川越 泰博 【略歴】
川越 泰博/中央大学文学部教授
専門分野 中国近世史
漢字はおもしろい。そして、漢字は百面相である。
一見すると、やさしい平凡な漢字と思えるものでも、意外さや驚異の色がある。逆説的な言い方をすれば、やさしい漢字ほど、むずかしい。実際のところ、画数が多く、その読み方もむずかしい漢字が、多岐にわたる意味を持ち、かつ多様な読み方もあることは少ない。それに比べて、画数も少なく、読み方もやさしい漢字の方が、実は多くの意味を持ち、その読み方もむずかしい。
漢字の中で最も多い画数は、64画。それに該当(がいとう)するものとして、二つの漢字がある。一つは興を左右前後に重ねた漢字、もう一つは龍を同じく左右前後に重ねた漢字である。諸橋轍次(もろはしてつじ)の『大漢和辞典』(大修館書店)によると、前者は、音はセイ、その意味は「未詳」とある。一方、後者は、音はテツ、テチ、意味は「多言(言葉が多い)」、これだけである。
これに比べて、いかなる漢和辞典でも、最初に置かれるのは、一画の一である。音こそ、イツ、イチだけであるが、その意味たるや、『大漢和辞典』には、漢語に関しては23種、国語に関しては2種、合計25種に及ぶ事例が挙げられている。
周知のように、漢字の読み方は、音読みとして漢音(かんおん)・呉音(ごおん)・唐音(とうおん)があるが、それにとどまらず、慣用音(かんようおん)これは悪く言えば百姓読み、訓読(くんよみ)等というものがある。そのために、一つの漢字をいく通りにも読むことができるという、まさに百花繚乱(ひゃっかりょうらん)的様相を呈することになる。
さて、日本は、「ニホン」なのか「ニッポン」なのか、ときとぎ議論になる。日烏(太陽の異称)は「ニチウ」と読む。日月之食(日食と月食)というと「ジツゲツ」、日系は「ニッケイ」、日向(宮崎県)は「ひゅうが」、日和見は「ひよりみ」、「六日」は「むいか」等と、日の読み方は多様である。漢音はジツ、呉音はニチ、ひ・か・ひゅうは訓読みである。日本を呉音ではなく、漢音で読むと「ジッポン」となり、「ジャパン」に近似する。
「ニホン」も「ニッポン」も、聖徳太子が隋の煬帝に小野妹子が持たせた国書にある「日出づる処」を意味する「日本(ひのもと)」の音読みから発生したもので、どちらを使うべきかの法的規制はない。ただ、日本画、日本髪、日本語教育等の複合語の場合は、「ニホン」と読むことが多いようだ。
このように、漢字はさまざまな読み方ができる。それにとどまらず、一つの漢字が多様な意味を有しているから、おもしろい読み方もできる。その好個(こうこ)の例を一つ示そう。
子子子子子子子子子子子子 と子の字を十二個書き並べれば、なんと読めるであろうか。正解は
ねこのこのこねこ、ししのこのこしし(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子) である。この読み方を示した人は、平安時代に漢学者、歌人として名をなし、かつ博学多才(はくがくたさい)をもって鳴らした小野篁(おののたかむら)であった。
私は、漢文(古典中国語)で書かれた研究史料の解読・分析等で、つね日頃、大変日中の多くの辞典類の世話になっている。その中でも飛び抜けて引く回数が多いのは、諸橋『大漢和辞典』である。辞典を引くのは決して苦痛ではない。一語を調べるのに、諸橋『大漢和辞典』から始まって、多くの辞典を机の回りに広げて、目を通していく。すると、さまざまなことがわかって楽しい。日本語は、千数百年前に漢語をふんだんに取り入れて、形而上学的概念(けいじじょうがくてきがいねん)を表しうる言語に仕立て上げたものである。そのもとを尋(たず)ねることは、漢字学習の一つの楽しみでもある。
