2012年10月15日、本年度のノーベル経済学賞がハーバード大学のアルヴィン・ロス教授とカリフォルニア大学ロサンゼルス校のロイド・シャプレー教授の2人に授賞されることが発表された。授賞理由は「安定配分の理論とマーケット・デザインの実践に対する貢献」であった。今年は医学生理学賞が京都大学の山中教授に授与されたこともあり、日本のお茶の間でもノーベル賞のことが話題にのぼっていたと思うが、経済学賞については世間でほとんど知られていないように思われる。その理由のひとつは、残念ながらこれまで日本人で経済学賞を受賞した人がいないこともあると思うが、経済学というと実生活に応用できるようなものではないと思われているためでもあろう。しかし、本年度ノーベル経済学賞を受賞した研究は、研修医マッチング、学校選択制、腎臓交換などで実際にも応用されているものである。
そこで本稿では本年度のノーベル経済学賞を受賞した研究について解説し、その応用可能性について説明したい。また私自身がやり始めている研究がこの研究に深い関連性を持つので、これについても若干触れたい。
1.またもやゲーム理論家が受賞
本年度ノーベル賞を受賞した研究は、一般にマッチング理論とかマーケット・デザインとか呼ばれている分野に属する。この分野はさらにゲーム理論の応用分野とみなされている。
近年ノーベル経済学賞を受賞した研究を一覧してみると、まず目につくことは、ゲーム理論に関連した研究の受賞比率が非常に高いことである。ゲーム理論は戦略的状況におかれた人々の意思決定のあり方に関する理論で、1944年にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが『ゲームの理論と経済行動』を出版したことを嚆矢とする比較的若い学問である。ここで戦略的状況というは簡単に言えば、相手の選択によってこちら側の最適な選択が変化するような状況のことである(ジャンケンを思い浮かべてもらえばよい)。このような状況ではお互いに相手の出方を「読み合う」必要があるので、一見したところ、どのような行動が選択されるのかについて何も予測できないのではないかと思うかもしれないが、ゲーム理論はそのような理論を発展させてきた。
その後のさまざまな研究を通じて明らかにされてきたように、実際には、戦略的状況はわれわれの身の回りに遍在しており、そこで何が起こるのかに関して予測できるゲーム理論は非常に広い応用範囲を持っている。今日ではミクロ、マクロを問わず、経済学のいたるところで、さらに経済学を超えて、社会学、政治学、生物学でも用いられる分析ツールとして認められるに至っている。
こうした研究の蓄積により、まず『ゲームの理論と経済行動』の出版から50年目である1994年に、ナッシュ、ハーサニ、ゼルテンがゲーム理論の基礎研究における功績でノーベル賞を受賞した。そして2年後の1996年にはマーリースとヴィクリーが、情報の非対称性がある場合のインセンティブ理論に対する貢献で受賞している。今世紀に入ってからも、情報の非対称性を伴った市場の分析に対する貢献でアカロフ、スペンス、スティグリッツが受賞(2001年)、ゲーム理論によって紛争と協力の理解を高めたとしてオーマンとシェリングが受賞(2005年)、メカニズム・デザイン理論の基礎をつくったとの理由でハーヴィッツ、マスキン、マイヤーソンが受賞(2007年)している。もはや、多かれ少なかれゲーム理論が関係しない経済理論の分野は存在しないといっても過言ではなく、その他の受賞もゲーム理論のモデルに大きく依存している。
2.マッチング理論とは
まず、もっとも簡単かつ身近な? 例として、合コンの状況を用いてマッチング理論について解説しておこう。
ある合コンに3人の男性(一郎、二郎、三郎)と3人の女性(松子、竹子、梅子)が参加したと考えよう。男性の各人はどの女性が好みなのかに関して選好順位を持っている(表1)。また、女性の方でもどの男性が好みなのかという選好順位を持っている(表2)。マッチングというのはたとえば表3や表4のように、誰(男性)が誰(女性)とペアになるのかを完全に指定したものである。この2つのマッチングを比べてみると、一郎と二郎は満足度が高くなる一方で、三郎の満足度は変わっていないことがわかる。誰も状態を悪くしないで、誰かが状態をよくできるということである。このようなときマッチングB(表4)がマッチングA(表3)をパレート支配しているといい、もはやそれ以上パレート支配されないようなマッチングを(男性から見て)パレート効率的なマッチングという。マッチングBはパレート効率的なマッチングである。また、マッチングBを見てみると、三郎と松子がお互いにマッチングすれば、三郎も松子もともに満足度が上昇する。このように、あるマッチングを所与として、そこでマッチしていないペアが互いにマッチすると現在の状態よりもよくなるようなときに、そのマッチングを不安定といい、そのようなペアが存在しないとき安定的であるという。マッチングAは安定的である一方、マッチングBは不安定的である。
表 1 男性たちの選好順位 |
男性 |
第1位 |
第2位 |
第3位 |
一郎 |
竹子 |
松子 |
梅子 |
二郎 |
松子 |
竹子 |
梅子 |
三郎 |
松子 |
竹子 |
梅子 |
表 2 女性たちの選好順位 |
女性 |
第1位 |
第2位 |
第3位 |
松子 |
一郎 |
三郎 |
二郎 |
竹子 |
二郎 |
一郎 |
三郎 |
梅子 |
二郎 |
一郎 |
三郎 |
表 3 マッチングA |
一郎 |
二郎 |
三郎 |
