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トップ>研究>ムササビにこだわり30年 -多摩地区における分布の変遷と環境教育-

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岡崎 弘幸

岡崎 弘幸 【略歴

教養講座

ムササビにこだわり30年 -多摩地区における分布の変遷と環境教育-

岡崎 弘幸/中央大学附属中学校高等学校教諭
専門分野 動物生態学 生物教育学 理科教育法

ムササビの魅力

図1 ムササビ

図2 空飛ぶ座布団のようなムササビの滑空

 ムササビを研究し始めてから34年目となる。これほどの長い時間、ムササビに惹かれ続けて来たわけだが、一体その魅力は何であろうか。また、ムササビ観察会も34年間継続的に行ってきたが、人数が集まらずに中止したことは1回もない。応募者が多いときは競争率が5倍を超えることもあった。人々は何を求めて、ムササビ観察会に参加するのだろうか。

 ムササビPetaurista leucogenys(図1)は囓歯目リス科に属し、移動手段として「滑空」を使う。翼を持たないので、コウモリのように空を自由に飛べるわけではない。前肢から後肢にかけて発達した飛膜を使い、樹木から樹木へ滑空するだけである。闇夜に40センチ四方もある動物が滑空する姿はまさに「空飛ぶ座布団」であり(図2)、何回見ても感動する。ある時は風に乗ってゆっくりと、またある時は一瞬で頭上を通り過ぎる。小型のネコくらいの動物が大空を滑空する姿は最大の魅力である。特に高尾山(東京都八王子市)の場合、都会の灯りを眼下に望みながら滑空するので、夜景の美しさとムササビの滑空と二重の楽しみを得ることができる。観察会の参加者の方にアンケートをとると、この「滑空」に心を動かされ、その光景が一番印象深かったと答えた人が多かった。

滑空の秘密

図3 日没30分後、巣穴から顔を出す

図4 針状軟骨を伸ばして飛膜面積を増やす

 ムササビは日没約30分後、巣となる樹洞(樹木の穴)や寺社の屋根裏などから出て活動を始め(図3)、日の出約30分前に巣に戻る完全な夜行性動物である。エサは通年樹上で得られる広葉樹、針葉樹の葉やカシ類などの実(ドングリ)、サクラやツバキの花、スギなどの球果である。巣から出たムササビは木を駆け上がり滑空する。滑空距離は飛び出すときの木の高さの約3倍で、30m の樹高があれば約90m 滑空できる。木が山の斜面に生えていれば、さらに滑空距離は伸びる。高尾山薬王院での最高滑空記録は107m であるが、このような大滑空は希にしか見ることができない。それだけに大滑空が見られたときの感動は大きい。舵は飛膜の外側の筋肉を微妙に調節し、膜の張り具合を変えることで行う。

 ここでからだの表面積と体積の関係を考えてみる。1辺が1cmの立方体を考えると、表面積が6㎠、体積は1㎤となる。からだの大きさを2倍にする(1辺を2cmとする)と表面積が24㎠、体積は8㎤となる。からだの大きさを2倍にすると単位体積あたりの表面積は3㎠と減るので、体表から逃げる熱エネルギーなどが減少するのである。栄養価の低い葉食主義者のムササビは、からだを大きくすることで逃げるエネルギーを抑えていると考えられる。しかし大きくなることは重くなることでもあり、滑空には不利な要素となってしまう。そこをどう工夫しているのだろうか。

 ムササビが滑空する時、からだには上向きの力(揚力)が起こる。より遠くへ滑空するためには、揚力を大きくする必要がある。揚力は飛膜の面積と滑空速度の2乗に比例して大きくなる。飛膜の面積を大きくするためには、手足を長くすれば良いが、樹上生活者としてバランスが悪くなったり、体重が増加するなど不便になる。しかしムササビのからだは上手くできていて、手には針状軟骨という細くて可動性の骨があり(図4)、普段は手首に畳んであるが、滑空時だけ外側に開くという巧みな構造を持つ。この軟骨のおかげで、普段は手足を長くしなくても、滑空時だけ飛膜面積を増やすことができる。さらにこの針状軟骨の外側の飛膜部分は丸くカットされているので、滑空中にブレーキとなる空気の渦を最小限に抑えることができる。次に速度であるが、樹上では助走できないので、滑空時には横枝か木の天辺に上がり、枝などを思い切り蹴って飛び出すことで、速度を上げるのである。頭を十分に下げて加速し、やがて一定の速度になり、目的の着木が決まれば体を起こして減速する。ブレーキは四本の手足を前に伸ばして、腹部に空気の層を作って減速する。これはパラシュートを横にした感じである。

