デルナウア,マーク 【略歴】
デルナウア,マーク/中央大学法学部准教授
専門分野 民法(特に契約法)、知的財産法、ビジネス法、比較法
あらゆる近代的な自由市場社会において、自主的な社会的調整、もしくは提携の形として、個人(正確にいうと「自然人」)、もしくは法人間で私的な合意が許される。このような合意を「契約」とも呼ぶ。契約は個別の財産を譲渡又は労務を提供し、交換することを決めた当事者同士の計画的な関係である。このような財産の譲渡、若しくは労務の提供を給付とも呼ぶ。契約を基に、あらゆる種類の給付を自主的に履行すること、若しくはその交換が可能である。契約を締結することで、債務者はその債務を履行する責任を負う。これは債権者が履行を求める権利に該当する。ゆえに契約には契約上の債務が含まれ、当事者は個別の債務を履行しなければならない。
それゆえに、契約は私的かつ自主的に個人財産又は労働力の使用に関する規律であり、そのような性質のため法源でもある。個人もしくは法人によるそのような自主的なルール作りは、私的自治、契約の自由、契約による拘束力(パクタ・スント・セルヴァンダ)といった基本原則に基づく。加えて英米では特に、契約は社会のリソースを有効に利用し、経済的繁栄を培う手段として見なされる。
契約法とは、特に契約の締結と実行を規定する一連の法規則によって構成されている。ゆえに契約法では契約の成立要件を定め、契約者間で法的拘束力が発生する条件を定めなければならない。また契約法により、債権者から要求があった場合には、契約上の債務が必ず履行されなければならない。このために、契約法では特に契約違反の救済方法を備えなければならない。だが、契約の内容を定めることが契約法の目的とは限らない。なぜなら、そもそも契約の内容とは当事者間で定めるものだからである。一方近年では、世界中の立法者は契約の内容を規制する傾向を示している。これは通常は弱いと見なされる当事者、例えば消費者取引における消費者などを保護するためである。また、契約関係における実質的な公正さと公平さ(substantive fairness)を実現するためには、契約内容を規制することが必要であるともしばしば主張されてきた。また契約締結における公正さ(procedural fairness)を実現するために、契約の成立プロセスの規制を強める傾向も示されている。例えば一方の当事者が他方の当事者により誤った情報を伝えられたといった状況の場合は、契約を解消することができる権利(取消権等)を与えるといったものがこれに当たる。
今日、先進工業国のほとんどの国で契約法の基本原則が広く受け入れられているが、具体的な詳細は大きく異なっている。特に英米法の伝統を受け継いだ国々と、ヨーロッパの大陸法の伝統を基にした国々との間では数多くの違いがある。
このような背景で、「日本法はどうなっているのだろう」という疑問が浮かぶだろう。日本法を研究している他国の学者と同様に、日本の学者もこの問題について頻繁に議論をしている。一方で日本の民事法、、特に(1898年に成立した)民法の契約法に関する規定は、19世紀のヨーロッパの契約法モデルを基本としている。日本の契約法は、ドイツ民法典の草案の影響を特に強く受けている(この草案は最終的に1900年1月1日にドイツに施行された。)また、日本は当時ドイツの法理論も広く継受した。一方、他国とは異なる日本の文化が、日本人の契約に対する法意識に影響を与えているという見方をする学者も多い。即ち、日本における契約に関する法意識は、元々19世紀に日本の契約法モデルになったヨーロッパの諸国と異なっていたか、、或いは、少なくともそれと違う法意識は日本民法の施行以来の百年以上の法実務を重ねていく中で発達していったとしている。
