じさせていることがあり、これを偽解決と呼びます。そのような場合、真の解決方法は今までの逆をすることなのです。引けば開く構造のドアを知らずに押し続ける人にとって事態は深刻ですが、その構造に気づきさえすれば、あるいは気づかなくてもとにかく逆をすれば、問題の解決は極めて簡単です。「心」の運転や操縦についても同じことがいえる場合があるという訳です。緊張、不安、恐怖等の情動調整などに対して有効な方法です。
こうした一風変った心理療法も含めて、トリートメントを実施する際の諸条件群(治療構造)の影響を知ることが私の研究テーマです。例えば条件のひとつとしての面接料金や、先に述べたようにクライエントをトリートメントに動機づけて変化への決断と実行を促す様々な工夫が治療関係や治療効果に及ぼす影響などを明らかにすることによって、どういう条件下でトリートメントを施行したら、より有効に作用するのかということを先行研究と心理臨床場面での実践を通じて追究してきています。近年ではコンピュータ化されたプログラムや仮想現実映像を用いた心理療法についてもエビデンスが確認され、心理臨床場面で施行されるようになってきていますが、当然これらの方法も無条件に有効な訳ではなく、治療構造を構成する諸条件が効果に影響を及ぼすことになります。