建部 正義 【略歴】
建部 正義/中央大学商学部教授
専門分野 金融論・銀行論・金融政策論
日本銀行は、2012年2月および4月の政策委員会・金融政策決定会合において、デフレからの脱却を目的に、金融緩和強化策をあいついで決定した。
2月14日の金融緩和の強化をめぐる決定内容は、次のとおりである。
● 中長期的に持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率として、「中長期的な物価安定の目途」を示すこととする。日本銀行としては、「中長期的な物価安定の目途」は、消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域であると判断しており、当面は1%を目途とする。
● 当面、消費者物価の前年比上昇率1%を目指して、それが見通せるようになるまで、実質的なゼロ金利政策と金融資産の買入れ等の措置により、強力に金融緩和を推進していく(「時間軸効果」の明確化)。
● 資産買入等の基金(2010年10月に総額35兆円で開始、その後漸次的に増額)を55兆円程度から65兆円程度に10兆円程度増額する。買入れの対象は長期国債とする。
また、4月27日の金融緩和の強化をめぐる決定内容は、次のとおりである。
● 資産買入等の基金を65兆円程度から70兆円程度に5兆円程度増額する。
① 長期国債の買入れを10兆円程度増額する(②の減額分を考慮に入れて)。
② 期間6カ月の固定金利方式・共通担保資金供給オペレーション(2009年12月に導入、その後漸次的に拡充、これも資産買入等の基金の一部をなす)については、応札額が未達となるケースが発生している状況を勘案し、5兆円程度減額する。
● 買入れ対象とする長期国債の残存期間については、今回の増額分を含めて多額の買入れを進め、長めの金利へ効果的に働きかける観点から、従来の「1年以上2年以下」を「1年以上3年以下」に延長する。社債についても、長期国債と同様に、買入れ対象の残存期間を延長する。
以上の結果、2012年6月末には、金融機関が日本銀行に保有する当座預金残高が史上最高を記録するにいたった。ここから、あるいは、日本銀行による今次の金融緩和強化策は、「量的緩和政策」とその効果に狙いを定めたものであるとの印象を受けるかもしれない。しかし、白川総裁の最近の発言に注目するならば、じっさいには、この施策は伝統的な金利政策の枠内にあり、それに依拠するものであることが明らかになる。
いくつかの例をあげることにしよう。
「私どもの金融政策は、ベースとして金利に働きかけ、これが、経済全体に影響を及ぼしていくと考えています。現在、私どもが行っている政策について、よく『非伝統的金融政策』と言われます。確かに、[CP、社債、ETF、J-REITの買入れなどの]非伝統的な金融政策を行っていますが、効果波及のメカニズム自体は非伝統的というわけではなく、伝統的なメカニズムです」(2012年4月10日の記者会見)。
「従来は『2年以下』で、今回は『3年以下』としましたが、こうしたゾーンに働き掛けを行っているのは、‥‥実際の日本企業の資金調達構造をみると、このゾーンが多いためです。米国の場合、金融債務は、企業よりも家計が多く、その家計の借入れは、圧倒的にモーゲージが多いです。モーゲージの借入は、30年近いものが多く、また、企業の資金調達手段として多い社債の平均的な発行期間も13年あるいは14年と、非常に長いわけです。そうした金融構造であると、長い金利に働き掛けていくことが有効と思いますが、日本では、そのように長い調達はさほど多くありません。これは、日本銀行が従来から2年以下を意識して基金の買入れを行ってきた理由です」(4月27日の記者会見)。
ただ、そうであるとするならば、日本銀行による今次の金融緩和強化策には、おのずからその効果に限界が画されていることも、けだし、否定しがたい事実であるといわなければならない。
その理由は、以下のとおりである。
第1に、この施策の実施によって、なるほど、「2年以上3年以下」の市場金利の低下が若干は促されるかもしれない。しかし、いったい、それが、企業による設備投資の顕著な増加、いいかえれば、15兆円と見積もられているデフレ・ギャップを解消するに足るだけの増加につながると期待しうるであろうか。というのは、「金利の期間構造」理論(中長期の金利は短期金利に比べてリスク・プレミアム分だけ高くなるという考え方)に鑑みて、「2年以上3年以下」の金利も、すでにそれに相応する水準にまで低下しているにちがいないからである。金利の低下余地はもともとごくわずかしか残されていなかった。
第2に、そもそも、金融政策は、財政政策と異なり、直接的には需要を喚起することができず、間接的に需要を喚起することができるにすぎない。すなわち、日本銀行による短期の操作目標金利(ないし長めの市場金利)の引下げ→市中銀行による貸出金利の引下げ→企業による銀行からの借入れを介した設備投資の増加、と。つまり、企業による銀行からの借入れを介した設備投資の増加を俟ってはじめて、金融政策は需要創出能力を発現しうるにすぎない。したがって、長期にわたるデフレ・ギャップが存在するもとでは、実体経済にたいする金融政策の効果も、いちじるしく阻害されざるをえないことになる。
日本銀行による数次におよぶ金融緩和政策がさしたる効果を発揮できないなかで、逆に、目立ちはじめたのが、行き過ぎた金融政策による副作用の表面化という問題である。
ここでは、さしあたり、以下の2点を指摘しておきたい。
第1に、日本銀行金融市場局「2011年度の金融市場調節」は、次のような数字を掲げている。「日本銀行は、現在、趨勢的な銀行券需要に対応する国債買入オペを、月間1・8兆円のペースで行っている。また、基金の運営として行う国債買入については、2012年3月末時点で19・0兆円程度としていた買入上限を2012年4月27日の金融政策決定会合において10兆円程度増額した。これに伴い、2012年末までに24・0兆円程度、2013年6月末までに29・0兆円程度への増額が完了するよう、2012年末までの間、月当たり約2・1兆円、2013年入り後、基金の増額が完了する6月末までの間、月当たり約1・0兆円のペースで買入れを行うことになる」。要するに、日本銀行による長期国債の買入れには2つのルートがあり、「趨勢的な銀行券需要に対応する国債買入オペ」は年間21・6兆円、「基金の運営として行う国債買入」は2012年4月以降同年末までに24・0兆円程度に達するというわけである。両者を合わせると45・6兆円にもなる。これは政府による2012年度当初の新規財源債の発行額44・3兆円を超えている。はたして、この事態は、日本銀行が、ルビコン河を渡り、財政ファイナンスの領域にまで足を踏み込むにいたったということを意味しないであろうか。あるいは、すくなくとも、政府の財政規律の弛緩を招く役割を果たすことになりはしないであろうか。
第2は、国債が日本銀行の共通担保やオペ種になっていることもあって、くわえて、企業への貸出が伸び悩んでいることから、市中銀行による国債の保有額が膨大な規模に上り、それにともない、市中銀行が抱える金利変動リスクが高騰しつつあるという側面である。じっさい、日本銀行の『金融システムレポート』(2012年4月)によれば、国債を含む債券の金利が1%上昇するだけで、2011年12月現在、大手行に3・4兆円、地方銀行に3・0兆円の損失が発生するとの由である。しかも、これはゆうちょ銀行を除いた数字である。そして、金利が、2%上昇すれば、あるいは、3%上昇すれば‥‥。考えただけでも空恐ろしくなる。まさに、金融危機の再来以外の何ものでもありえない。そうなれば、日本銀行は、今度は、物価の安定とならぶいまひとつの政策目的である金融システムの安定に向けて、全力を傾注せざるをえなくなるであろう。