 滑空の速度は、体重と飛膜の面積の比(専門用語ではこれを翼面荷重という)で決まる。モモンガの体重が120gでムササビの1/10として、飛膜の面積が1/5とすると、一定の面積あたりで支える体重はムササビの方がモモンガよりも2倍ほど重くなる。したがって体重が重い分の不利を、速度を上げることで補っていると考えられる。滑空一つとっても行動とからだのつくりが実にうまくできていて、改めて自然の精巧さに驚かずにはいられない。

 このようにムササビは移動手段として滑空を使うので、滑空できる樹木が開発などで伐られてしまうと、次第に生息地は狭まり孤立化し、やがては絶滅へと向かうことになる。宅地やマンション、道路などの建設で開発が進むと、いつのまにか野生動物が居なくなるということはしばしば起こる。急激な開発は、そこに動物が生息していた証拠すらなくなってしまう。そこで継続的にデータを取る必要を感じて、1979年からムササビの生息分布調査に取り組みはじめた。

多摩地区でムササビの分布を調べる

図5 ムササビの食痕(左右対称タイプ)

 当時東京都にはムササビの分布データがなく、はじめは断片的な調査にならざるを得なかったが、本格的な生息分布調査をはじめたのは1993年からである。以後3年毎にこの調査を行っている。東京都は西高東低の地形で、西部の山岳部には大体どの地区にも生息が確認できたので、丘陵沿いの分布最前線(東限ライン)を集中的に調べた。生息確認の方法は、丘陵沿いに昼間歩き、社寺林や自然公園、民家などでフンや巣穴、食べ痕探しを行い、証拠のあった場所では夜間張り込み調査をして直接確認をした。フンは球形で直径5mmほど、割ると繊維状なので他種とは見間違うことはなく、食べ痕は多くの葉の場合、左右対称となるので分かりやすい(図5)。また葉を二つ折りにして中央だけ食べた場合、葉の中央に丸い穴が開き、これはムササビ特有の食べ痕である。巣穴は樹木の幹や枝などに直径8cm程度の樹洞があれば可能性は高い。しかし樹洞は、モモンガや鳥類のオオコノハズク、ブッポウソウなども利用するから、巣穴だけでは判定しにくく、生息の可能性のある場所では、夜間に直接観察をすることで確認した。このようにして神社やお寺、民家一つ一つを地図上に記録して回った。小さな証拠を見つけ出すには徒歩で調べなければならないが、これは想像以上に疲れる仕事である。神社などでしゃがみ込んでフンなどを探す姿は怪しいらしく、何度か警察に通報された。しかし地道な継続的な調査により、地域住民の方の理解も出てきて、ムササビの分布が丘陵部においてどのように変遷してきたのかが次第に分かってきた。

狭まりつつある生息地

図6 ムササビの分布東限ラインの変遷
(1970年の分布東限ラインは調査を元に推測したラインである)

図7 道路開発が進む丘陵部(あきる野市)

 これまでの調査で、地域差は多少あるものの、ムササビの分布最前線(分布の東限ライン)は確実に西側(山地側)に移動している(図6)。丘陵別では、青梅市の加治丘陵では大きな変化はあまり見られなかったが、絶滅した地区もあった。あきる野市の草花丘陵では滝山街道東側での生息地が減少しつつある。また、圏央道の開通により分布状況に変化が見られる可能性があり、今後もモニタリングが必要である。八王子市の加住丘陵は、年々生息確認情報が減少しつつあり絶滅した地区もある。元八王子丘陵は1999年までは丘陵の突端まで生息していたが、現在確認はできておらず分布最前線は大きく後退した。このように丘陵部では、大規模なゴルフ場や霊園の造成による樹林地伐採、丘陵を南北に縦断する街道などにより丘陵基部と先端部が分断され、生息地が孤立化することが多い(図7)。多摩丘陵は1960~1970年代頃から開発が進み、住宅地、団地、学校、ゴルフ場など多くの建造物ができた。このため、丘陵の形は原形を止めないほど変化し、樹林地は次第に分断化され、それに伴いムササビの生息地は孤立化していった。断片的な確認情報と1905年頃の樹林地データから、かつて多摩丘陵全体に広範囲にわたってムササビは生息していたのではないかと考えられるが、現在では一部の地区にのみ(町田市図師町、小野路町の歴史環境保全地区)生息が確認されるに過ぎない。

