田中 素香 【略歴】
田中 素香/中央大学経済学部教授
専門分野 国際金融論、EU経済論
激しいユーロ危機が2011年後半から12年春・夏のギリシャ離脱危機まで続いた。だが12年7月を最後に危機は沈静化へと向かった。沈静化は今も続き、ユーロ相場も昨年1月の90円台半ばから今年1月には123円へ上昇している。その理由とユーロ危機の今後について考えてみたい。
2012年7月末にECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁が、「ユーロ圏の一体性を守るためには何でもする」と宣言した。「2012年はあの一言で尽きていた」と欧米の投資家から評価されるほどインパクトは強かった。管理通貨制下の中央銀行はいくらでも現金を供給する能力をもつ。ドラギ発言は、ECBが「最後の貸し手」の役割を果たすという意味だと、投資家や金融市場は受け止めた。
中央銀行が金融危機の際に国債を買い上げて金融安定をはかるのは自明の理といってよいのだが、EUの基本条約にはそのようなECBの権限を明示していない。「物価の安定」を守るのがECBの仕事であって、その他のことには口を出すな、というように受け取れる。
それでも07年8月にサブプライム危機がユーロ圏で爆発したとき、ECBは一日20兆円というような巨額の流動性を銀行に供給し、古典的な意味での「最後の貸し手」の役割を果たした。さらに10年5月にギリシャ危機が爆発すると、ギリシャ国債の流通市場での購入に乗り出し、21世紀的な意味での「最後の貸し手」、正確には「最後の買い手」として出動した。
しかしインフレ恐怖症で頭の固いドイツ連邦銀行はこの行動にいい顔をしなかった。当時のドイツ連銀総裁はECBの次期総裁に予定されていたのだが、幸いにも、彼はドイツ連銀を辞任しスイスの大銀行に再就職した。そしてイタリアからドラギ新総裁が選ばれたのである。ドラギ総裁は、イタリアの国庫省(財務省に相当)やイタリア銀行で活躍したが、アメリカの投資銀行ゴールドマン・サックスでも仕事をした経験がある。まさに危機対応時の総裁にうってつけであった。
ECBは11年12月翌年2月の2度にわたって合計1兆ユーロ(約100兆円)もの資金を銀行に供給した。800を超える銀行に十分な資金が行き渡り、荒れ狂っていた銀行・金融危機はぴたりと止まった。「ドラギ・マジック」といわれた。
さらに12年9月6日のECB政策理事会で、ドラギ総裁は、ドイツ連銀ワイトマン総裁の反対を押し切って、ユーロ圏危機国の国債(残存期限三年以内の短期もの)の無制限の購入を決めた。OMT(Outright Monetary Transactio:一方的貨幣取引)と呼ばれる。
金融市場は、これでユーロ崩壊のテールリスクは消えたと安心し、攻撃を控えた。ドイツ政府が決定を黙認したことも安心材料となった。
ユーロ圏各国がユーロ安定の切り札の一つと位置づけていたESMが、ドイツ憲法裁判所で「合憲」の判決を受け、10月8日スタートにこぎつけた。
ESMは800億ユーロの払込資本をもち、6200億ユーロの請求払資本を保証されている。トリプルA格付けの債券発行が可能であり、5000億ユーロまでの貸付規模をもつ。危機国の国債を発行段階で購入し、あるいは銀行危機予防などのために参加国政府を通さず直接に資本注入する権限ももっている。ESMの発足も金融市場の安心感を強めた。
12年6月末のユーロ圏首脳会議は、「金融危機とソブリン危機の悪循環」を断ち切ることが至上命令との認識を示し、銀行同盟の創設を承認した。画期的と言える。
ユーロ危機の発端はギリシャの放漫財政だったので、ドイツ政府などはユーロ危機を南欧諸国のでたらめな政府行動に由来する政府債務危機と捉え、危機国の政府に懲罰的な財政緊縮を求めた。だが冷静に観察すると、危機を爆発形態へと高めたのは金融市場であった。その根底にはユーロ導入によって西欧の銀行が大規模に国境を超えて進出した金融統合の進展があった。西欧の銀行が南欧諸国に進出し、大規模の貸付や国際投資を行ったため、財政や経常収支の赤字は容易にファイナンスされ、リーマンショックによって銀行の融資が逆転するまで、不均衡は持続したのである。
