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片山 建二

片山 建二 【略歴

教養講座

電力問題と次世代太陽電池の開発

片山 建二/中央大学理工学部教授
専門分野 光化学、分光分析化学

1.エネルギー概算

 東北沖地震及び福島第一原発での事故以降、原子力に頼らない代替エネルギーの確保が求められている。しかし、原発からどの程度の電力を得て、どのように利用されることを想定していたか、という量的イメージを抱けている人は少ないのではないだろうか。私自身、この問題を考えるまで、消費エネルギー・利用可能エネルギー・電力の区別・量的パランスを意識していなかった。皆さんは日本で消費するエネルギーのうち4割が電力を作るために使われていて、そのさらに4割程度しか利用可能な電力になっていないことご存じだろうか? 私は太陽電池を研究する一研究者として、エネルギー白書(経済産業省ホームページ)等より様々試算してみた。

 まず、図1から太陽から届くエネルギーからみてみると、
・太陽光が地球に降り注ぐ全エネルギーのうち、1%が利用可能なエネルギー。
・世界中の人が使うエネルギーはその1-2%。
・日本が使うエネルギーは世界全体の4%。
思ったより少ないのではないだろうか。

 図2から日本のエネルギー消費バランスを見てみると、
・使用エネルギーのうち電力として使う分は、全体の40%。
・電力の25%程度が原発により賄われていた。
・日本全体の電力を原発で賄うとおよそ200基ほどあればよい。(現在、50基程度)
・電力消費は家庭・会社・産業でおよそ3等分して使用されている。
・原発1基でおよそ50-100万世帯の家庭の電力が賄われる。
・再生可能エネルギーが発電に占める割合は1%程度。(原発1基分)
・そのうち、太陽光や風力発電が占める割合はさらにその10%。
原発の発電量がいかに大きく、現状、再生可能エネルギーの発電量がいかに小さいかがよくわかる。

 また図3から、家庭でのエネルギー使用を見てみると、
・エネルギーの半分が電力で賄われ、残りはガスや灯油で賄われる。
・家庭で使われる電力のうち、エアコン・照明・冷蔵庫で半分をしめる。
家庭で使われる電力の1/3程は節電努力ではどうにもならないという感じである。以上の数字は、量的関係をイメージしやすくするため、諸議論あるところも、簡単な数字としているので、ご了解願いたい。

 この数字からわかることは、1基で50-100万人都市の家庭電気を賄うことができ、日本の電力の1/4を支えていた原発50基がほとんど動いていないで、電力需要を満たしているということである。このエネルギーロスを原発1基の1/10程度の発電しかしていない太陽光や風力発電などの再生可能エネルギーで賄っていこうという大変な計画を今我々は目指している。

 本稿では、我々が研究している太陽電池について述べる。太陽光を用いて得られている電力はたかだか電力供給の0.2%にすぎない。それでは、なぜそれほど太陽光発電に対する期待が大きいのか。それは、地球に届く太陽光エネルギーの量が、人類が消費するエネルギーの10000倍もあるからにほかならない。

2.太陽光発電の種類

 太陽光発電には2種類のタイプのものがある。太陽熱発電と太陽電池である。太陽電池は、皆さんにもなじみの深い家屋の屋根に取り付けられているパネル状のものである。これはpn接合というシリコン半導体をベースにして、光を当てると電気(電子)が発生し、それを取り出して利用するタイプのものである。私が研究しているのはこのタイプ太陽電池の次世代版として期待されているものである。

 太陽熱発電は、砂漠などの空き地に多数のミラーを設置して利用されているタイプのものである。ミラーで反射される光を1点に集めてそこに加熱体を置く。その加熱によって蒸気を発生させて、蒸気の力を使ってタービンを回して発電する。火力発電、原子力発電ともに結局は加熱した蒸気でタービンを回して発電するので同じ方式といえる。水力発電ではタービンを回すのに水が落ちる力を利用する。

3.太陽光発電による電力供給

 本当に太陽光発電によって電力を賄うことはできるのだろうか。太陽電池で賄うことを考えてみる。太陽電池の場合、日照に影響を受けるため正確な試算は難しいが、日本の原発のうち6割の30基程度が動いているとする。1基あたりの発電量が200万世帯の屋根につけた太陽電池に相当するので、単純計算で6000万件の屋根につける必要がある。日本の世帯数が5000万ということだから、到底すべてを賄うことは無理なことが分かる。むしろ、リスク管理の観点から各戸に発電施設があることのメリットを考えたほうがいいのではないかと思う。

 しかし、最近は空き地に多数の太陽電池パネルを利用して利用するメガソーラーというものが利用されている。一般的なものは原発1基の1/100から1/1000の規模のものなので、1万人から数千人規模の町の家庭電力を賄うが、現在100か所程度しかないことから、原発の代替とはなかなかならない。しかし、サッカーグラウンド数面あれば、設置可能なので、都市部以外の小さな町の電力を供給する用途にはよいように感じる。また、最近ソフトバンクなどが開発を表明した巨大なものだと原発1基の1/10程度の規模となっており、遊休地であれば、有効な利用方法だと思う。

