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鈴木 俊光

鈴木 俊光 【略歴

教養講座

教育・学歴の経済学

鈴木 俊光/中央大学経済学部任期制助教
専門分野 労働経済学

一、はじめに

 厚生労働省が2011年3月に発表した平成22年度大学卒業予定者の就職内定状況調査の調査結果をみると、大卒者の就職内定率は全体で77.4%(前年同期比:2.6ポイント減)、男女別では男性が78.9%(前年同期比:1.2ポイント減)、女性が75.7%(前年同期比:4.2ポイント減)となっている。これらの就職内定率の水準は、平成8年度の同調査開始以来、過去最低もしくはそれに次ぐ厳しい水準である。

 このような厳しい雇用環境の中で、大学教育についても社会からそのあり様が問われている。本稿は、経済学の理論では教育がどのように捉えられ、教育が何をもたらすとされているのかについて簡単に解説するものである。

図表1 所定内給与(2009年6月に支給された給与のうち、残業代等を除いたもの)の学歴間格差
(縦軸:所定内給与、単位:万円、男女計)
注:平成21年度賃金構造基本調査(厚生労働省)より作成

図表2 全労働者に占める役職別労働者比率の学歴間格差
(単位:%、男性労働者、企業規模100人以上)
注:平成21年度賃金構造基本調査(厚生労働省)より作成

 本論に入る前に、経済学の立場から教育を考えるにあたり、教育が賃金や昇進に与える影響を近年の統計データを用いて、簡単にみていく。図表1は、各世代間での学歴別賃金格差の状況を表したものである。20代から30代の年齢層では数万円程度の差しかみられないが、50代になると約20万円の差がある。図表2は、学歴別にみた役職別労働者比率であるが、大学・大学院卒では部長・課長・係長ともに労働者比率が最も多くなっている。労働者比率の学歴別での差は、役職が高ければ高いほど大きなものになる。このような学歴別にみられる格差について、経済学ではどのように説明されるのであろうか。

二、「人的資本理論」の基本的な考え方

 経済学における教育の研究では、シュルツ(1963)やベッカー(1964)によって考案された「人的資本理論」とスペンス(1974)によって考案された「シグナリング理論」という2つの理論がある。これらの理論では、同じ教育という命題を扱い、その効果について全く異なる捉え方をしている。

 「人的資本理論」とは、教育により人間の中で知識や技能が蓄積したことで生産性が上昇し、その結果として高い収入が得られる、という考え方である。「人的資本理論」における“資本”とは、一般社会における“資本”とは異なった意味で用いられる。一般社会で扱われる“資本”という言葉の意味は、企業活動を行う場合に必要となる資金といったような会計上の意味合いで認知されている。一方、経済学における“資本”とは、人間が生産・蓄積したもので長期にわたって便益を生み出すもの、と定義される。この定義に従えば、道路や空港、病院、学校も資本の一例で、これらは「社会資本」などとも呼ばれる。工場の設備や機械も資本の典型例であり、これらは「物的資本」と呼ばれる。

 「物的資本」に対して、教育によって身に付く知識や技能は「人的資本」と呼ばれる。教育により蓄積された知識や技能は、それを生かした職業に就くことにより、賃金という形で長期的に便益を享受できることが可能であるため“資本”とみなされるのである。

 ここで問題になってくるのは、それでは教育により蓄積される知識や技能とは具体的にどのようなもの何なのか、ということである。この疑問に対し、先ほど紹介した「人的資本理論」の考案者の一人であるシュルツ(1975)は、教育により蓄積される主要な知識・技能の一つとして「配分的能力」を指摘している。人は日常生活を営む上で、時間や金銭といった限られた資源を配分するという行為を日常的に行っている。例えば、どれだけの時間を勉強に回し、どれだけの時間を遊びに回すのか、あるいは給料のうち、どれだけの額を生活費に回し、どれだけの額を貯金に回すのか、といったことである。企業活動においては、どの事業に拡大させ、どの事業を縮小させるのか、といった決断が当てはまる。さらに国家運営の単位まで話を広げるなら、どの分野の予算を増やし、どの分野の予算を減らすのか、といった政策決定も同様のことである。シュルツは、「配分的能力」について状況を認知し、それを正確に解釈し、資源を適切に配分する能力としている。シュルツが教育により得られるとした「配分的能力」は日常生活から国家運営に至るまで、あらゆる面において重要視される能力である。

三、「シグナリング理論」の基本的考え方

 「人的資本理論」は、教育が個人の能力を向上させるという考え方であるのに対して、「シグナリング理論」では、教育が個人の能力を向上させるかどうかは重要ではなく、学歴は個人の(潜在的)能力を識別するシグナルでしかない。ある個人の生産能力が大卒者と同じであっても、彼(彼女)が実際に大学を卒業しなければ、企業は彼(彼女)の生産能力が高いとは判断しない。したがって生産能力の高い人間は、その生産能力の高さを示すシグナルを手に入れるために大学に進学するのである。これらの点について、企業が新入社員を採用する場合を例にとり解説する。

 新卒採用の現場では、企業に応募してくる求職者の中には生産能力が高い者もいれば低い者もいる。企業は各求職者の生産能力について正確に把握することは困難、あるいは不可能である。一方で、求職者本人は自分の生産能力について、企業より正確に把握している。各求職者の生産能力について、企業が不十分な情報しか持たず、求職者本人は多くの情報を持っているような情報量の差がみられる状況を指して、“情報の非対称性”が存在するといわれる。“情報の非対称性”が存在する採用現場では、学歴というシグナルが個人の生産能力についての判断材料となる。すなわち、企業が学歴の高い求職者は生産能力も高いはずである、という判断を下すことになる。