上述の6月首脳会議の画期性はユーロ圏諸国政府が初めて金融危機を危機克服の主要対象と位置づけたところにある。銀行同盟は、ECBに一元的な銀行監督権限を与える単一監督制度、共同の銀行預金制度、銀行危機処理機構(資本注入、救済、破綻処理を担当)の3つの機能をもつ。
ファンロンパイ大統領(EU首脳会議常任議長)は首脳会議に提出した報告書において、「真の経済・通貨同盟」を構築するために、銀行同盟と並んで、財政、政治、そして経済政策を担当する「統合機構」の創設を提案した。
このように、ECBの「最後の貸し手」機能の実現、ESM創設、銀行同盟および関連する諸機構の創設への進展、これら3つが相まって、ユーロ危機の沈静化をもたらしたのである。
12年春から夏にかけてのギリシャ離脱危機まで、ユーロ危機の主役は銀行・金融市場であった。危機国から預金が流出し、安定したドイツなどへ流入したので、ドイツの10年物国債の利回りは2%を切ったのと対照的に、スペインやイタリアでは6%、7%にも上昇し、企業や家計の借入利率も高まり、南欧諸国の銀行は銀行間市場で資金調達が困難になった。ユーロ圏の金融市場は北と南に分断されたのである。
上述した諸理由によりユーロ危機が沈静化し、アメリカの民間債務の縮減や住宅価格の下げ止まり、景気の持ち直しなどもあり、また中国の成長率の下げ止まりもあって、世界景気の先行きに楽観的な見方が広がった。ユーロ圏でも昨年11月に入るとギリシャで株価上昇が加速し、スペインなど南欧諸国へ海外投資家の回帰が見られるようになった。今年1月にはアメリカの投資家がかなり大規模に南欧への投資を再開している。スペインやイタリアの国債利回りは10年物で4%台から5%台へと低下した。ユーロ相場も回復してきた。
こうしてユーロ危機は遠のいたように見える。
ユーロ導入によってユーロ加盟国の生産力・競争力が接近するのか、それともコア諸国への集積が進んで周辺諸国が空洞化していくのかについては、ユーロ導入以前に論争がなされた。実際には、ドイツなど西欧諸国が低いインフレ率をベースに競争力を高め、南欧諸国は高いインフレ率と消費ブーム・不動産ブームにより競争力を失っていった。西欧諸国の経常収支黒字と南欧諸国の経常収支赤字が鏡像の形で拡大していった。しかし上述した西欧の銀行の与信により、赤字はファイナンスされ、ついにバブルとなって爆発したのである。
北部欧州諸国の経常収支黒字と南欧諸国の赤字は、縮小はしたものの、まだかなりの規模で持続している。生産力・競争力の北部の優位は、危機の中で南欧諸国の賃金切り下げや企業合理化により縮小しているが、均衡をもたらすほどではない。
南欧重債務国の政府債務の切り下げのためには名目成長率が高まらなければならない。北部欧州が財政支出を拡大し景気を刺激すれば、南欧諸国の回復過程の下支えとなるのだが、財政均衡を目指すドイツをはじめ北部諸国にそのつもりはないようだ。
そうであれば、黒字国の財政支出を直接に赤字国に流し、当該国の産業を強化して、均衡への動きを強めるなど、ユーロ圏規模の連邦型財政政策と産業政策が必要になる。13年には政府債務が190%に達するとみられるギリシャには特別措置を考えなければならなくなるであろう。
ユーロ圏は銀行・金融危機の再発を防ぐために、銀行同盟の速やかな完成を必須条件としている。さらに中長期的な財政による対応も準備しなければならない。ユーロ危機の沈静化はひとまずの安心材料だが、それが持続するためには手立てがいる。2013年は日本にとってと同様に、ユーロにとっても正念場の年になる。一時的な危機沈静化で油断するようでは、先が危ういのである。