トップ>研究>『大規模災害時における首都圏の帰宅困難者問題』
鳥海 重喜 【略歴】
鳥海 重喜/中央大学理工学部助教
専門分野 情報工学、社会システム工学
東日本大震災で震度5強の揺れを観測した首都圏のほとんどの鉄道は一時運転を見合わせました。地震発生が平日の日中であったことから、都心部のオフィスや学校には多くの通勤・通学者が滞在しており、鉄道の運転見合わせは人々の帰宅の足を奪うこととなりました。多くの鉄道事業者は、地震の震度や揺れの最大加速度に基づいて、速度規制、運転見合わせ、安全点検方法などを定めています。今回の地震は、作業員の徒歩による安全確認が必要なほどの揺れであったため、鉄道施設に被害がなかったとしても運転再開までに時間を要することが地震発生直後から予想されました。
首都圏で日常的に鉄道を利用している通勤・通学者はおよそ800万人にのぼります(図1)。その半数以上の通勤・通学時間は1時間以上であり、「鉄道路線の途絶=帰宅困難」と言えるでしょう。鉄道は高速大量輸送機関であり、これに代わる輸送機関はありません。道路に被害がないと仮定しても、バス、タクシーではとても輸送力が足りません。それ故、帰宅困難者の多くは、オフィスや駅などで鉄道の運転再開を待つことになります。
首都圏において鉄道が途絶した場合に帰宅困難者が数多く発生するということは以前からも指摘されていました。2005年に公表された内閣府の中央防災会議の首都直下地震対策専門調査会報告によれば、地震により首都圏の鉄道網が全線途絶になると、東京都内で約390万人、一都三県で約650万人が帰宅困難になると推計されています。
図1.首都圏800万人の通勤・通学交通(左:出発駅、右:目的駅)
データ出典:大都市交通センサス(2005年)
地震発生直後にJR東日本、東京メトロ、都営、私鉄など首都圏のほとんどの鉄道が運転を見合わせました。そして、午後6時過ぎには、JR東日本は首都圏の鉄道路線の当日中の運転再開を取りやめることを発表しました。この理由について、JR東日本は「運転再開を期待して駅に乗客が集まり、結局再開できないとなれば余計混乱を招く」としています。
午後8時40分頃、東京メトロ銀座線と半蔵門線の一部区間で運転が再開されました。この情報が伝わると、駅で運転再開を待っていた人をはじめとして帰宅を急ぐ人々や勤務地などで様子を見ていた人々が駅に殺到し、安全が確保できなくなってしまうほどの混雑に見舞われて、銀座線は再び運転を見合わせることとなってしまいました。
その後、東京メトロの他路線、都営地下鉄、小田急、京王、東急、西武、相鉄などの各路線が順次運行を再開し、一部路線では終夜運転も実施されたため、これらの沿線に住む人々は時間を要したものの翌朝までには帰宅することができました。また、それに伴い主要駅での滞留者も徐々に解消されました。これには、JR東日本、東武、京急などの当日の運転再開の見込みがないことの周知や行政の避難所への誘導などの影響もあるでしょう(図2)。
図2.発災当日の運転再開状況(緑:運転再開路線,灰:運休路線)
さて、東日本大震災当日、いったい何人の人が帰宅困難となったのでしょうか。正確な人数を調査することは難しいので、ここでは日常時の人々の移動を調査したデータを使って推計してみたいと思います。利用するデータは、少し古いですが、平成10年に調査された「東京首都圏パーソントリップ調査データ(以下、PTデータと略します)」と呼ばれるものです。PTデータは、個人の行動について、いつ、何の目的で(例えば、通勤・通学、業務、買い物、私事、帰宅)、どのような手段で(例えば、電車、徒歩、自家用車など)、どこからどこへ、ということを調査したデータです。このPTデータを利用すると、震災発生時に、外出(自宅でない場所(例、勤務地)で滞留、目的地へ移動)している人を抽出することができます。移動中の外出者については、PTデータの出発時刻、目的地への到着時刻、移動手段等を考慮して、震災発生時の所在地を推計します。この所在地を出発地、自宅を目的地として帰宅需要を作成します。