 いずれにしても、太陽光発電だけで、原発の代替とはなりえず、様々なエネルギー源を組み合わせて代替方法を考える必要がある。

4.太陽電池の開発状況

 いずれにしても、代替エネルギーは必要なので、太陽電池パネルをどんどん家屋につけていけばよい、と思うかもしれない。しかし、そうであるならば我々のような次世代の太陽電池を開発する研究者は必要ない。何が問題なのか。太陽電池パネルには、シリコンという材料が使われていて、材料の作成の際に1500℃程度に加熱して溶融し、単結晶を作成する必要がある。このような高温を作るには当然、燃料や電気が必要であり、実はエネルギーを作るための太陽電池を作れば作るほど、エネルギーを消費してしまうというパラドックスがある。もちろん何年も太陽電池として電気を作り続けられれば、そのエネルギーを回収できるには違いない。

 そのため、現在は作成にエネルギーコストのかからない真にエネルギーロスが少ない、効率のよい太陽電池が求められている。現在、注目されている次世代の太陽電池として、色素増感型太陽電池というものと有機薄膜太陽電池というものがある。(図4)

 前者は、色素という名前からも分かるように色素が加えられていて、これが太陽光を吸収することで電気(電子)を発生する仕組みである。色素というのは文字通り色がついており、これは、人間の目に見える色のうちいずれかの色を吸収する特性があるため、そのような色に見えている。したがって、様々な色の色素を使って、様々な色の太陽エネルギーを吸収させればいいことになる。作成には高温も複雑なデバイス作成プロセスもなく、実は中高生の体験実験にもよく使われている。(身近な葉から色素を抽出して使うことも可能である。)ただ、色素などの有機物や電気化学反応を使うため、劣化や封止に問題がある。

 後者は、今までのシリコンで作られている太陽電池をすべて有機物で作った太陽電池である。シリコン太陽電池ではpn接合というのを利用すると先に記述したが、これは、電子(負の電荷)とホール(正の電荷)を分離して運ぶためである。有機物でも、その電子とホールを運ぶ異なる有機物を混合することで、pn接合を作っている。すべてが有機物でできているので、大量生産が可能で、フレキシブルなため、どのような形状にも張り付けることができる。ただし、やはり有機物なので、耐久性に問題がある。プラスチックを太陽にさらしておくと徐々にもろくなったりするのを経験された方は多いと思うが、多かれ少なかれ有機物でできているものは劣化するので、それを抑えるのが課題である。

 現在、シリコン系の太陽電池の効率(照射された太陽光エネルギーのうちどの程度電気に変換できるか)が20%をこえるぐらいであるが、色素増感太陽電池も有機薄膜太陽電池も効率が10%をこえたぐらいである。いずれも研究が始まって10-20年程度のテクノロジーと考えると、驚異的なスピードで効率が向上されている。今後も研究の重点化にともなって、さらに新しい太陽電池が開発され、自然エネルギーの有効利用が進むものと期待される。

5.終わりに

 地震以降、われわれ研究者にとっての命綱でもある国や国家機関から得られる研究費は、代替エネルギー開発に比重をおいた内容が増え、研究者もその目的に沿った研究をする人が急速に増えており、私もその一人である。国策に沿った研究を進める人が増えることは国家戦略としてよいことだと思うが、お金をかければ、代替エネルギー開発が加速されるかというとそう簡単にはいかない。

 研究開発にはどうしても時間が必要である。理由を説明するのは現場を体験しないと難しい面があるのが、研究には積み上げた努力(予算)に比例して進展するものと、様々に手をつくして運がいいと成功するものがある。今、太陽電池開発に必要とされているのは、電池が賄っている電力を見ればわかるとおり、大きなイノベーションであり、後者だと思う。これは宝くじに似ていて、お金をたくさん使えば、当選する確率は上がるが、一生あたらないこともありうる。電池に関しては、そういう技術であるために、無責任に原発の代替とは言えない状況だと感じる。

 また、論調として、原発を止めても電気は足りている、という声も聞こえてくるが、知人から聞いた話では、原発事故の後、通常では考えられないスピードで火力発電所を建設したという話を聞いた。電気が足りているのではなく、電気を足りるようにしているという認識を持つ方が正しいのではと思う。電力・関連会社には優れた研究者・技術者が多数いる。その人たちの努力も認める必要があるし、そもそも火力発電で燃やして電気が足りればいい、というのであれば、これまでの二酸化炭素削減の議論はなんだったのか、ということにもなる。それぞれの人が原発で支えられていた電力である全体の2-3割の節電、すなわち空調を使わない、テレビをつけないぐらいの覚悟を持って脱原発を進める気概が必要だと思う。個人的には、個々の国民が自己の責任を果たしつつ、原発を減らす方向に向かっていくのが、成熟した先進国の方向性なのではないかと思う。

 この原稿の依頼を受けたころは、まさに衆議院選挙の真最中、原発の今後は選挙の争点となっている。エネルギー・電力の問題がどんな風に国民の審判を受けるのか、この記事が掲載される頃には判明しているはずだ。

片山 建二(かたやま・けんじ)/中央大学理工学部教授
専門分野 光化学、分光分析化学
香川県出身。1973年生まれ。1996年東京大学工学部卒業。1998年東京大学大学院博士課程中退。博士(工学)(東京大学)東京大学助手、マサチューセッツ工科大学博士研究員、神奈川科学技術アカデミー研究員を経て、2006年より中央大学理工学部応用化学科 准教授、2012年より教授。レーザー光源を使った新しい分光分析法を開発し、太陽電池、光触媒、高分子、液晶など様々な材料の評価を行っている。また、小さな器具・少量の試薬を用いた新しい化学実験教育法の開発を行っている。ホームページ:http://www.chem.chuo-u.ac.jp/~spec/index.htm