日本の著名な法学者である川島武宜(1909年-1992年)は、かつて日本人の特有の法意識を説明するために、「日本人が人と約束する場合には、約束そのものよりも、そういう約束をする親切友情がむしろ大切なので[ある。]」という服部四郎の言葉を引用した。この言葉は、日本における個人間の義務は、法による正式な取り決めよりも社交上の関係によって規定されることを意味している。この点は、ドイツやその他の西洋諸国の法制度とは大きく異なっている。現在も日本の法学者として活動し、法務省のアドバイザーを務めている内田貴も同様に、日本の民法とそれによって定められた規則は、日本人の一般的な法意識と一致することはないので、法的観念と合うように改正すべきだという意見を述べている。内田貴は日本における契約とは、一般的に「関係的契約」と見なし、解釈すべきものであるとしている。それは、契約に対する当事者の権利と義務は、当事者同士の正式な契約だけよりも、社会的関係全体から推測すべきだと言う意味だ。当事者間の義務の唯一、もしくは主要な基盤となる正式な契約とは、西洋の法制度からもたらされたコンセプトであり、日本社会には決してそぐわないと内田氏は述べている。日本に関連する事件を頻繁に担当する渉外弁護士も同様の意見を述べている。特に米国の渉外弁護士は、日本の文化に関連した法意識の違いが、依頼人へ効果的なアドバイスを提供する障害になることがあるという不満を述べている。
この議論は、日本の契約に関する基本的な法規定はヨーロッパ諸国と類似しているが、基礎を成す日本の「社会規範」はそのヨーロッパ諸国と異なるので、契約に関する法規定は日本特有の法意識を踏まえて解釈され、異なった形で適用されなければならないことを意味している。それゆえに、日本の契約法を研究し、他国の契約法と比較している法学者は、以下のような基本的な疑問を述べている:
現在広範囲に渡る債権法の見直しについての議論を行っている点を考慮すると、日本の立法者にとって特に関連深いのは、3つ目の問題への対応となる。
民法の契約の規定以外にも、日本法はその構成に特徴があるが、この点はあまり認識されていない。日本において、契約の締結過程および契約の内容、又、契約の履行と実行は、行政法による包括的で集中的な規制を受けている。このような公法による法規制は、いずれのヨーロッパの法制度やアメリカの法制度でも日本ほど確認できないものである。特に日本における一般的な民法のモデルと見なされていた、近代的な契約法の導入モデルとしての役割を果たしている法制度には、このような公法的な規制は見当たらない。
日本とは異なり、ヨーロッパ大陸の契約法は、何世紀も普遍化、調和、統一化に向けた多くの努力を通じて、常に発展させようとする傾向がより強かった。日本はアジア大陸の東側の海に浮かぶ島国で、国境を有しないという地理的状況があるので、この点に違いがあるとは不思議ではないであろう。
ヨーロッパでは、啓蒙時代の自然法の理論は、あらゆる社会に適用すべき共通の普遍的法則が存在するという考えをもたらした。さらにローマ法が多くのヨーロッパ諸国に同様の強い影響を与え、特に契約法の分野への影響は大きかった。何世紀にもわたって、ヨーロッパ諸国の商人による取引は拡大し、国境を超えた法的取引の件数が着実に増加した。取引は契約が基に行われたことで、ヨーロッパの商人全員に共通する、特定なルールや慣習の発展につながっていった。最近数十年間は、基本的な経済の自由を定めたEU条約によって貿易障壁が取り除かれ、EU加盟国間で共通市場が形成された。加えて契約法も、EUの第二次法を通じて加盟国内で調和することを目的にするようになった。最初はEUの指令を基に行われたが、最近は直接適用されるEUの規則を基にして行われることが増えている。特に消費者契約法、しかしそれだけでなく、その他複数の特定契約や一般的な契約法の一部も、EUによってさらに均一的に規制されるようになった。EU法は、EUの立法者から統一化の要請を受けていなかった分野においても加盟国の契約法に影響を与え、諸加盟国の契約法の包括的見直しが行われるようになった。例としては、2002年に行われたドイツの債務法改正がこれに当たる。将来的なEU加盟国内での民法、中でも特に契約法を統一する可能性の指針を提供するために、EU加盟国の法学者たちは、加盟国の法制度の共通の一般的原則を整理し制度化するための国際的な共同研究に取り組んでいる。彼らの最終的な目標は契約法の統一、もしくはEUにおける統一民法の青写真となる、比較法の研究を基にした試案の提供である。例えば最も有名な研究グループのひとつである「ランドー委員会」は「ヨーロッパ契約法原則(PECL)」を3つの部分(1995年、2000年、2003年)に分けて編纂した。またドイツ人の法学教授、クリスティアン・フォン・バールによって設立されたこのヨーロッパ民法研究グループは、同じ考えを持ったグループと協力して、債権法統一の試案である共通参照枠草案(DCFR:2008年、2009年)を作成した。DCFRは欧州委員会が委託した、契約法の統一、特に売買契約法の統一に焦点を絞った共通参照枠(CFR)編集の基礎となった。CFRを基礎として、欧州委員会は近年(2011年)に欧州共通売買法に係る規則の草案を準備した。
