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角田 邦重

角田 邦重 【略歴

教養講座

労働者人格権の保障

角田 邦重/中央大学法学部教授
専門分野 労働法

個別労働紛争の時代へ

 労働法の研究対象は、私が中央大学で労働法の研究・教育に従事してきたこの44年の間に大きな変化を遂げた。集団的労使紛争から、個別の労働者と使用者(企業)の間で生じる労働問題への流れと言ってよい。労働者人格権の保障も、重要なテーマの一つである。

 高度成長の時代には、経済成長の成果の還元を要求する労働組合とこれを拒む資本との間で四つに組んだ争いが展開されていた。月額5万円の年金を政府に約束させた福祉国家元年の幕開け(1973年)が、当時の労働組合(国民春闘共闘会議)による350万人のゼネストを背景にしていたと言ったら、どれだけの人が信じられるだろうか。しかし、労働組合が強い発言権を発揮していた時代は、法律で禁止されているストライキ権の回復を求めて8日間・192時間に及んだ国鉄の労働組合のストライキの挫折によって(1980年12月)終わりを告げた。

 それに替わって登場してきたのは、個人労働者一人ひとりが、直接、使用者(企業)と向き合うなかで生じる紛争だ。もともと労使関係は、労働者と使用者の間で取り決められる「労務の提供」とこれに対し対価である「賃金」を支払うという契約関係であって、その間に労働組合が介在することまで要求されてはいない。働くのは労働者個人であって労働組合が替わって働くわけではない。事実、労働組合に参加している労働者の割合となると18、5%に過ぎず、100人未満の中小企業では1~2%の間と極端に低くなる。そして、いかにも形式的に聞こえるが、労働契約によって決まる労働時間や賃金といった労働条件の中身は、原則として当事者の自由な交渉による。

規制緩和と日本的雇用の変質

 もっともこう言ってしまうと、労働法の存在価値はなくなってしまう。当事者間(労働者と使用者)の交渉力に初めから対等性が欠けている事実に目をふさいで、自由な交渉に放任してしまえば、労働条件はもっと長く(労働時間)、もっと安く(賃金コスト)と望む使用者の要求を労働者は一方的に呑まされてしまう。労働法はこれを労働者の生存に対する脅威ととらえ、「労働条件は労働者の人たるに値する生活を営むための必要を充たすものでなければならない」(労働基準法1条1項)と、生存権の理念を掲げてさまざまな労働条件に規制を加える一群の立法と言ってよいからだ。

 問題は、その先にある。1990年代のグローバル経済競争の時代に入って、企業の国際競争力を維持・強化していくために、企業活動の自由を制限している規制を出来るだけ廃止あるいは緩和すべきだとの規制緩和政策が目指されるようになった。規制立法である労働法も例外ではない。終身雇用、年功賃金といった日本的雇用慣行の見直しと、それに替えて、正規雇用は基幹部門だけに限定し、専門職には外国人を含む期限付雇用で、マニュアル労働にはパートタイマー、契約社員、派遣労働、嘱託などの非正規雇用で済ます方策が採用されるようになり(雇用のポートフォリオと呼ばれ、当時の日経連が1995年に『新時代の「日本的雇用」』で提唱した)、これを後押しする一連の労働法改正が行われた。正規労働者が減少する一方で、非正規労働者は増大し、雇用労働者に占める割合も女性では5割を超え、全体でも34%に達するまでになった。それは、労働者個人が直接企業と向き合うなかで生じる紛争の増大と、そのなかから、労働者人格権を問題とするに値するさまざまな紛争を生み出すことになった。

労働者受難の時代

 労使関係は、法律的には労働者と使用者の契約によって成り立っている。しかし、こう言っただけでは、企業という制度的実態をもったイメージと結び付けるのは難しい。それよりも、最高裁のある判決が言っているように、企業は「それを構成する人的要素及びその所有し管理する物的施設を総合し合理的・合目的的に配備組織して企業秩序を定立し、この企業秩序のもとにその活動を行う」もの(国鉄札幌駅事件・最3小判昭和54・10・30)という表現の方がピッタリする。つまり労働者は契約によって、企業という組織の「人的要素」に組み込まれ、その一員として使用者の指示に従って働いているというわけである。非正規雇用には、契約で定められた内容の労務に従事し賃金も時間給一本という限定的契約関係のイメージが当てはまる。しかし、正規雇用の場合には、会社への帰属意識が要求され、その代わりに労働時間に見合った賃金の他に、さまざまな福利厚生や退職金など生活を丸ごとカバーする給付が支給されてきた。正規社員に関する限り、わが国の会社は擬似共同体とも言うべき濃密な人間関係をもってきたわけである。