四、「シグナリング理論」からみる学歴主義の弊害

 学歴主義については、学歴により能力の高い人間よりも能力の低い人間が採用され、昇進してしまう弊害が指摘されている。学歴主義の弊害は教育が能力向上につながらない、と仮定するシグナリング理論において当てはまる。

 シグナリング理論では、大学卒業によりシグナルとして示されるのは「真の能力」ではなく、受験時にその大学に入れるだけの学力があることが示されるだけである。それなのに「真の能力」で決定されるべきである採用の成否や昇進が、受験時の学力の差しか示さない出身大学の違いで決定されている、という点に学歴主義の弊害がある。

五、新卒採用における学歴主義

 新卒採用において実質的に機能している学歴主義とは、大企業の書類審査における「ふるいわけ」機能であると考えられる。企業は、学歴が能力を示す一つの指標として認めているものの、少子化などの影響で大学全入時代となった今、学歴が能力を示す指標として十分でないことも認識しているであろう。時間的・金銭的制約のある採用現場においては学歴で求職者を「ふるいわけ」、面接や適性試験から得られた人物像を参考に採用の成否を判断することは現実的に考えて、おこりうることである。

 この場合、採用現場で評価基準とされる学歴とは、欧米のような学士・修士・博士という“タテの学歴”や在学時の教育内容ではなく、難関大学卒業という“ヨコの学歴”である。難関大学の入学試験に合格するためには、難解な問題が解けるだけの潜在能力や長時間の受験勉強に耐えることのできる忍耐力が必要となる。つまり難関大学卒業という“ヨコの学歴”は企業にとって、求職者が一定の潜在能力と忍耐力を有していることのシグナルとなり、大多数の求職者の中から人材を「ふるいわける」一つの判断材料となる。

 もちろん“ヨコの学歴”を用いれば、企業には難関大卒者以外の有能な大卒者を採用できないという弊害が生じる。しかし、企業にとってそうした弊害よりも多数の求職者から有能な求職者を見分けるコスト負担の方が大きいとするならば、採用現場における学歴主義は一定の合理性を持つことになる。ただ「ふるいわけ」られた有能な大卒者において就職機会の公平性、という点で問題が残る。このような問題解決のためにはどのような対応が考えられるであろうか。

六、学歴主義への対応

 学歴主義の弊害を完全になくすのは困難かも知れないがいくつかの対応策は考えられる。第一に、企業が伝統的な新卒一括採用をやめ、一定の試用期間を経た後の採用制度を導入することが考えられる。少なくとも新卒採用段階における学歴差別は、企業と求職者の間にある“情報の非対称性”が原因で発生するものであるから、一定の試用期間を設ければ、企業は学歴に惑わされず、求職者の能力を把握したうえで、採用の成否を決めることができる。求職者にとっても、仕事内容や職場内の人間関係という情報を把握したうえで、就職するかどうかを決めることができる。

 第二に、より現実的な案として企業の採用方針における中途採用の比重を高めることが考えられる。中途採用であれば、求職者の過去の職務実績や前の職場の推薦状から個人の能力が明らかになるので、“情報の非対称性”はある程度緩和されるであろう。中途採用の活発化は新卒採用において希望する会社に入社できなかった学生にとっても、とりあえず同業種の他の企業に就職した後、実績やキャリアを積み、中途採用で再び希望する会社のチャレンジできる、というメリットがある。

七、おわりに

 2011年3月11日に発生した東日本大震災の発生でこれまでより厳しい就職活動が予想されるが、これから就職活動を行っていく学生の方々に一言メッセージを送りたい。もし就職活動がうまくいかなかったとしても、自らや社会に対して悲観的になりすぎず、希望する職業に関連する知識や技能の習得に励んでほしい。就職活動を行う学生の大半は10代、20代の方々だと考えられるが、若年時に知識・技能の習得や教育訓練の機会が失われることは、その後の人生を考えた上でも大きな損失である。

 また企業と教育機関においては、学歴主義や就職活動時の景気動向で就職状況に大きな差が生まれるような新卒採用制度の弊害を少しでも取り除くように、一体となって取り組んでいく必要がある。

参考文献
  • Becker, G.S. (1964) Human Capital: A Theoretical and Empirical Analysis with Special Reference to Education, The University of Chicago Press.
  • Schultz, T.W. (1963) The Economic Value of Education, The University of Columbia Press.
  • Schultz, T.W. (1975) “The Value of the Ability to Deal with Disequilibria,” Journal of Economic Literature, Vol.13, No.3, pp.827-846.
  • Spence, M. (1974) Market Signaling, The University of Harvard Press.
鈴木 俊光(すずき・としみつ)/中央大学経済学部任期制助教
専門分野 労働経済学
宮城県出身。1981年生まれ。2004年中央大学経済学部経済学科卒業。2006年中央大学大学院経済学研究科修士課程修了。2010年中央大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学(博士)。2010年より現職。専門分野は労働経済学。
現在は、合併・買収における企業の雇用調整行動、労働組合が非正規従業員の労働条件に及ぼす影響などを研究対象としている。また、最近の主な論文に「M&Aが労働者間の代替補完関係に与える影響」日本経済政策学会編『経済政策ジャーナル』通巻63号、<勁草書房>2010年。