次に、道路ネットワークと運転を再開した路線のみの鉄道ネットワークを併せたものを準備し、先ほどの帰宅需要に対して、なるべく徒歩移動距離が短くなるような経路を選んであげます。このとき、徒歩移動距離が10キロメートル未満であれば全員が帰宅可能とし、20キロメートル以上であれば、全員が帰宅困難とします。それ以外の場合については、徒歩移動距離が1キロメートル増加するごとに10パーセントずつ帰宅困難者が増加すると仮定します。これは、個人の体力等を考慮して、同じ徒歩移動距離でも帰れる人と帰れない人がいることを表しています(最初に述べた、中央防災会議も同じ方法で推計しています)。推計した結果、発生した帰宅困難者数は約281万人であることが明らかになりました。それらの人々の地震発生時の所在地をみると、都心部で帰宅困難者が大量に発生し、その人たちは、埼玉県東部や千葉県北西部を目的地としていることがわかりました。今回の震災では、運転再開した路線が都心部から神奈川方面、多摩方面、埼玉県西部方面に限られていたことが影響していると考えられます(図3)。
図3.帰宅困難者の分布(左:震災時の所在地,右:目的地)
※2011年11月に内閣府は、アンケート調査に基づいて、震災当日の首都圏の帰宅困難者は515万人であったとの推計結果を発表しました。この推計結果の差異は、運転を再開した鉄道路線における乗車可能人員や混雑などを考慮していないためだと考えられます(本研究では過小評価する傾向にあるため、281万人というのは最低でもということを表しています)。
これまで見てきたように、首都圏では多くの通勤・通学者が鉄道に依存して移動しています。大規模災害時に生ずる帰宅困難者への対応は、第一義的には雇用主の企業や行政などがすべきことでありますが、帰宅困難者をなるべく減らす、あるいは混乱を避けるという意味において、鉄道事業者にも対応が求められています。駅での「滞留場所と支援物資の提供」や「近隣の避難所に関する情報を提供」などが挙げられますが、最も期待されるのは「早期の運転再開」ではないでしょうか。
しかし、早期の運転再開には危険な面もあることに留意しなければなりません。首都圏の鉄道はネットワークとして機能しており、一部区間だけが運行しているという状態になると、乗客が集中することで機能不全に陥る可能性があります。今回の震災においても、最初に運転を再開した銀座線に乗客が殺到し、混雑のために再び運転を見合わせる事態に陥りました。実は、過去に発生した地震でも類似の事象があり、運行していた一部の路線に乗客が集中して混乱したことがありました。ここから考えられるのは、運転再開には「鉄道事業者間で連携する」ことが重要であるということです。つまり、帰宅困難者が最も少ない、あるいは混乱が生じる可能性の低い運転再開パターンをコンピューター上でシミュレーションすることで見つけ出し、その結果に基づいて、運転再開路線および運転再開時刻を鉄道事業者間で調整することが望ましいということです。そのための組織や連絡手段の確立が急務なのです。
首都直下型地震が発生した際には、鉄道施設に被害が及ぶことや、大規模な停電が発生することも考えられます。そのような状況では、鉄道の運転再開には数日から数週間あるいは数ヶ月掛かる可能性もあります。したがって、私たち個人ができる対策も同時に考えておく必要があります。ここでは、その対策を3つ挙げたいと思います。
(1)徒歩移動できる距離の把握
徒歩による帰宅途中に、疲労により移動を断念する人が発生しました。自宅周辺や勤務地周辺などの土地勘があるところではない場所での滞留は、不安を生じさせ二次的な被害を生む可能性があります。したがって、各自が徒歩移動できる距離を把握し、自身の限界を超えるような距離の移動は自重する必要があります。外出先で被災した場合、無理に帰宅するのではなく、距離によっては勤務先へ向かうことを検討することも大切です。
(2)勤務地からの帰宅ルートの把握
日常的に電車で通勤・通学をしている人の中で、徒歩での帰宅ルートとその正確な距離を把握している人はそう多くないと思います。ましてや、途中駅からの帰宅ルートとその距離を把握している人はほとんどいないのではないでしょうか。鉄道路線の一部区間だけが運転再開されることも考慮して、
(3)安否確認方法と帰宅タイミングの検討
災害時には多くの人々が安否確認をすることで通信輻輳(混雑)が生じ、安否確認が滞ります。家族の安否や自宅の被災状況が不明である人は帰宅を急ぐ傾向があることから、通信会社が提供する「災害用伝言版サービス」などを利用して安否確認をすることを家族で決めておき、無事が確認できた際にはむやみに帰宅するのではなく、勤務先等に留まって落ち着いた頃に行動を開始するということが重要です。
東日本大震災は、首都圏で発生する帰宅困難者問題を改めて浮き彫りにしました。今後発生が懸念される首都直下型地震では、ライフラインの被害や火災の発生なども想定されており、今回以上の混乱になるかもしれません。自治体や企業などの支援を期待するだけでなく、各自の備え(特に心構え)が大切です。