トップ>研究>政策決定システムの改善にどのように「学問」として取り組んできたか
秋吉 貴雄 【略歴】
秋吉 貴雄/中央大学法学部教授
専門分野 公共政策学、行政学
私が専門としているのは、公共政策学という学問である。公共政策学は第二次世界大戦後に「政策科学(Policy Sciences)」として誕生した、比較的新しい学問分野であり、初めてその名前を聞かれる方も少なくないかもしれない。「なぜ公共政策学という学問が必要になったのか」「公共政策学はこれまでの学問とどのように違うのか」と疑問に思われたことであろう。
公共政策学は、端的には「公共政策」を取り扱う学問である。我々の社会は環境問題や地域格差問題や交通問題といった様々な「問題」を抱えている。その「社会問題」を「解決」するための方針や具体的手段が「公共政策」である。
「問題」の「解決」と聞くと、解決案を検討するだけの学問と思われるかもしれない。しかし、残念ながら単純に解決できる社会問題は少ない。公共政策学の講義でまず取り上げるのが社会問題の「複雑性」である。社会問題の多くは他の問題と何らかの関連があり、ある問題を解決することによって他の問題が悪化する場合もある。また、問題には多くの人々が関わり、それぞれの人によって問題の見方が異なる。さらに、問題の構造は時代とともに変化し、かつての解決案はいずれ通用しなくなる。
このような社会問題に対し、専門分化した現代の社会科学で果して対応できるのか? この問題意識が、公共政策学(政策科学)の出発点である。「学問のための学問」となっていた社会科学に対し、「何のための知識か?」という痛烈な問いかけが1930年代には投げかけられていたのである。そして、第二次世界大戦後にラスウェルという政治学者によって、「社会における政策形成過程を解明し、政策問題についての合理的判断の作成に必要な資料を提供する科学」という「政策科学」が提唱されたのであった。
先ほどの政策科学の英語表記で、“sciences”と複数形の“s”がつくことに違和感を覚えられたかもしれない。公共政策学は、政治学、経済学、経営学、社会学、といった様々な学問分野の知識を総合化した学問であるため、複数形で表記されてきた。歴史が浅いことも加わり、公共政策学に対して「つかみどころがない学問」という印象をもたれることが多々ある。筆者もそのような問いかけをされることが少なくない。確かに公共政策学は多様な学問分野を横断するものであるが、公共政策学には、大きく、「inの知識(knowledge in process)」と「ofの知識(knowledge of process)」という2つの領域が存在している。
前者の「inの知識」は「政策決定過程に対して提供される知識」である。そこでは、各政策領域に関連した知識から、費用便益分析に代表される政策分析個別手法の知識まで幅広く対象としている。「政策デザイン論」とも称される。
後者の「ofの知識」は「政策決定過程に関する知識」である。誰によって、どのように政策が決定され、実施されているかということを取り扱う知識であり、「政策過程論」とも称される。「inの知識」が政策決定過程において実際の政策に結びつくためには、言い換えれば、政策案が「絵に描いた餅」とならないためには、この「ofの知識」が重要になってくるのである。
それでは、公共政策学では政策決定の改善についてどのように検討してきたのか。かつての政策「科学」という名前の印象から、「問題に対して最適な案を選択して、適用するという合理的な意思決定を行えばよいのではないか」と思われる方も少なくない。
確かに初期の公共政策学(政策科学)では「自動化の選好」として合理的意思決定の実現が目指された。そこでは、まず専門家集団を中心に、高度な手法をもとに社会問題が分分析され、複数の解決案(政策代替案)を導き出す。そして、「政治」を排除した意思決定システムにおいて、最適な解決案が自動的に選択されるとしている。
実際に、米国では、1960年代のジョンソン政権において多くの社会プログラムに社会科学者が投入され、さらに、連邦政府予算編成に費用便益分析をもとにした合理的(効率的)な予算配分を行うPPBS(計画プログラム予算システム)が導入された。しかし、よく知られているように、それらの社会プログラムの多くは失敗し、PPBSもわずか数年でとん挫したのであった。
