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研究一覧

中島 康予

中島 康予 【略歴

教養講座

知識基盤型経済/社会の現場から

中島 康予/中央大学法学部教授
専門分野 現代政治理論、フランス現代政治、比較政治学

酷暑のなかの通信教育スクーリング

 酷暑のなか、3週間にわたる夏期の通信教育スクーリング(面接授業)が終わった。内外情勢の荒波を意識せずにはいられない夏だった。通信教育もその荒波と無縁ではありえない。ただ、「だれでも、いつでも、どこでも学べる」大学通信教育をとりまく状況の変化は突然に始まったわけではない。

 中央大学通信教育の歴史は、1885年に創設された、本学の前進である英吉利法律学校の歴史と重なっている。学校創設にあたり、校外生制度を設け、講義録を発行するという形で通信教育の取り組みが始まった。当時東京にあった本校で学ぶ学生よりも、むしろ校外生の方が多かったという。その後、校外生制度は在外生と名称を変更、1918年に廃止されたが、第二次世界大戦後、教育の民主化の一翼を担うべく、1948年、あらためて通信教育部が開設された。夏期スクーリングは駿河台校舎で6ないしは10週間にわたり実施された。冷房のない時代、教室には氷柱が立てられ、1954年までは校舎に宿泊することもできた。スクーリング出席のためいったん職を辞し、終了後に再就職する学生もいたと聞く。戦後復興・高度経済成長期ならではのエピソードだ。

大学通信教育の変化

 このように、時間や空間の制約を越えて教育機会を広く開放する役割を担ってきた大学通信教育は、今、転機を迎えている。通信教育はどのような変化を経験しているのか。本学のデータにそくしてみてみよう。

 第1に、少子化の進行、「大学全入時代」の到来による、在学生数の減少と入学生の高学歴化があげられる。在学生数は1996年度の9,120人をピークに2009年度には6,172人にまで減少している。また、新入生数の構成比も変化している。1997年度に入学生の64.3%を占めた高等学校卒業資格の1年次入学生が2009年度には44.6%と減少し、代わって3年次を中心に編入学生が増加して55.4%を占めるに至り、高学歴化が進行している。

 第2は、通信教育へのニーズの変化だ。入学動機をみると、職業上必要な資格取得が激減している一方で、職業上必要な知識や技術を求める人の割合が増加している。入学生の減少傾向は進んでいるものの、通信教育で法学を学ぶ者全体に占める本学の割合、いわば占有率は上昇している。他方、「団塊の世代」の大量退職によって、知への渇望や学びの楽しみへのニーズ、潜在的市場が成長しているにもかかわらず、「教養のため」や「生涯学習・再学習」(生涯にわたる職業教育・訓練はこの回答にはほとんど含まれていないと思われる)が微減していることが目につく。本学の通信教育が法律学に特化していることの「強み」と「弱み」がそこに見てとれる。

時空の新たな制約

 ロースクール経由で法曹をめざすという進路選択のリスクが上昇し、通信教育にあっても入学動機の割合が減少傾向にある。だが、「グローバルな法化社会」に対応するため、法律学の専門的知識を身につけ、法的運用能力を高めることによって、社会人がスキルアップをはかる機運が上昇していることまでは否定できない。

 しかし、経済のグローバル化の進展は、激しい企業間競争をひきおこし、効率性が過剰に追求されるなか、2~4年以上を費やし、わざわざ大学で学修することのコストが増大していることも事実だ。社会人学生が夏に6日間の休みをとることすら難しいとの声をきくことも少なくない。金曜日から日曜日の週末3日を利用して全国各地で開催される短期スクーリングへの出席者、インターネットを利用したオンデマンド授業受講者の割合が上昇し、それと反比例するように夏期スクーリングの期間が短縮され出席者の割合も減少している。そこには、長期休暇を取得することは困難だが、卒業に必要な科目を追いかけて旅をする交通費・宿泊費を負担する程度の経済的余裕はあるという学生像がみえる。

 また、学生の在住地域の関東集中傾向が強まっているのに対して、中部地方・関西地方の割合は微減、北海道・東北・中国・四国・九州沖縄での減少が目立つ。この間、地方スクーリングや法律学のオンデマンド授業の展開に、他大学と比べ力を注いできたにもかかわらず、新たな空間的制約が認められるのである。空間的・地理的な格差問題は、情報技術の発展や普及というハード面ではなく、専門性が比較的高い法知識に対するニーズが大都市圏に集中しているソフト面の問題であることが窺える。

知識基盤型経済/社会

 こうした通信教育の変化、法律学に特化しているという本学のウリの「強み」と「弱み」、時空の新たな制約は、知識基盤型経済(knowledge-based economy)あるいは知識社会(knowledge society)の現れとみることができる。

 「だれでも、どこでも、いつでも学べる」という大学通信教育の理念は、知識とは社会のなかで培われ育まれてきたものであり、本来すべて人に開かれ、共有されるべき集団的資源、いわば公共財であるという考え方と密接に結びついている。他方、知識は私的に所有される財であり、利益や対価をうむという形をとることもある。知的所有権が企業や国家にとって死活的な利益であると捉えられ、法律学学修の新たなニーズがうまれているのは、このような知識の形態に対応してのことだろう。ただ、注意すべきは、知的所有権をはじめ、法・政治・経済・社会の制度設計や各アクターの戦略のあり方如何で、知識の社会化が促進されることもあれば、排他性を強めることもあるという点だ。