↓ |
↓ |
↓ |
松子 |
竹子 |
梅子 |
表 4 マッチングB |
一郎 |
二郎 |
三郎 |
↓ |
↓ |
↓ |
竹子 |
松子 |
梅子 |
このようにマッチングといってもいろいろな性質があるわけで、望ましい性質を持つマッチングを実現するためにどうしたらいいのかということが問題となる。本年度ノーベル賞を受賞したシャプレーはゲールとともに次のようなアルゴリズムを提案した(以下の例では男性から女性に申し込むバージョンだが、もちろん女性から男性に申し込むバージョンもある)。今日、ゲール=シャプレー・アルゴリズムと呼ばれているアルゴリズムである。
まず、男性と女性の全員に、選好順位を書いたものを提出してもらう。その上で、この選好順位に基づいて、アルゴリズムは以下のように進められる。各男性が第1位の女性に交際を申し込む。女性の側では申し込みが1名であればその人を「暫定的」にキープし、2名以上が申し込んできたら、そのうち優先順位が高い方をキープする。この段階で受け入れられていない男性は、優先順位が2番目の女性に交際を申し込む。このときに申し込まれた女性がフリーであれば、女性はこの男性をキープし、すでに最初の段階で申し込みを受けている女性であれば、最初の段階で受け入れた男性と新たに申し込んだ男性のうちどちらか選好順位の高い方をキープする。この段階ですでに受け入れられていた男性がふられてしまう可能性もあるわけである。こうして、ふられた男性は次の段階で、次の順位の女性に交際を申し込む。この手続きは必ず有限回で終了し、その時点でキープされていた男性と女性がペアとなって一定のマッチングが決まることになる。
ゲール=シャプレー・アルゴリズムは、次のような意味ですぐれた性能を持っている。第1は、各人が最初に自分の好みを提出する段階で、自分の本当の好みを提出することが最適な行動になることである。したがって、他の人がどのような好みを提出するのかについて戦略的に考える必要がなくなる。第2に、ゲール=シャプレー・アルゴリズムで実現するマッチングは必ず安定的になるということである(この例では、マッチングAが実現する)。上述したようにマッチングAはパレート効率的ではないものの、安定的なマッチングである。
雰囲気は伝わっただろうか。合コンの例はマッチング理論が扱ってきた中でももっとも単純な例である。マッチングはほかにも、研修医と医療機関とのマッチング市場、腎臓の交換(患者とその家族とが移植可能なタイプでない場合には家族からの移植はできないが、同じような状況にある他の患者・家族のペアと腎臓を交換することができるかもしれない)に応用されてきた。今回ノーベル賞を受賞したロス教授は、こうした研究を長年にわたって強力に推し進め、自らが考案したメカニズムを現実にも使用されるように尽力してきた。このことが本年度の授賞理由に「マーケット・デザインの実践」があげられている理由である。
3.積極的差別是正政策は有効か:学校選択制の実験研究
私の現在の研究テーマの1つは学校選択制の実験である。かつては入学する小学校、中学校は生徒が住んでいる学区によって決められており、選択の余地がなかったが、近年はより広い選択肢の中から生徒が選択することが可能になっている。しかし、ある特定の学校に人気が集中する場合には、何らかの手続きによってすべての生徒の各学校への割り当てを決定しなければならないであろう。このような制度のことを学校選択制という。このときにどのような具体的手続きを用いて割り当てを決定するかによって、生徒の満足度に大きな影響を与える可能性がある。学校選択制の理論もまた、上述したマッチング理論の応用で分析することができる。
ボストンでは以下のような学校選択メカニズムが利用されてきた。まず生徒たちに学校に対する選好順序を言ってもらい、第1優先順位に指定してきた生徒の数がその学校の定員内に収まるならば、その生徒たちに確定的な入学許可が出される。そこで入学が決まらなかった生徒たちは優先順位2位の学校に応募し、そこで定員に余りがあるならば、そこへの入学が決定する。そこでも決まらなかった学生は、さらに優先順位3位の学校に応募する等々。
このようなメカニズムでは、生徒たちは自分の本当の好みを表明することが最適であるとは限らず、お互いに他の生徒たちの応募について「読み合い」をする必要が生じてしまう。ロス教授はこのようなことを指摘し、上で説明したゲール=シャプレー・アルゴリズムを学校選択制に使用できるようにしたメカニズムをボストン市に提案した。この提案は実際に採用されている。
さらに最近、日本人の小島武仁氏や松八重泰輔氏によって、積極的差別是正政策が学校選択制に導入される場合の効果に関する研究がなされている。たとえば、学生をマジョリティとマイノリティに分けた場合に、マジョリティの最大定員数を決めておいたり、応募してきたマイノリティの学生について、最大何人までは優先入学させると決めておいたりするような学校選択制が考えられる。理論的には、このような積極的差別是正政策が必ずしもマイノリティの厚生をあげないということが指摘されてきた。しかし、実際にそのようなことが頻繁に発生するかどうかということになると、理論研究だけでは明らかにできないかもしれない。
そこで私は、はこだて未来大学の川越敏司氏、政策研究大学院大学の安田洋祐氏と一緒に、そのようなメカニズムの実験研究を行っている。先日、この研究の一貫として、中央大学の多摩キャンパスで学生を被験者とした実験室実験を実施したばかりである。近日中にその成果は論文として学会で報告される予定である。