更に、加盟国の契約法と民法を調和させ、統一することを目的として、様々なEUの指令及び規則が既に存在する。1980年代の作成当初は、消費者法の分野に特化したものとして成立していた(例としては、訪問販売、消費者金融に関する契約、パッケージ旅行に関する契約などが対象であった)。1993年に消費者契約における不公正条項に関する指令、1999年には消費動産売買の一定局面に関する指令が発令された。2000年と2004年には差別を禁止する指令が発令され、加盟国内での差別禁止法の内容が強化された。この指令は、特に契約法の分野にも加盟国内の法改正をもたらした。加えて契約法の分野に関して、国際私法(つまり、どの国内法が特定の法的事項に対して準拠法として適用されるかを定めるルール)は、契約債務の準拠法に関する規則593/2008として統一された。今後数年のうちに、EUは加盟国の契約法の調和、統一を目的とした指令や規則をさらに数多く立法化するだろう。
ヨーロッパにおける契約法の調和は、EUの枠組み内だけで目指したものではない。契約法は調和することによって、異なる国家間での取引を容易にし、その結果、関連する国に経済的繁栄と社会の健全性をもたらすツールになると考えられている。それゆえに、ヨーロッパでは伝統的に契約法の調和に対する考え方が非常にオープンである。ヨーロッパ諸国の大部分が、統一された国際売買法の作成を支持しているというのがその例であり、最終的にこのプロジェクトは、1980年に署名され、1988年に効力発生した国際物品売買契約に関する国際連合条約(CISG)の採択として形になった。一方日本は、なかなかこの協定を批准して実行しようとせず、ようやく実行したのは2009年になってからであった。
これらの説明から分かるように、ヨーロッパでは民法、特に契約法をさらに調和させ、統一化していくことが、EU内で共同市場を完全に実現するために不可欠な構成要素だと考えられている。またヨーロッパ連邦の究極の目標である、更なる政治体制の統合の基礎となると考えている人もいる。さらに言えば、EUの発展とは関係なく、契約法の調和は国家間の取引を容易にし、繁栄をもたらす重要なツールだと考えられている。また、絶え間なく続くグローバリゼーションによって発生する要求に対処するために不可欠なものとも見なされている。それ故にヨーロッパ諸国では、自国の法的伝統の一部を無くすことになっても、契約法をさらに調和していくことを支持する考えが一般的である。
日本は、EU並みに統合された経済組織や政治組織のいずれにも属していない。だが日本は国際貿易に大きく依存しており、これによって繁栄と生活水準を維持している。また貿易相手国、特にアジア、オセアニア、北米、ヨーロッパ諸国との連携を深める方法を模索している。加えて日本には長きに渡る比較法研究の伝統があり、日本の法制度の大きな部分は、比較法の研究と外国法の継受が基本となっている。さらに日本の契約法を主要な貿易相手国の契約法と調和させれば、日本企業と他国の相手企業間での国際貿易がさらに促進されるだけではなく、日本にさらなる投資を呼び込めることは明らかである。
一方これまでに説明したように、海外の法的要素を受け入れた際に、日本の法的伝統や価値観と調和できるかどうかについては、絶えず議論され続けている。それゆえに、日本の契約法をどのように調整すれば双方の要求を満たせるかを検討することが重要となる。だが日本の法意識に合い、同時に世界基準にも適合する契約法を作成することはそもそも可能なのだろうか? 統一されたひとつの契約法のみで事足りるのか、それとも目的ごとに異なる法律が必要なのだろうか?日本でこれから行われる債権法改正以外でも対処しなければならない問題である。日本の発展のためにも、日本の契約法の将来的な形や内容は非常に重要な問題である。