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戸口 日出夫

戸口 日出夫 【略歴

教養講座

グリムのメルヒェンを読む

戸口 日出夫/中央大学商学部教授
専門分野 ヨーロッパ語系文学

永遠のキャラクター・シンデレラ

 東京駅を出た京葉線が舞浜にさしかかると右側にディズニーランドが見えてきます。なかでもひときわ目を引くのが、すらりと空へ向かって伸びるシンデレラ城です。真冬の暗い夜空に、それは幻想的に浮かび上がっています。シンデレラ! この永遠のキャラクターは少女たちの永遠の夢と願望の象徴です。これまで世界中の子供たちがどれほどこの主人公に共感し、自分もこうなりたいと願ってきたことでしょう。

 ところでディズニーのシンデレラが、じつはグリムではなく、フランスのシャルル・ペローに依拠するところが大きいことをご存知でしょうか? ペローは1697年の『童話集』のなかで、「サンドリヨン、または小さなガラスの靴」(サンドリヨンは灰かぶりの意。英語のシンデレラも同じ)の他に、「眠れる森の美女」、「赤ずきん」、「青髭」、「長靴をはいた猫」など、有名な話をいくつも語っています。ディズニーではガラスの靴が正体確認のテストに使われますが、それはペローからの借用で、グリムでは金の靴となっています。

 シンデレラ物語は、すでにイタリアのバジーレによるヨーロッパ最古の昔話集『ペンタメローネ』(1634-36)にも「灰かぶり猫」という題名で取り上げられていますし、同様の類話は日本や中国にもあります。日本の「米福(ぶき)粟福」では、やはり継娘が継母にいじめられ、しかしやがて村祭りで裕福な男性に見染められ、祭りで着た衣装による正体確認を経て、幸せな結婚にいたります。また日本の「灰坊」他、主人公が男の子の場合もあります。こうした類話はじつに世界に500もあります。そして、シンデレラに限らず、数ある昔話の類話は、ルーツが単一で(インドなど)、それが広く伝播したものか、あるいはいろいろな場所で自然に発生したものなのか、古くから議論されてきました。

メルヒェンとは?

 本来口伝えの昔話をドイツ語ではメルヒェンといいます。日本ではメルヘンと書かれる場合も多いかもしれません。そのジャンルをさらに分けると、(1)本来のメルヒェン、(2)動物昔話、(3)笑話・奇談となります。このうち(1)は、物語の初めと終わりに、たとえば「昔々あるところに」~「いつまでも幸せに暮らしました」というような一定の枠組みを持ち、内容も時、所、人物などを特定しない物語といえるでしょう。メルヒェンの人物は、たとえ名前を持ったとしても、ハンスとかグレーテルとか、一般的な名前(姓ではない)が大半なのです。シンデレラも「灰かぶり娘」という普通名詞です。ちなみに西洋人が本来のメルヒェンというときは、(1)のうち、とくに魔法昔話を想うことが多いようです。

グリムのメルヒェン集の成立と「シンデレラ」

 グリム兄弟(兄ヤーコプ、弟ヴィルヘルム)は口承文芸を人類の文化遺産として最初に評価し、学問的に研究しました。昔話や伝説のルーツ、類話の比較、モチーフやテーマ、語りの様式……など、彼らの多様な研究成果は後代の研究者の偉大な模範となりました。彼らが収集・編集したメルヒェン集(“Kinder- und Hausmärchen”)の第1巻初版は1812年、第2巻初版は1815年に出版されました。なお最終版(第7版=決定版)は1857年で、200話(および10話の聖人伝説)から成っています。

 グリム童話のシンデレラ(グリム童話21番「灰かぶり」)はすでに初版以前の手書き原稿(エーレンベルク稿)に記録された物語です。グリムのメルヒェンのうちで、「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」と並んで、三大人気メルヒェンといえるでしょう。それはメルヒェンとしての完成度がきわめて高いことによるでしょう。では以下、「灰かぶり」をもとにメルヒェンのいくつかの特性を見ていきましょう。

この世と異界は連続する

 継母や姉たちにいじめられる灰かぶりを慰めたのは鳥、そして彼女が舞踏会に行くためのドレスや金の靴を与えるのも、また最後に意地悪な姉たちに罰を与えるのも鳥でした。この鳥は何か。ふしぎな力を持ち、霊界と結びついた鳥。これは実の母の魂の姿なのかもしれません。なおペローの「サンドリヨン」では、仙女が現れて、その魔法でドレスや馬車が出現します。ここでも、ディズニーはペローのイメージを採用したわけです。

 こうした鳥にしても仙女にしても、異界の存在です。メルヒェンは広大な世界です。それは遠い宇宙や超自然の世界をも包含します。この世と超自然界の間には区別はあっても、両者は連続しています。ですから異界の存在者がいきなり目の前に現れても、人は余り驚きません。反対に、この世の人間も当たり前のように両方の世界を行き来します。

主人公は旅する存在

 灰かぶりは母もなく、父も継母の側に立ち、まったく孤立しています。メルヒェンの多くの主人公は貧しく弱い立場にいます。皆からバカにされている末っ子や継子、「ブレーメンの音楽隊」のような追い出された家畜たち、そして親指小僧や一寸法師のような存在。言い換えれば、彼らは定住地を持たない、この世の旅人ともいえます。

