趙 晋輝 【略歴】
趙 晋輝/中央大学理工学部教授
専門分野 画像メディア、暗号理論
人間の目はどうしてさまざまな色が見えるのか、という素朴な疑問は、すでに古代ギリシアの時代より、人々の知的好奇心を惹きつけてやまなかったようだが、現在は、ヘルムホルズーヤングの三原色説が、目の網膜に色を感じるL,M,S錐体細胞の存在によって確認されている。さらに、色覚における奥深い謎を解明するためには、人間の脳情報処理のメカニズムをも含めて、物理的、生理的、心理的なアプローチによって数多くの研究が行われてきている。
最近、PCやスマートフォンなど個々人が専用端末を所有する割合は急速に拡大しており、表示される情報の見やすさと快適さを考慮するユニバーサルデザインへの取り組みは盛んである。中でも色情報の提供に関する問題意識や関心が高まり、色彩バリアフリーの観点から、色盲と色弱を含む色覚異常者への対応は重要な課題である。これは、今日の科学技術の人間中心へのパラダイムシフトの一つの表れでもあろう。
色盲は主に人間の網膜のL,M,S錐体細胞のうちの一つの欠損によるとされるが、色弱は、錐体一つだけとは限らず、様々な遺伝的或いは後天的な原因から色知覚の異常が引き起こされるため、その形態と程度は人によって大きく異なる。実際に、日本人の多くを占める黄色人種では男性の約5%(20人に1人)が、また白人男性の約8%、黒人男性の4%が、赤或いは緑の色弱であるといわれている。日本人女性でも約0.2%(500人に1人)が、同様の色弱特性を持つ。これは日本全体では男性の約300万人、女性の約12万人に相当する。大都市一つの人口にも匹敵する大変な人数である。
色覚異常である人の大半は色弱者である。現在、色盲者に対しては、メガネやフィルターによる補正、ディスプレー上の補正ソフトの利用、色盲シミュレーションに基づくカラーデザインといった様々な補正法が知られている。しかし、背景と文字の色の補色対比を増幅させて区別するという方法は、主に文字情報など二色対比型のカラー画像に用いられ、自然画像のような複雑なカラー画像へは適用できない。
一方、色弱者に対しては、色知覚の個人差を考慮した有効な方式が見当たらない。特に、人間の色知覚は、色毎に異なる複雑な特性を持っており、それを外から観測することは不可能であるため、客観的に人間の見る色をモデル化することが困難である。従って、色弱の程度、どこまで補正すべきか、その補正率と補正基準も客観的に決定できない。さらに、色弱及び色覚特性は個人特有で複雑なものであるため、個人差の考慮が必要となる厳密な色弱補正は原理的に難しかった。また、人間感覚における線形性と再現性の欠如が大きな障害となり、厳密で客観性のある方法はなかなか見つからない。
図1 MacAdam楕円
一方、往々にして主観的な要因に大きく左右される色彩科学の中でも、「色弁別閾値」、つまり異なる色を見分けることのできる最小の色差というデータが、客観的に観測可能なため、小色差の色知覚における最も重要な特性として知られている。それを色度平面で初めて測定されたMacAdamの楕円(10倍拡大)は図1に示される。楕円中心の色から出発してある方向へ色を変えても、暫くは人間が色の違いに気付かない。その違いに気づく最も近い色の全体は中心色の色弁別閾値であり、楕円で表わされる。その楕円は、色毎に大きさも方向も変わってくることが分かる。特に、色弱者の楕円が健常者に比べて伸びている方向の色は、色弱者にとっては識別しにくい色となる。また、一般的に、色弁別閾値データは個人ごとに固有なものであり、観察者の独有の色知覚特性を表している。
このデータを上手く利用して色弱者個々に対応できる補正法ができないかというのは、我々の最初のねらいであった。
まずは、色弁別閾値楕円が、本来円であるべきことを考えると、これらのデータは観察者それぞれの色空間の中の歪みを表していることに注目した。このような歪んだ空間を扱う数学的手法としてリーマン幾何学が知られている。リーマン幾何の理論に基づく発想から、各色の色弁別閾値と色分布全体の主観的色差を結びつける方法を見つけ、色弱者と健常者が見る色の対応と、色弱補正の客観的な基準が導かれた。従って、人間の色弁別閾値に基づき、個々人に合わせて色弱者に一般色覚者と同様な色を見せる色覚補正方式が得られた。
人間の色知覚を客観的に評価できる形で表現するために、まず、色弱者と健常者の色弁別閾値を心理物理学実験によって測定した。図2は、健常者平均の色弁別閾値、図3は、ある色弱者の色弁別閾値の測定値である。
図2 健常者の閾値楕円
図3 色弱者の閾値楕円
上記補正基準により、提案方式を自然画像に適用することで、健常者からみた色弱者の見る画像(色弱シミュレーションという)と、色弱者に健常者と同様な色覚を見せるための補正画像を生成した。これらの色弱シミュレーションと色弱補正について、定量的・主観的な両面から評価を行い、補正効果を確認した。
図5、4と6は、元画像、色弱シミュレーション画像と補正画像を示している。
図4 色弱視 simulation
図5 元画像
図6 補正画像