私は、かつてさまざまな漢字を取り上げて、自分の関心に沿って分類し、関連史実やエピソード、連想する事柄を主体に二冊の著書に纏め上梓したことがある。『四字熟語歴史漫筆』(大修館書店、2002年)と『漢字の生態学-日本語を鍛える漢字力のために』(彩流社、2005年)である。
二冊とも、堅く言えば、漢字百面相の探索書、あるいは漢字生態の探究書のごときもの、柔らかく言えば、漢字空間をあちらこちら逍遥(しょうよう)・散策し、思いつくままに書き記したエッセイ集のごときものでもあるが、もとはといえば、日頃の辞典酷使(こくし)の所産であり、本来の歴史学研究が思わぬ副産物を生んだのである。
ところで、一体、漢字の字数は、どのくらいあるのであろうか。清の康熙帝の命によって、張玉書・陳廷敬等が編集し、康熙55年(1716)に完成した字書、すなわち『康熙字典』は、所収字数は四万九千余りである。これだけあれば、紛らわしくはなはだ似かよった文字が、おびただしく存在する。とすれば、書き間違えは容易に生じる。あるいは間違えたまま覚え、あるいは刷り込まれる。人から指摘されるまで、間違っていることさえ、知らなかったと言う経験の一つ二つは、誰しもあることであろう。
陝西-陜西、新疆-新彊、楊貴妃-揚貴妃、「画竜点睛」-「画竜点晴」、鍾馗-鐘馗、匈奴単于-匈奴単干、宋代-宗代、対馬宗氏-対馬宋氏、「怏怏不楽」-「快快不楽」、刺史-剌史、而已-而己、徳冨蘆花-徳富蘆花、徳富蘇峰-徳冨蘇峰
これらは、職業柄よく目にする書き誤りの、ほんの一例だ。無論、前段が正しい。
おそば屋さんには、なぜか辰巳庵という名前のお店が多い。ただ、看板に正しくかけているケースは少ない。辰已庵、辰己庵のオンパレードだ。これは已己巳(いこみ)の区別が正しく認識されていないからである。それと同様に戊戉戌戍も、ほとんど混乱状態にある。「戊戌政変」を、「戌戊政変」「戊戍政変」と書いて平気な学生が結構いる。むしろ、正確に書くことのできる学生の方が珍しい。
「戊戌(ぼじゅつ)」は、清の光緒24年(1898)の干支で、戊戌の政変はこの年に起きた、西太后が絡む中国近代史上著名な政治事件を言うのである。
このように文字の造形が似ているために書き誤ることを意味する四字熟語は沢山ある。「魯魚之謬」、「魯魚章草」、「魯魚亥豕」、「魯魚帝虎」、「魯魚陶陰」、「焉馬之誤」、「烏焉魯魚」、「烏焉成馬」は、魯と魚、章と草、亥と豕、帝と虎、陶と陰、焉と馬、烏と焉、成と馬が、それぞれ字形が似ていて書き誤りやすいことを言っている。
漢字は、字形の似ているものが多いから、書き誤りやすいものだ、と最初から思っていた方が、「魯魚之謬(あやまり)」をより少なくすることができるかもしれない。「魯魚之謬」のような誤りが起きたら、大変面倒な事態になるので、不動産の売買契約書や小切手などは、1・2・3のような算用数字は使わないのである。これは同時に、数字の改竄という犯罪をも防ぐことになり、中国では古くから官文書や証書類においては、1~10・100・1000の数字に対して、壱・貳・参・肆・伍・陸・漆・捌・玖・拾・佰・阡を使った。6(六)に陸を当てるのは、「りく」が漢音であるからである。呉音は、勿論「ろく」であるが、これは主に仏教関係用語に使われる。
漢字には字形の相似したものが多く、それによって、書き誤りやすいということになれば、書き誤らないためには、どうすれば良いだろうか。それは書いて覚えるのではなく、目で覚えるのが、最も良い方法ではなかろうか。ただただ、じっと見つめるのである。そうすれば、例えば、「快快(かいかい)にして楽しまず」なのか、「怏怏(おうおう)にして楽しまず」なのか、この文言中の漢字の相違も自ずと分かって来て、長く脳裏に刻むことができるであろう。