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研究一覧

石井 正敏

石井 正敏 【略歴

教養講座

情報の歴史学

石井 正敏/中央大学文学部教授
専門分野 日本史

 この度の大震災により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 私は日本史学を専攻し、古代・中世の国際関係をテーマとして研究しています。中国の隋・唐・宋、朝鮮の新羅・高麗そして渤海などとの交流を主な対象としていますが、研究のキーワードの一つに「情報」、特に「海外情報」があります。島国日本に海外の情報がどのように伝えられ、どのように受け入れたのか、あるいは日本から海外にどのような情報が、どのようにして発信されたのか等々、興味は尽きません。

「情報の歴史学」をテーマに共同研究

 こうした「情報」の持つ歴史的な意義に関心を持ち、日本史・東洋史の同僚とともに本学人文科学研究所における共同研究チーム「情報の歴史学」を立ち上げました。2001年4月のことです。そしてこの度2期10年にわたる研究の成果を、チーム名をとって『情報の歴史学』と題し、中央大学出版部から人文研叢書の1冊として刊行(3月20日付)することができました。

 私はこの論文集の中では、誰もが受験に際し「菅原道真世話ヤクヨ」「ハクシに返す遣唐使」等の語呂合わせで覚えた、894年(寛平6)の「遣唐使の停止」という日本歴史上有名なできごとを取り上げ、実は停止されたとする史料的な根拠はなく、停止の事実はないことを論じました。骨子はすでに1990年に文学部紀要に発表し、教科書等でも書き換えが進められていますが、今回はいわゆる菅原道真の建議としてこれもまた有名な根本史料について検討を加えました。これを『情報の歴史学』に寄稿したのは、寛平の遣唐使計画の立案に海外情報、すなわち在唐日本人留学僧からの唐情報が大きく関わっており、まさに「情報の歴史学」に相応しいと考えたからです。

 そして論文集の序文では、現代の通信技術の進展、情報のグローバル化をあらためて思い、瞬時に情報が世界をかけめぐる時代にあることを、いくつかの例をあげて述べ、「「個人情報」「情報漏洩」「ウィキリークス」等々、情報に関わる用語がマスメディアをにぎわす今こそ、情報の持つ意味について過去の情報にまつわる歴史から学ぶことは多いと考える。本書が現代の情報社会を考える上で資するところがあれば幸いである。」と結びました。

3.11大震災と情報

 こうして全ての校正を終え、あとは刊行を待つだけという時に、情報・情報社会について考えさせられるできごとが起こったのです。3.11大震災です。大学から帰宅するため、モノレールでとりあえず多摩センターまで出て電車の復旧を待ちましたが、けっきょくパルテノン多摩に設けられた避難所に一泊し、翌日、ようやく帰宅することができました。多摩センターで過ごす間、思ったことは「情報」の不足です。まず家族と連絡を取りたいと思ってもしばらく携帯は通じず、また駅員は「運転再開に向けて調査中」を繰り返すのみで、情報らしい情報を得ることはできませんでした。ただ駅ビルにある店内のガラス越しに見えるTVが貴重な情報源となり、大津波が次々と建物、車等を呑み込んでいく様子が映し出されていました。音が消されていただけによけい不気味であり、尋常ではないと感じながら見入っていました。

869年の大震災ー貞観地震

 それからおよそ1カ月。この間の体験は、過去の歴史から学ぶべきことの多いことをあらためて思う機会にもなりました。震災後がぜん注目をあびているのが、869年(貞観11)に陸奥国(むつのくに)一帯を襲った大地震・津波です。年号をとって貞観(じようがん)地震あるいは貞観津波と呼ばれ、専門家の間では良く知られており、特に今回の大震災を予見させるものがあるところから注目されています。六国史(りつこくし)の最後である『日本三代実録』貞観11年5月26日条にみえるその記事は、臨場感に溢れた文章で、まさにTVに映し出される大津波の状況と重なり、胸に迫るものがあります。

 「陸奧国、地大(おお)いに震動す。流光、昼の如く隠映す。しばらくして人民叫呼(キヨウコ)し、伏して起きる能(あた)わず。或は屋仆(たお)れて圧死し、或は地裂(さ)けて埋殪(マイエイ)す(生き埋めとなる)。馬牛駭奔(ガイホン)し(逃げまどい)、或は相い昇踏(シヨウトウ)す(お互いに踏みつけあう)。城墎(ジヨウカク)・倉庫、門櫓・墻壁(シヨウヘキ)、頽落(タイラク)し顛覆(テンプク)(崩れ落ちる)すること、其の数を知らず。海口、哮吼(コウコウ)し、声、雷霆(ライテイ)に似たり(海水が雷の如くうなり声をあげ)。驚涛(キヨウトウ)、涌潮(ヨウチヨウ)し、泝洄(ソカイ)漲長(チヨウチヨウ)して(大津波が怒濤の如く押し寄せ)、忽(たちま)ち城下に至る(陸奥の国府多賀城まで押し寄せた)。海を去ること数十百里。浩々(コウコウ)として其の涯涘(ガイシ)を弁ぜず(どこまでが海か分からない)。原野・道路、惣(すべ)て滄溟(ソウメイ)(大海原)と為る。船に乗るに遑(いとま)あらず(船に乗る時間もなく)、山に登るも及び難し。溺死する者千許(ばか)り。資産・苗稼(ビヨウカ)(農作物)、殆(ほと)んど孑遺(ケツイ)(残るもの)無し。」