 1960年代以降、情報経済や情報社会にかんする議論が積み重ねられていたが、先進国が謳歌した「黄金の30年」が終わり、高度経済成長モデルに代わる新たな経済モデルがいよいよ真剣に模索されることになった。

 アメリカは、経済的停滞に呻吟した10年をくぐりぬけ、1990年代には、情報通信技術の発展と、それを成長に結びつける資本市場の創設、規制緩和による競争促進、労働市場の流動性の増大等によってめざましい発展をとげた。OECDは、知識が生産性の向上や経済成長の推進力となり、知識や情報の生産・分配・利用に直接基礎をおくような経済を「知識基盤型経済」と呼んでいる。知識基盤型経済をめぐって多様な言説が錯綜しているが、アメリカがその1つのモデルを提示していることは疑いない。

ヨーロッパの苦い選択と大学の役割

 EUは2000年、向こう10年の発展戦略、いわゆる「リスボン戦略」に合意した。「より多くのよりよい仕事を用意し、社会的結束をより強固にし、環境に配慮した持続可能な経済成長を達成することができるような、世界で最も競争力がありダイナミックな知識基盤型経済」を構築するという目標を掲げた。1990年代、情報通信技術革命や研究開発等でアメリカに水をあけられた欧州は、その遅れを取り戻すことをめざしながら、単にアメリカモデルの後追いをするのではなく、社会的結束を高めていく「欧州社会モデル」を追求するとした。住宅、教育機会、医療、さらに、同僚・友人・家族、地域などの社会的な結びつきから人びとを引き剥がし、政治的参加の権利から疎外する「社会的排除」が問題視されていた。「リスボン戦略」は、知識基盤型社会をにらんだ教育訓練や就労能力の向上ばかりでなく、排除と闘い、人びとを社会に包摂し、欧州市民権を実質化する役割をも担っていたのである。

 しかし、戦略決定の5年後、EUは苦渋の選択をする。きわめて野心的だが過重な課題設定をしたために成果があがらず、アメリカばかりか、中国・インドなどに遅れをとったと焦りを募らせた欧州理事会はリスボン戦略を修正し、目標を成長と雇用(Growth and Jobs)に絞ることにした。グローバルな知識経済・社会への移行に欧州が適応するため、社会的結束は競争と効率性の平面で語られる。同時期に進められた高等教育改革においても、社会と人間の成長をめざすという観点は経済成長の論理に縮減され、大学も、経済成長に資する人的資源への効率的な資源投下のなかで中心的な役割を果たすことが求められた。知の欧州(Europe of Knowledge)をユーロ・金融業界・経済の欧州に回収する方向に舵を切ったことが、今日の欧州を悩ます問題や危機の背景にあることを付言しておきたい。

 日本の文部科学省も高等教育や研究・開発を含む教育政策の策定を進めているが、グローバルな知識基盤型経済/社会の正解が示されているわけでは決してない。ただ、法学教育にそくして言えば、既存のルールに関する知識を一方的に伝授する教化型の教育は過去のものになっていることは疑いない。自ら問題・課題を発見し、解決策を提示し、解決のために他者とともに意思決定を行い、行動に移す能力を涵養することが求められる。しかし、こうした教育の「コスト」は大きい。新たな教育責任を課された通学課程のコスト負担という難問を突きつけられている。

 現在の通信教育は、知識基盤型経済への適応能力の高い人材養成というニーズへの対応と、広義の知識社会、知識の社会化への貢献という2つ要請にこたえようとしている。同僚教員は、週末や夏の休みを返上し通信教育に注力してきた。しかし、それが教員の負担になっていることは否定できない。リソースには制約がある。リソースの選択的投下という道を選ぶべきなのか。EUと一私立大学の選択を同列に論じることはできないが、専門知の排他的所有がもたらした悲劇と真摯に向き合いながらの制度設計が求められている。

中島 康予(なかじま・やすよ)/中央大学法学部教授
専門分野 現代政治理論、フランス現代政治、比較政治学
東京都出身。1959年生まれ。1983年中央大学法学部法律学科卒業。1986年中央大学大学院法学研究科博士前期課程政治学専攻修了。1989年中央大学大学院法学研究科博士後期課程政治学専攻退学(単位取得)。中央大学法学部助手・助教授を経て、2000年より現職。
現在の研究課題は、フランス政治を対象に、制度や政策の変化・変更を言説分析を通して明らかにするとともに、そのための比較政治の方法を探ることにある。
主要著書・論文に「福祉国家再編をめぐる言説政治分析のための予備的考察」(『法学新報」115巻9・10号、2009年)、『日本の政治学』(大塚桂編著、 法律文化社、2006年)、「フランスにおける福祉国家再編の『新しい政治』」(古城利明編著『世界システムとヨーロッパ』中央大学出版部、2005年)などがある。