 ところが90年代の日本的雇用の変質は、会社と社員の関係に大きな変化をもたらした。企業の立場から見れば、従来の雇用慣行を維持する余裕はなくなったし、成果を問わない平等な処遇では厳しい競争に生き残っていけない、というわけである。過剰な債務と生産施設の償却と同様に、余剰労働力を排出し(解雇)、その穴埋めは非正規雇用やアウトソーシングで、労働時間の規制など守っていたら少数精鋭による業務処理など出来ない、賃金は能力と成果次第、などなど数え上げればキリがないようなドライな人事施策が採用されるようになった。もちろん労働者からみれば災難である。リーマンショック後に、20万人を超えた派遣切りや住むところを失った労働者のための年越し派遣村の開設(2008~2009年)は、その延長線上にある。

職場いじめの諸相

 職場いじめやパワー・ハラスメントという言葉を聞くことは、今では珍しくなくなったが、法律的には人格権侵害として違法と評価される行為を意味している。しかし、濃密な人間関係をもった閉鎖的な企業内部の出来事に、公共的空間を予定した法の適用を及ぼすのは簡単なことではなく、一種の治外法権のような様相を呈していた時期が長かった。何よりも、企業は使用者によって組織され支配される空間であり、労働者も組織の一員として企業の秩序を守り使用者の指揮に従って働くことを義務付けられている。加えて、労働者の管理に際して、企業に対する忠誠心や(残業を拒否したり、年休取得が多すぎると忠誠心が疑われたりする)政治的傾向などの内面が重要視されてきたからである。

 だから初期の職場いじめは、労働組合あるいは少数派に属するメンバーや特定の政治的信条の持主を対象に、会社に対する「忠誠と反逆」の観点から排斥するケースが多い。対象とされた労働者もそれなりの信念をもって、不当労働行為(団結権の侵害)、信条差別(憲法14条・労働基準法3条)を理由に争うというものであった。

 だが様相が一変したのは、90年代の労働者受難の時代に入ってからだ。そもそも「職場いじめ」という表現も東京都の労働経済局が行った労働相談の事例600件の分析で初めて用いられ(1999年)、それによると、解雇や退職の強要などを目的としたものとならんで、被害者に心あたりがない「いじめそのもの」、女性に対しては性的な動機が多く(雇用均等法にセクシュアル・ハラスメントに関する規定が設けられる以前のことである)、手段としては、仕事を与えない・逆に強要する、集団的・個人的無視、脅迫や侮辱的言辞、ときには暴力を伴う行為などが、事業主や上司(5割強)、あるいは同僚(2割弱)によって行われている。つまり誰が被害者になっても可笑しくないほど、普遍化し深刻化したのだ。

 解雇を免れた労働者も、安心してはいられない。過度の効率と競争が支配するようになった職場環境のなかで、成果を挙げられない、仕事のミスでチームの足を引っぱったなどの理由で手ひどい叱責やいじめを受けて自殺する労働者が出るなどのケースが発生し、パワー・ハラスメントの名で注目を集めるようになっている。

労働者人格権の保障へ向けて

 少しまわり道をしたが、労働者人格権の性格と広がりについて述べて終わりにしよう。生命・身体・健康・自由といった基本的でプリミティヴな人格的価値が、今でも人格権の中核を占めていることは言うまでもない。しかし、職場いじめの方法・手段のなかで、集団的・個人的無視など孤立化を図る行為は、最高裁判所の言葉を借りれば「自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を侵害する」違法な行為とされている(関西電力事件・最3小判平成7・9・5)。また、労働者への屈辱感や他へのみせしめにするなどの仕事差別が人格権の侵害とされるのは、仕事が労働者にとって人格的価値を現すものと受けとられているからである。これらは人格権の保護が精神的人格価値に及んでいることを表している。

 このような人格権の対象の広がりは、この概念が特定の保護領域に限定されているわけではなく、包括的で開かれた母権的性格(Muttersrecht)をもっていることから生じている。そして情報技術の発展と応用領域の拡大とともに、個人情報保護法の制定に見られるように人格権の保護範囲と保護のあり方も広がり続けている。

 私はこの3月に70歳定年を迎えて退職することになっているが、労働法研究者を中心に40名の方々が、私も研究テーマとしてきた『労働者人格権の研究 上・下巻』(古稀記念論集・信山社)を出版して下さった。この論集を見れば、労働者人格権の広がりと法理論の現在があますところなく示されている。

角田 邦重(すみだ・くにしげ)/中央大学法学部教授
専門分野 労働法
1941年・熊本県天草生まれ。昭和40年中央大学法学部卒。在学中の39年司法試験に合格、2年間の司法修習を終えた後、中央大学法学部助手、その後、本年3月まで44年間、法学部で労働法の研究・教育に携わり、この間、法学部長、中央大学学長を歴任。専攻は労働法。日本労働法学会理事・代表理事、日独労働法協会理事・会長を歴任。
労働組合活動の権利、労働者の人格的権利などを中心に多数の著書・論文を発表
入手しやすいものに、『新現代労働法入門』(法律文化社)、『労働法解体新書』(法律文化社)、古稀記念論集『労働者人格権の研究 上・下巻』(信山社)など。