 死者の数およそ1000人とあり、少ないように思えますが、当時の人口を考えれば大変な数であり、集落も散在していたはずですから、津波が相当広範囲にわたったであろうことが推測されます。この貞観津波については災害史の視点だけでなく、防災の観点からも研究が進められています。中でも「産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター(AFERC)」では宮城・福島・茨城等の海岸からやや内陸に入った場所の地層から海水が及んだ痕跡を探し出し、津波がどこまで遡上したのか精緻な研究を積み重ね、場所によっては内陸3~4kmまで海水が押し寄せたことを明らかにし、マグニチュード8.4クラスの地震による津波被害であるという結論を出しました。同センターは調査結果をもとに、政府や自治体に警戒と対策を呼びかけ、政府もこの春には防災対策をまとめる予定であったといいます。その矢先に震災が起こってしまったのです。

貞観地震における情報

 私が貞観地震について関心をいだくのは、やはり「情報」の視点からです。陸奥国における震災情報が京都(平安京)の朝廷にいつ頃伝わり、どのような対策が取られたのでしょうか。というのは今回の震災に際して、道路が寸断され、正確な情報がなかなか把握できないところから、対策に遅れが生じ、はてはチェーンメール、風評被害の発生などにもつながっているからです。古代の行政法である令(公式令(くしきりよう)国有瑞条)には、「災異」が起こった時は特急便で報告せよと定められていますが、これほどの大震災の時に、いったいどのようにして伝えられ、いつ朝廷(国家)は被災状況を把握したのでしょうか。まず9月7日に陸奥の実情を調査するための特使を任命していますので、これより以前に陸奥の震災情報が京都の朝廷に届いたことが知られます。そして特使の出発は1カ月後の10月13日で、その時の詔では、特使は国司とともに現地を実見し、生存者の救済、死者の手厚い埋葬、租税の免除等々、状況に応じた救済策を取るように指示しています。その後特使が現地に行って実見し、その復命をまって、はじめて実情を知ることになります。さらに全貌を把握するとなると、相当の月日を要したであろうことが推測されます。こうした経緯について、当時の交通路や交通手段などを総合的に考えてみる必要があると思っています。

869年と現在

 実はこの年、869年の災害は陸奥の震災だけではありませんでした。震災以前から旱(ひでり)が続き、以後は全国的に余震が続き、7月には肥後国(熊本県)で陸奥に匹敵する地震・津波が起こっています。さらに震災と同じ5月には隣国新羅の海賊が博多に襲来し、年貢を奪って逃走するという事件が起きています。海賊を取り逃がした大宰府の役人を「国威」を大きく損なうものとして譴責しており、大震災なみの衝撃を朝廷に与えたのです。そこで12月には伊勢神宮に使者を派遣し、新羅海賊の襲来、陸奥・肥後の震災を奉告し、加護を願っています。その時の告文の中に「神明之国」「神国」の語が見え、神国思想が一気に昂揚することも注意されます。

 869年は、まさに内外国事多端な年でした。その状況は、私には日本が直面している現状にオーバーラップしているように思えます。あらためて「情報」の重要性を認識するとともに、869年という年に日本列島に何が起こっているのか、さらに詳しく検討を加え、今と比較してみたいと思っています。なお貞観地震に関する「AFERC」の調査報告をはじめとする情報はインターネットに多数掲載されていますので、ぜひご覧下さい。

 避難所では一睡もできませんでした。とは言え、わずか一泊であり、暖房もはいり、毛布に水も支給され、帰る家もありました。長期にわたり寒く狭い避難所生活を余儀なくされている方々のご苦労は察するに余りあります。被災者の方々に早く平穏な日々が訪れることを切に願っています。

石井 正敏(いしい・まさとし)/中央大学文学部教授
専門分野 日本史
横浜市出身。1947年生まれ。1969年法政大学文学部史学科卒業。1975年中央大学大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(歴史学 國學院大学)。東京大学史料編纂所助手・助教授、中央大学文学部助教授を経て、1990年から同大学教授。2002年~2005年「日韓歴史共同研究委員会(第1期)」委員。現在、中央大学人文科学研究所長、中央史学会会長。
主な著書に『日本渤海関係史の研究』(吉川弘文館 2001年)、『東アジア世界と古代の日本』(日本史リブレット14 山川出版社 2003年)、『対外関係史辞典』(共編 吉川弘文館 2009年)、『日本の対外関係』(共編 吉川弘文館 2010年~刊行中)等がある。