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廣岡 守穂

廣岡 守穂 【略歴

教養講座

デモクラシーについて

廣岡 守穂/中央大学法学部教授
専門分野 政治学

 政治学の世界ではしばらく前からホットな論争が展開されている。リベラル・コミュニタリアン論争といわれる論争である。NHKの番組「白熱教室」ですっかり有名になったマイケル・サンデルはコミュニタリアンの旗頭のひとりである。

 論争の発端となったのはジョン・ロールズの『正義論』で、いまやロールズはリベラリストの本家本元といった立場にたっている。この本の中でロールズはどのような不平等が許容されるのかという問題に迫った。非常におおざっぱに言うと、社会的不平等は多数者の利益ではダメで、全員の利益になっているときでなければ許されないというのがロールズの主張である。それを定式化した「格差原理」は、政治学者の間ではたいへん有名になっている。

 この論争の影響で政治学では、規範理論というか政治哲学についての関心が高まっている。言い換えればデモクラシーとは何かということについての原理的な研究への関心が高まっている。

 もうひとつ政治学者の関心を集めているのが市民社会研究で、こちらは1980年代末に起こった東欧革命がきっかけだった。政治体制は社会という基盤の上に乗っているシステムである。だから、いくら政治体制が強権的独裁的であっても、社会がデモクラティックな力を持っていれば、政治体制をひっくりかえすことができるはずである。そういう着想から生まれたのが「市民社会」という概念である。

 リベラル・コミュニタリアン論争といい市民社会論といい、関心が高まったのは旧ソ連が崩壊したあとのことだった。資本主義か社会主義かという体制間競争に決着がついて、次にデモクラシーの中身についての研究の深化がはじまったわけである。

 さて、それではデモクラシーとは何なのだろうか?

 政治的には人びとが自由かつ平等な主体としてあつまり、みんなの総意にもとづいて、全体の意思決定をおこなう、そのためにどういうルールによるか、を決める、そういう社会である。

 そういう社会を動かすには、市民は社会公共のことがらに責任ある関心を持ち必要なときには自発的に行動するのでなければならない。市民が政治に参加する形態はさまざまであり、政治的な意思決定への参加は特定の手続きによって行われなければならないわけではない。だから政治参加のしくみを自分たち自身でつくりだすこと。もっといえば統治構造を自分たち自身で設計し運営すること。たとえば三権分立を制度化し実践することだ。そのこと自体が市民の市民たるゆえんである。そういう主体によって構成された社会がデモクラシーの社会である。

 経済的には、だれも特権を持たず、公平で自由な競争のメカニズムがよく働いている社会である。金儲けをしようと思ったら、より良い商品をより安く提供しなければならない。金儲けそのものは否定されないが、そのためにはたゆまぬ努力が求められる。そういう社会である。そういう社会で成功しようと思ったら、人びとは進取の気風に富み失敗を恐れず、かつ勤勉実直でなければならない。競争のルールがしっかり守られていれば、勤勉実直な人なら、たいていは社会の「中の上」までは進出することができるだろう。ルールがしっかりしていれば、最後にものをいうのは信用であり、信用は一朝一夕にきずくことのできるものではない。

 また起業が活発に行われる。社会起業ということばがあるように、ここでいう起業には営利事業だけでなく、非営利の事業もボランティア活動もふくまれる。現代社会におけるデモクラシーを考えるには、民間非営利活動の主体たるNPOを見落としてはならない。NPOは営利を目的としないから、みんな自発的にかかわっている。だからNPOはデモクラシーの力量をあらわす非常に重要な存在である。要するに営利であれ非営利であれ、技術革新や起業や運動によって、人びとが自分自身の力で社会システムをつくっている。デモクラシーの社会とはそういう社会である。

 だがもっとも重要なのは、すべての人に自由な自己実現の機会が開かれているということである。階級や閉鎖的な集団がなく、階層は存在しても構造化されておらず、つねに流動的な社会である。そこでは学校教育が世代間社会移動を活発化し、つまり親の社会的地位が子の社会的地位の獲得を制約しない度合いが高い。生涯学習が人びとにエンパワーメントの機会を開いており、結婚による離職などのあとでも再び社会参画する機会が容易に手に入る。経済学者のアマルティア・センは潜在能力ということばを使っているが、だれにとっても自己実現のための潜在能力の開発が可能でなければならない。

 また性別、年齢、民族、国籍、宗教、障害の有無、セクシュアリティなど、人びとは特定の集団に偏見を持ったり差別したりすることなく、その人が持って生まれた自然を尊重する。すなわち、自分に責任のない事情を理由に生き方を制限されることのない権利をすべての人が持っている。性差別の分野でジェンダーの概念が提起されたり、高齢者福祉や障害者福祉の分野でノーマライゼーションの概念が提案されたり、性同一性障害や同性愛など性的マイノリティのカミングアウトが正当なこととして受け入れられるようになったのは、すべて二〇世紀後半のことだった。それらはだれにも自己実現の権利があるという理念を共有している。男だから女だからという理由だけで、その人の自己実現の機会を取り上げてはならない。同様に年をとって身体機能が衰えた人には残存能力を補助しながら、その人が自己の意思にしたがって生きることをささえるべきである。性同一性障害や同性愛はその人が持って生まれた自然であり、人がその本然の性にしたがって生きることは当然の権利である。以上のように、すべての人に自己実現の機会が開かれている社会、それがデモクラシーである。

 デモクラシーの理念は以上述べたようなかたちで発展してきた。わたしの考えでは、二〇世紀後半以後のデモクラシーは、心理学の発展に平行してすすんできた。アブラハム・マズローの「自己実現」の概念は、心理学に新しい領域を切り開いたばかりでなく、他の領域で起こっているうごきに新しい光を当てた。たとえば第二次フェミニズム運動の起点になったベティ・フリーダンの『女らしさの神話』は、まさに女性の自己実現の問題を取り上げたのだった。カール・ロジャーズの「来談者中心主義」は、声をあげることのできない人のエンパワーメントに道を開いた。「傾聴」「エンカウンター・グループ」など、ロジャーズの取り組みのいくつかは、デモクラシーを考える上で避けることのできないものになるだろう。

 デモクラシーの具体的な姿について、わたしたちはそろそろ体系だったヴィジョンをもつべきではないかと思う。

廣岡 守穂(ひろおか・もりほ)/中央大学法学部教授
専門分野 政治学
石川県出身、詩人、作詞家。1951年生まれ。中央大学法学部教授。専攻は政治学だが、現代日本の社会現象に幅広い関心を持っている。2005年4月より2年間、佐賀県立女性センター・アバンセ館長を兼任。内閣府男女共同参画会議委員など公職を歴任。著書『男だって子育て』(岩波新書)『父親であることは哀しくも面白い』(講談社)『近代日本の心象風景』(木鐸社)ほか多数。