 ムササビの生息には、まとまった樹林の存在、年間を通して餌となる樹木の存在、樹洞など巣穴の存在が必要である。絶滅した場所では、樹木の伐採により巣穴、餌になる植物、滑空可能な高木の存在が断たれたことと、周囲の樹林地が開発などにより伐採され、生息地が分断されることによる孤立化が見られた。孤立化すると個体の移動が無くなり、やがては絶滅してしまう。

 ムササビを保護していくには、まとまった樹林地を残すのが最良であるが、道路沿いにある程度の高さの樹木を一定間隔で植え、生息地どうしを孤立化させないことが重要である。また東京都に多いスギやヒノキの植林地を、可能な限り餌となる広葉樹に変えていく試みも大切であろう。樹林地を帯状に続ける(緑の回廊、コリドー)ことで、地上を歩いて移動する動物たちも利用することが出来る。今後このようなことも考慮した開発を考え、野生動物と人間とが共存する道を探る必要があるだろう。

ムササビを素材に教育に生かす

図8 保護したムササビの仔

 これまで職場である学校現場においても、生物部の活動や特別授業、PTA活動などでムササビ観察を実施してきた。生物部の生徒たちは毎月観察を行い、野生動物の調査も合わせて行っている。彼らは観察回数を重ねる毎に自然を見る目が養われ、自然に対するカンがはたらくようになっている。また、生物部員は一般向けのムササビ観察会がある際にスタッフとして参加して貰い、指導者的な立場で活躍してもらうことも多い。卒業生の中にはムササビ観察がきっかけとなり、進路を決定した生徒や観察を通して自然への関心を高め、進路を自然科学や環境分野に決めた生徒もいた。観察会スタッフの経験から子どもたちの教育に関心が芽生え、教育界に入った生徒もいた。生物部の活動として、ムササビの活動時間や食性、生息環境の調査などを行っているが、巣から落ちた幼獣の保護飼育データを野生に生かす機会もある(図8)。中央大学附属高校ではムササビ調査を始めて、まもなく2年が過ぎようとしている。附属中学校では今年度から新入生が入ったのでまだ1年間ではあるが、高尾山やあきる野市、青梅市、檜原村など様々な環境でムササビ調査を始めとする野生動物の調査を行なうとともに、野生の勘を鍛えているところである(図9、10、11)。まだ未熟ではあるが、観察データが集まってくれば、それまでに見えなかったものが見えてくるようになると信じており、これからが楽しみである。ムササビ観察・調査を通じて自然界を大きな目で眺め、「森を守れ」と口先だけで言うのではなく、具体的に行動できるような人間形成を行っていきたい。環境教育の優れた素材であるムササビとはこれからも長いつきあいになりそうである。

図9 高尾山でのムササビ痕跡調査
(本校中高生物部)

図10 あきる野市の神社で夜間調査
(ムササビとモモンガが共存する神社)

図11 高尾山での野生動物調査を終えて

岡崎 弘幸(おかざき・ひろゆき)/中央大学附属中学校高等学校教諭
専門分野 動物生態学 生物教育学 理科教育法
1958年東京生まれ。1980筑波大学生物学類卒。1999東京学芸大学大学院教育研究科修了。教育学修士。大学時代よりムササビの研究を始め、高尾山へは通算800回以上登る。
現在の研究テーマは、ムササビの分布と環境要因との関係。生徒たちと多摩地区の山地、丘陵地でムササビや野生動物の調査を行っており、生徒たちからはムササビ先生と呼ばれている。2003東京新聞教育賞受賞。2007東京都教育委員会職員表彰。2008文部科学省優秀教員表彰。日本哺乳類学会リスムササビネットワーク所属。日本生物教育学会所属。
主要著書:「ムササビに会いたい!」(晶文社2004)。東京都の不思議事典(新人物往来社1997共著)。日常の生物事典(東京堂出版1998共著)。