新井 誠 【略歴】
新井 誠/中央大学法学部教授
専門分野 民法、信託法
わが国の高齢化が世界にも類例をみないほどの速度で進行中であることは、既に様々な分野の論者から指摘されている事実である。こうした事実を勘案すれば、わが国において、高齢者の財産管理および身上監護に関する法的な支援システムを整備・構築することが重要な課題であることは、論を俟たない。とりわけ、一人暮らしの要介護高齢者数が劇的に増加していることから、この支援システムは従来の家族依存型のシステムではなく、職業的支援者や法人等を含む第三者を活用したシステムとして構築されることが望ましいはずである。例えば、2000年の民法等の改正により導入された成年後見制度(とりわけ任意後見制度)は、有効な対応策の1つである。しかし、社会的ニーズの大きさやその多様さからすれば、支援のための選択肢が多いに越したことはないだろう。
そこで、信託制度の活用が、わが国の高齢社会における財産管理へのきわめて有効な対応策となりうると考えられる。2007年9月30日から施行された新しい信託法の下ではとりわけ遺言代用信託と後継ぎ遺贈型受益者連続信託が高齢社会における財産管理の手法として注目されている。
遺言代用信託とは、例えば、他人に財産を信託して、委託者自身を自己生存中の受益者とし、自己の子・配偶者その他の者を「死亡後受益者」(委託者の死亡を始期として信託から給付を受ける権利を取得する受益者)とすることによって、自己の死亡後における財産分配を信託によって達成しようとするものであり、生前行為をもって自己の死亡後の財産承継を図る死因贈与と類似する機能を有するものである。
この遺言代用信託を用いることにより、生前行為によって、死後における財産の分配を実現することができ、厳格な遺言の方式によらないで、遺贈と同じ結果を招来することができるというメリットがある。
遺言代用信託は、信託法90条1項では、信託行為の定め方として2種類規定されている。1つは、委託者の死亡の時に受益者となるべき者として指定された者が受益権を取得する旨の定めを置く方法(90条1項1号)。もう1つは、委託者の死亡の時以降に受益者が信託財産に係る給付を受ける旨の定めを置く方法(同2号)である。
後継ぎ遺贈とは、第1次受遺者の受ける財産上の利益が、ある条件の成就や期限の到来したときから、第2次受遺者に移転するという形態の遺贈をいう。この後継ぎ遺贈に関して、学説は、特殊な遺贈類型の一種として有効と解する有効説と、その法的効力には疑問があり、遺言者の単なる希望条項に過ぎないとして、その効力を否認する否定説とが対立しているが、近時は否定説が優位を占めているようである。
信託法91条では、この後継ぎ遺贈と類似の効果をもつ受益者連続信託(受益者の死亡により、当該受益者の有する受益権が消滅し、他の者が新たな受益権を取得する旨の定めのある信託)について、当該信託がされた時から30年を経過した時以後に現存する受益者が当該定めにより受益権を取得した場合であって当該受益者が死亡するまで、又は当該受益権が消滅するまでの間、効力を有することを定めている。
この信託法91条で定められた後継ぎ遺贈型の受益者連続信託を利用することにより、農家や中小企業における後継者のために、民法の法定相続分のルール(均分相続)とは異なり、その事業等の承継のために必要な財産をまとめて承継することができるようになることが期待される。
信託を個人の個別的なニーズに対応したサービスとして機能させていくことが、これからの信託の活用方法として重要であると思われる。信託は本来、個別的なものであり、パーソナル・トラストが中心となるべきものである。しかし、わが国ではこれまで信託実務の中心が集団信託におかれてきたために、残念ながらパーソナル・トラストが十分に発達しているとは言い難い状況にある。信託実務が、今後の高齢社会を見据えたうえでパーソナル・トラスト業務分野への積極的転換を図ることが望まれる。また、この転換を果たすためには、信託実務を現に担っている信託銀行自身の意識改革のみならず、監督官庁の規制のあり方まで含めて、議論の俎上に挙げていく必要があるであろう。
パーソナル・トラストにおいては財産管理と身上監護とを截然と区分すること自体が困難であるし、またその必要もない。受託者が受益者の介護についてまで直接的に責任を負う必要はないが、受託した信託の財産管理と必然的に関連する身上監護事項については前向きに許容していく姿勢が今後のパーソナル・トラスト普及のためには不可欠であろう。少なくとも、例えば民法上の成年後見制度との連携を通じて、受益者たる高齢者の身上監護を含めた生活全般を支援するシステムの一部として信託を位置付けていくことは十分に可能であると思われる。
パーソナル・トラストは信託実務の中心ではなく、十分に発達しているとはいえない。だが、信託実務を現に担っている信託銀行に意識改革を要求するのは困難かもしれない。個別オーダーメイド的色彩の強いパーソナル・トラスト業務は利潤行為になじみにくいと思われる。
そこで、今後の成年後見的パーソナル・トラスト業務の担い手として、公益法人、弁護士法人、司法書士法人、NPO法人(特定非営利活動法人)が大いに注目されるのではないだろうか。特に、NPO法人における「特定非営利活動」とは、「特定非営利活動促進法」が指定する活動であって、不特定多数の者の利益の増進に寄与することを目的とするものをいうので、成年後見的パーソナル・トラスト業務は、同法の掲げる「保健、医療又は福祉の増進を図る活動」に該当するであろう。株式会社と違い、法人としての利潤が究極目的ではないので、信託報酬を低廉に抑えられると思われる。信託業法5条2項1号は、信託業の営業主体を株式会社に制限している。つまり、NPO法人は、信託業の営業主体とはなりえないのである。NPO法人は、所轄庁によりその設立の認証を受け、また設立後もその監督に服している。信託業の担い手として認められない理由は見当たらないといえるであろう。信託業の免許または登録の申請に当たっての適格要件として、株式会社以外にも公益法人やNPO法人を認めるべく、信託業法を改正することが望まれる。