トップ>研究>数学が社会を変える!-諸科学・産業界との連携を深める科学としての数学-
小西 貞則 【略歴】
小西 貞則/中央大学理工学部教授
専門分野 統計科学
数学は実社会の中で役に立っていると思いますかという質問に対して、多くの方は“はい”と答えると思います。しかしながら、具体的にどのような形で役に立っているかと言われると、少し答えに窮する方もおられるでしょう。これは、数学が自然科学はもとより社会科学のあらゆる分野で自然な形で浸透し、貢献していることから、それになかなか気がつかないからかもしれません。
身近な例を挙げてみます。コンビニで買い物をすると、商品に印刷されたバーコードを読み取り、金額を請求されます。バーコードは料金計算のためだけについているのではなく、購入した商品、購入時刻などが瞬時にコンビニの本部に転送されます。さらにポイントカードを提示すると購入者の性別や年齢などが分かり、商品開発、商品配送時間などのマーケティング戦略に欠かせないものとなっています。これらのデータは日々膨大な量に上りますので、大量かつ大規模データの中からいかにして有益な情報やパターンを効率的に抽出し読み取るかが、経営戦略を立てる上で鍵となります。このために用いられるのが、統計科学や機械学習で開発された様々なデータ解析手法です。
アクチュアリーと呼ばれる保険数理や年金数理の専門家には、数学は必須ですし、また携帯の実用化には、代数学や整数論の理論を用いた暗号、セキュリティや情報圧縮技術が欠かせません。アニメ制作やコンピュータグラフィックによる可視化、生命科学におけるタンパク質の立体構造解析には幾何学が活かされています。自動車を安全に発進、走行、停止させるための制御技術、電気自動車やハイブリッド車など環境に最大限配慮した車の実用化には、解析学、数値解析、計算数学が欠かせません。さらには、渋滞発生メカニズムの解明、情報通信技術、ウイルスの変異予測、ゲノムデータの分析による疾病予測や新薬開発、スパムメールの検出や検索エンジンの高精度化など、多様な分野で数学・数理科学が役に立っています。数学は、科学の共通の言語といわれる所以が垣間見えるかと思います。
21世紀の高度情報技術環境の中で、急速に生活の利便性の向上がもたらされていることをだれもが実感していると思います。しかしながら、今日の複雑性と不確定性が大きく増大した社会の中で、われわれは常に身の回りを様々なリスクに囲まれて生活していることも事実です。例えば、交通事故に遇うリスク、地震や度々襲来する台風などの災害に遭遇するリスク、生活習慣病を発症するリスクなど枚挙に暇がありません。東日本大震災や福島第一原子力発電所事故は想定外のリスクとして捉えられかけたとき、大きな批判を浴びました。極めて小さな発生確率でも損失に対するコストを掛けあわせると、とてつもなく大きな数字が見えてきます。
数学の定理を導くときには、想定外という言葉はありません。あらゆる可能性を検証して、一つの定理が構築されます。このため数学は、論理的思考力を身につけるのに有用な学問と言われています。数学的成果をどのように社会に役立てるかとともに、今日の複雑化した社会の将来を適切に予測する論理的思考力を育成する学問としての重要性にも目を向ける必要があるかと思います。
過去から学び未来の現象を予測、制御する技術を獲得するには、まだまだ時間が必要かもしれません。数学・数理科学は、原子力発電、水素インフラ、宇宙システムなどに関わるリスク解析、自然との闘いに挑む地震学、気象学など諸科学が直面する問題解決に役立つ技術を提供する学問として、ますます重要な役割を果たすものと考えられます。
近年の計算機のハードとソフトの両面に渡る高度な発展と利用環境の飛躍的な向上は、生命科学、情報技術、材料科学、ナノテクノロジーなど科学のさまざまな分野で、われわれが嘗て予測できなかった勢いで大きな変貌を遂げつつあり、新たな学問分野の創始・創出が続いています。その変貌の中で、数学・数理科学に対する学問的なニーズが急速に高まってきています。同時に諸分野での問題提起が数学へフィードバックされ、数学という枠組みの中で新しい学問分野の展開へと結びつくことも期待されます。
このような状況下で、主要国の数学研究を取り巻く状況と我が国の科学における数学の必要性、他分野との融合研究の推進の必要性を強く唱えたのが、文部科学省科学技術政策研究所の報告書「忘れられた科学―数学」や日本数学会と日本学術会議数学委員会シンポジウム「礎(いしずえ)の学問:数学-数学研究と諸科学・産業技術との連携-」で、2006年に時を同じくして出された政策提言です。数学研究の在り方に一石を投じ、数学研究者にも諸科学、産業技術の基盤を支える学問としての重要性を再認識させるきっかけとなったといえます。
この政策提言を弾みに、いくつかの大学の数学の研究・教育組織は、諸科学・産業技術との連携に取り組み成果を挙げつつあります。九州大学では、2011年4月から数学の新しい研究組織である「マス・フォア・インダストリ(Math-for-Industry)」が創設されました。純粋・応用数学を流動性・汎用性をもつ形に融合再編しつつ産業界からの要請に応えようとすることで生まれました。まさに数学の諸科学、産業技術の基盤を支える学問体系構築を目指し、社会的要請に的確に応えるための研究・教育の拠点形成を目的としたものだったわけです。同時に将来を見据えた若手人材の育成にも取り組み、大学院に数学教育ではこれまでに見られなかった特徴的カリキュラムである産学連携にもとづく3ヶ月以上の長期インターンシップを課して、教育に関しても大きな成果を挙げつつあります。
数学科へは、先生を目指して入学してこられる方も多いのですが、今の社会は、IT(情報技術)関連企業、製薬、保険、金融、電気、自動車などの様々な企業が数学的知識を身につけた学生を求めています。中央大学理工学部数学科では、高度な数理的知識と計算機技術を身につけ、社会で活躍できる有能な人材の育成を目指しています。獲得した知識とそれを使う手だてを武器として、道のないところに自ら道をつけていくといった意気込みが大切です。学部、大学院でしっかりと知識を身につけ社会へ飛び出し、チャレンジ精神をもって諸科学の問題解決に取り組む人材が輩出することを願っています。