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古郡 鞆子

古郡 鞆子 【略歴

教養講座

明日はわが身の肥満問題

古郡 鞆子/中央大学経済学部教授
専門分野 労働経済学

 ひと言でいうと経済学はお金とそれに関連した人間行動の学問です。お金に関係すればどんな人間行動も経済学の問題となります。たとえば、人の生活は結婚する相手の収入によって物質的、精神的、あるいはその両方で変化します。経済学では、これをどんな年齢、学歴、収入、職種、地位等の人と結婚するのが最適行動かという問題として理論化し、分析・検討してみるわけです。ここに「結婚の経済学」が生まれます。

 私はいま「肥満の経済学」に興味をもっています。では、経済学の研究対象とみたとき、肥満はどう扱われるでしょうか。以下、ちょっとその入口のお話しをしてみたいと思います。

世界に広がる肥満

 所得や教育水準が上昇し生活が豊かになってくると、それに付随した社会変化が出てきます。その一つに物質的に豊かになったのに万引きが増えたといったお金の問題、精神の退化現象があります。私がここで話題として取り上げた肥満(メタボ)も豊かな生活と関連の深い社会現象の一つです。

 肥満は、命に関わる医療問題、いじめや汚名といった社会問題を生んでいます。経済学の面からは、医療費の増大(社会保障)や職業上の差別(採用・昇進・解雇等)に関わるお金の問題を提起しています。

 肥満化現象はいまや世界規模の問題です。肥満は豊かな国から貧しい国に、大人から子供へと広がってきました。WHOはこの現象に警鐘を鳴らし肥満を世界最大の健康問題、「現代の伝染病」とまで呼んでいます。実際、世界には、飢餓に苦しんでいる人が8億数千万人いる一方、肥満に陥っている人がその2.5倍の20億人もいるのです。この数はさらに上昇を続け2015年には30億人に達するだろうと考えられています。

 肥満度(BMI)は、キログラムで計った体重をメートルで計った身長の自乗で割って求められます。身長160cm、体重60kgなら、BMI=23.4となります。国際基準では「肥満者」はBMI≧30の人です。この基準で計ったとき、南洋諸島の小さな国を除けば、肥満者が世界一多いのはアメリカ(33.8%)で、次いでメキシコ(30.0%)、ニュージーランド(26.5%)です。アメリカでは身長160cmなら3人に1人以上が体重80kg以上あるわけです。ヨーロッパ諸国の肥満者はイギリス(24.5%)、ドイツ(13.6%)フランス(10.5 %)などとなっています。

 日本では「肥満者」をBMI≧25の人と定義しています。肥満統計もこれをもとに取っていますので欧米の肥満者と日本の肥満者を単純に比較することはできません。国際基準でいうと日本の肥満率(3.4%)は最低の部類に入っています(もっとも低い国はインドで男女ともに1%以下です)。一方、アメリカの成人の7割以上は日本の定義に従えば肥満者となります。

 日本の肥満統計(BMI≧25)によれば、成人男性の肥満率は30年間で15%から30%へと倍増しています。一方、成人女性の肥満率は年齢層によって20%~22%の範囲をとっています。肥満者の割合は成人男性の3人に1人(約1,800万人)、女性の5人に1人(約1,300 万人)ということになります。

なぜ肥満になるのか

 カロリー摂取量がカロリー消費量より大きくなれば太っていきます。計算上では健全な体重はカロリーの摂取量と消費量がバランスよく保たれているときに達成できます。しかし、肥満は個人差の大きいものです。少量しか食べないのに太ってしまう人がいます。同程度の量の食料を摂取しているのに太らない人、太ってしまう人がいます。肥満の敵とされる脂肪分(トランス脂肪酸)や糖分を摂取しているのに太らない質の人もいます。

 いずれにせよ、肥満化は世界に急速に広がっている現象です。これには個人の事情というより、社会のありよう、環境が作用していると思われます。技術進歩、生活環境・生活習慣の変化、政策の影響などがからんでいるのです。

 二十世紀は技術革新の時代でした。それは食糧の生産、加工、流通のどの段階にも当てはまることです。農業の機械化と生産の効率化、食品の加工・保存技術、調味や冷蔵・冷蔵技術、真空パッキングや速配システム、どれをとっても前世紀にはなしえなかったものです。そのおかげでどこにいても味がよく、しかも安価な食品を手に入れることができるようになりました。肥満化現象の背景には、技術進歩によって一方で食料品価格が低下し、他方で家事や仕事の座業化が進み肉体労働が減少したことがあげられます。