このような失敗に直面し、公共政策学は「自動化の選好」からの方向転換を余儀なくされた。政策決定過程に投入する「inの知識」に関して特に強調されたのが、多元的な知識の投入ということであった。
公共政策を構成する知識としては多様な知識がある。そこには、専門家による「理論知」だけではなく、官僚が政策の実践の中で習得する「実務知」や、政策の受け手である住民が有する「現場知」がある。特に、公共政策学で注目されてきたのが現場知である。いわゆる専門性の壁から現場知は見過ごされてきた。しかし、現場知は政策の需要側である住民からのニーズをもとに政策を形成していくための知識であり、その知識を欠いた政策では問題解決につながらないのである。
さらに、欧米ではその現場知を投入するための「場」として、政策形成に住民が参加し、議論を行う場が設置されてきた。その場には様々な住民が参加するため、単なる知識の投入だけでなく、その社会問題の問題状況(コンテクスト)の理解が可能になる。そして、その問題状況の理解によって、問題の構造の分析や解決案の策定が可能になり、公共政策学では「参加型政策分析」として方法論の検討が進められてきた。
前述の初期の公共政策学の挫折は、政策過程の構造を分析する「ofの知識」に対しても影響を及ぼした。従来の公共政策学では、「ofの知識」は政策決定に関与する政治家や官僚といったアクターの特性や、アクター間の権力関係の分析が中心であった。しかし、「自動化の選好」において政策分析が政策過程で機能しなかったため、「知識活用論」として新しい研究が行われるようになった。
まず、政策分析によって提供された知識が、実際の政策決定でどのように活用されているかという分析が行われた。そして、政策分析によって提供された知識が、政治家や官僚に対してどのような影響を及ぼし、どのような政策選択がもたらされたかという分析が行われた。また、政府が社会経済状況や過去の経験をもとに学習し、政策を形成することが指摘され、「政策学習論」として注目された。
さらに、政治学においてアクターをとりまく様々なルールや仕組み、すなわち「制度」がアクターの行動に影響を及ぼすことが注目され、「新制度論」として研究が進められると、公共政策学もその影響を受けた。公共政策学では制度が政策決定、とりわけ前述の政策学習にどのように作用するかということが検討された。そして、政策が決定される「場」の構造によって、また、拒否権が行使される「拒否点」の存在や、過去に策定された制度が「政策遺産」として存在することによって、政策形成への知識の反映が左右されることが指摘されたのであった。
公共政策学は創設時の「政策決定をどのように改善するか」という問いに苦しみながら、学術的検討を重ねてきた。研究が立ち遅れてきたわが国ではその学術成果がまだ十分に紹介されていないが、「第三世代の公共政策学」として共通認識が形成されてきた。
公共政策学が1970年代の方向転換において真っ先に行ったのは、合理的意思決定への幻想を捨て去ることであった。客観的・中立的な立場に位置する専門家が、価値中立的な分析によって問題の解決案を形成し、政策決定者がそれをもとに合理的な政策決定を行うということは幻想に過ぎないのである。
それではどのようにすれば良いのか。公共政策学が強調してきたことは、端的には、政策決定での知識の多元性の確保である。それは同時に専門家のあり方も大きく変化させることとなる。専門家に対しては、当該問題の問題状況を分析するために、多元的な知識が投入される場に自ら参加することが求められる。その際には、知識がどのような経路で政策形成につながるのかという「ofの知識」が必要になってくる。そして、もっとも重要なのが、専門家のみが問題の解決案を策定するのではないということである。専門家が提供する様々な情報(政策の議論の妥当性、事実や情報の根拠、社会的・技術的制約)をもとに、多様なアクター間での「議論」をもとにした「探索」によって、問題の解決案を検討することが求められるのである。