 そして彼らはこの世で悪の力や死の恐怖に、さらには異界の怖い力にさらされます。このような死や悪の力がつねに目前に現前することから、メルヒェンは「怖い」といわれます。これはグリムに限ったことではなく、メルヒェンというものは本質的に「怖い」のです。主人公は生活の安全性を保障する社会的な約束事のシステムが失われた世界に佇みます。しかしひるがえって考えてみれば、私たち現代人も、預金の計画とか出世の計画が事故や事件で一瞬にして狂ってしまうといった安全神話の崩壊を経験していないでしょうか。私たちも意外にメルヒェンの主人公に近い、旅する存在なのではないでしょうか。

万象との普遍的な関係性

 灰かぶりには持ち物といえば粗末な服しかありません。彼女はいっさいの所有を奪われています。この世の安全性や確かさを保証する肉親、金銭、名誉も奪われて、<無>へと追放されています。言い換えれば、彼女は<所有>を求める飽くなき自我中心の思いから完全に自由になっているのです。そしてそのとき世界が新鮮にきらきら光り始めます。動植物とも新しい関係に入ります。舞踏会に行きたければ、大皿いっぱいのレンズ豆を灰の中から拾い出せという継母からの難題を、鳩、キジ鳩、その他の小鳥たちが手伝って解決しますが、このようなメルヒェン的な「援助者」はそうした事情を象徴します。

 灰かぶりは涙で、はしばみの木を育てます。一度聞いたら子供は忘れない美しいイメージです。またこの簡潔な表現によって、もう何年も涙の年月が続いたことを暗示する、この語り方は見事です。メルヒェンの語り口には冗長さや無駄がありません。

 ちなみに、はしばみは古代のケルト人やゲルマン人の間では力と健やかさを与える聖木と信じられていました。こんなところにも、メルヒェンの古いルーツが垣間見られます。そしてこの木も灰かぶりの援助者になるのです。

 こうしてメルヒェンの主人公たちには、日々何気なく接する人や生き物が深い意味を放つようになります。雪の降るなか、お地蔵様を気の毒に思って笠をかけてやる「笠地蔵」の主人公の心もこれに他なりません。こうして貧しい孤立者は、存在する生きとし生けるものとの普遍的な関係性に入るのです。24番「ホレのおばさん」もそうした関係性を見事に伝えています。そして子供たちに世界のゆたかさを教える、こうした存在するものとの共生の感情こそ現代的な意味を持つと思われます。

 しかしそういう関係に入れるためには、苦悩のなかで鍛えられたよき心情や愛の力が不可欠です。「灰かぶり」の長い忍耐のなかで彼女の心は涙で純化されていきます。また12番「ラプンツェル」では、夫婦の愛の力が悪い魔法に打ち勝ちます。ここでは若者のロマンティックな愛から、成熟した夫婦の愛へと愛が高められています。人生の深い挫折のなかで人の心は成熟します。それを冗長な心理描写なしに、簡潔にメルヒェンは伝えます。そしてこれを読む子供たちは人間の心情の深みに導かれてゆくのです。

超自然の力に導かれつつ自己を実現する

 灰かぶりは金の靴がぴったり合って、めでたく王子様と結婚します。彼女にとってまったく思いがけない出来事です。強い忍耐力を持つ彼女はけっして受動的な存在ではありませんが、メルヒェンでは虐げられた者が主人公に選ばれ、恵みを受けるという特性があるのです。これを宗教的な言葉でいえば、彼らは恩寵を受けた人間となります。逆に、すべて計算ずくで恵みを勝ち得ようとする強い登場者(金持ちや欲張りが多い)はだいたい惨めな失敗をなめます。ここには、人間にとって最も重要なものは、自分では意識しないまま、与えられる、という考えが基盤となっています。そして私たち現代人も、そのような、思いがけず出会い、導かれる存在なのではないでしょうか。

 このようにして主人公たちは、混乱と悪の威嚇する世界で、最後には浄化、成熟、正義、幸福といった人間にとって「本質的なもの」を、言い換えれば自己を実現してゆきます。大人と比べて弱い立場にいる子供たちは、こうした展開に彼らの夢の実現を見て、生きる勇気を得ます。彼らの願う正義が実現され、世界の秩序が回復されます。メルヒェンは子供たちの健やかな幸福願望や秩序感に呼応するのです。

 人は誰も、幸あり不幸ありの世界のなかで幸いをめざす長い旅の途上にあります。こうした人生の力学を象徴的に表現するのがメルヒェンなのです。

戸口 日出夫(とぐち・ひでお)/中央大学商学部教授
専門分野 ヨーロッパ語系文学
1946年群馬県に生まれる。1969年国際基督教大学卒業。1971年東京都立大学大学院修士課程修了(文学修士)。高知大学人文学部助教授を経て、1978年より中央大学助教授。1986年より教授。1988年~89年ウィーン大学客員研究員。
専攻は19、20世紀ドイツ文学およびウィーン文化論。昨今はとくにグリムを中心にメルヒェンを研究。
著書に『聖なるものと想像力』(共著、彩流社、1994年)、『ウィーン その知られざる諸相』(共著、中央大学出版部、2000年)ほか。訳書にH.シッペルゲス『ビンゲンのヒルデガルト』(共訳、教文館、2002年)、A.リーダー『ウィーンの森 自然・文化・歴史』(南窓社、2007年)ほか。