 肥満化の背景には、より身近な生活や生活習慣に関連して、女性が働き外食が多くなったことや高度化した社会が生活や精神衛生にもたらした変化も考えられます。食事は習慣性の強い行動の一つです。私たちは安くて味がよい食品を習慣的に食べていますが、習慣になってしまったことを変えるのは困難です。肥満化は、自制心を失い、将来の消費よりも現在の消費からより大きい満足を得るという時間に対する選好構造に支配された先に起こった現象ともいえます。

 肥満化には、遊び場のない都市計画、スポーツ施設の不足、マイカーの利用を奨励する運輸政策、コンビニやファーストフード店中心の街づくり等の政策が与えたマイナスの影響を否定することもできないでしょう。農業補助金制度の影響もあります。

 農業補助金政策の影響は見逃されやすい点の一つです。アメリカに例をとると、農業政策は過去30年間にわたり農産物、とくにトウモロコシや大豆の価格をさげることに向けられてきました。農家は他の作物をつくって危険を犯すより、当然、価格保護によって守られているトウモロコシの生産を選びます。その結果、過剰生産されたトウモロコシは糖分(シロップ)となり、安くておいしい加工食品となります。それが過食を促し、併せて世界市場に出回ります。ここに補助→生産過剰→低価格→過食→肥満の連鎖が生まれているのです。

肥満はなぜ問題か

 肥満は健康に悪影響を与えます。太れば太るほど生活習慣病になりやすく、がんや糖尿病や高血圧となる危険性が増えます。そうなればまず命に関わる問題となります。次に医療費が増大し、個人、企業、行政府に多大の費用負担を伴い社会保障制度に大きな影響を与えます。寿命が短くなれば、その分だけ労働力も失われます。

 肥満は賃金や雇用に有形無形の影響を与えます。実際、美男美女の方がそうでない男女より高い賃金を得ていることを実証した有名な論文があります。肥満は体重差別をもたらします。肥満者に対する差別は募集・採用段階にとどまらず、選抜、配転、報酬、昇進、訓練、解雇などでも見られます。とくに女性の肥満は仕事上の地位、職階に影響を与え、昇進の妨げとなっています。

肥満化に有効な対策

 日本はいまのところ世界に誇る肥満小国です。その背景には、比較的バランスの取れた食生活のうえに、細身志向の文化の影響があるようです。実際、大学生の調査をしたところでは、国際基準でいうと、やせ過ぎ(BMI<18.5)に近い女子学生(BMI<19)が4割強を占めていました。

 それでも最近の新聞紙面には肥満に関する記事が多くなりました。肥満とリンクしている生活習慣病を予防するための特定健康診査(メタボ健診)も3年前から始まっています。

 今日の世界ではどの国も他の国との関係なしには存在し得ません。食糧事情、食習慣の変化、流通革命、グローバル社会化等の影響を考えると、日本もそう遅くない将来に肥満化への道と、それによる健康、医療、社会保障制度、汚名やいじめの労働問題、雇用や差別の問題などへの影響を避けて通れないところにきていると思われます。かつて食事は「作って食べるもの」でした。いまは「買って食べる(加工食品)」ものに変わりました。その中にあって、日本だけが世界の潮流の枠外にとどまり続けるのは難しいといえるでしょう。

 肥満の原点は何といっても食にあります。食生活は、どんな食糧をつくり、どんな食品がどう流通し、どう食べられているかにかかっています。その点では肥満は食の環境問題といえ、その視点に立った総合的な肥満(防止)対策を講ずる必要があるといえます。

古郡 鞆子(ふるごおり・ともこ)/中央大学経済学部教授
専門分野 労働経済学
MBA(U. of Rochester)、Ph.D(SUNY)。専門分野:労働経済学。アクロン大学、クリーブランド州立大学、放送大学各助教授、明海大学教授を経て、現在中央大学経済学部教授。ハワイ大学、カリフォルニア大学(バークレー)訪問研究員。中央省庁、神奈川県庁等各種審議会委員;都労委、中労委公益委員など歴任;経団連アドバイザー、JILリサーチアドバイザー、統計研究会理事。著書にA Prototype Regional-National Econometric Model (Pion Ltd, England)、労働市場機構の研究(経企庁経済研究所)、労働経済学(日本放送出版協会)、サービス経済論(同左)、非正規労働の経済分析(東洋経済新報社)、働くことの経済学(有斐閣)、肥満の経済学(角川学芸出版)、その他共・編・訳書多数。