岩下 武彦 【略歴】
岩下 武彦/中央大学文学部教授
専門分野 国文学
今年は、和銅3年(710)に奈良に都が遷されてから1300年目ということで、さまざまな催しがあり、古都のにぎわいにひと花添えている。万葉集は8世紀末ころに編集されたとされているから、奈良時代はすなわち万葉集の時代でもある。抒情詩集としてはその規模の大きさ(長短あわせて4500首余り)と年代の早いことで、世界でも屈指の文化遺産である。中心となって編纂にかかわったのは大伴家持とされるが、残念ながらその原本は伝わっていない。成立以来1200年以上もの間、さまざまな人びとの手で写し伝えられてきた、その写本がわずかに残されて、奈良時代の息吹を伝えているわけである。
その伝来のありさまを明らかにしようとするこころみは、すでに平安時代の末、12世紀に始まっている。元暦元年(1184)の校合奥書があることから、「元暦校本」とよばれる写本は、それまでに伝えられていた万葉集のいくつかの写本を引きくらべ、その異同を記して奈良時代の原本にさかのぼる手がかりを残してくれている。ただ、元暦校本も現在ではその3分の1ほどが失われ、全容はうかがえない。
そういうこころみはその後も続けられ、13世紀には鎌倉の学僧仙覚によって、数度にわたって校合がこころみられた。その結果を留める写本のひとつである西本願寺本は、全20巻そろった最古の写本で、現在万葉集を読むためのもっとも基本的なテキストとなっている。
その後近世には水戸徳川家によって「四点万葉集」が、また近代に至ると佐佐木信綱らを中心として『校本万葉集』(大正13(1924)年初版)が編纂され、万葉集の伝来について、近代に至る全容のあらましがほぼ確かめられた。それまで標準的なテキストとして広く普及していた、寛永版本の限界が明らかにされ、奈良時代の原本に迫る、より優れたテキストとして、西本願寺本の価値が確かめられたのも、この作業を通してである。『校本万葉集』は、その後も増補がつづけられ、新増補版追補には、江戸時代中期の書写ながら全巻を完備した非仙覚本系の「廣瀬本」の影印と翻刻が付された。さらに、最新の校合の成果は、坂本信幸氏らによって電子版『万葉集校本データベース』が構築されつつあり、検索の便も図られている。
万葉集の伝来を確かめることは、奈良時代の原本に迫るために不可欠の作業であり、データベースの構築によって、それは果たされつつあるといってよいだろう。しかし、万葉集の伝来を確かめることの、もう一つの意味は、それによって私たち自身の万葉集の読みを対象化し、1200年以上にわたって読み継がれてきた万葉集の研究・享受の歴史の中で、私たちの今を位置づけることにもある。
そういう観点からすると、これまでのこころみは必ずしも十分ではなかったと思う。これまで、万葉集の伝来を確かめるこころみは、もっぱら「どのようにして奈良時代の原本に近づくか」ということに関心が傾いていた。 それがもっとも肝腎なことであり、またそのことを抜きにして万葉集の伝来について考えても無意味だとさえいえるのではあるが、そこに集中するあまりに、見落としていたことがあるのではないか。
私がそのことに気づかされたのは、渋谷虎雄氏の『中世万葉集の研究』(1967年)、および『古文献所収万葉和歌集成』(1982-1988年)に接してからである。渋谷氏の業績の意義は、直接万葉集の本文そのものを写した資料ばかりでなく、万葉集を受け容れ、その影響の下に詠われた歌にまで視野を広げ、万葉集の後世に与えた影響を広く確かめようとされたことにある。そのことによって、従来見落とされがちであった、万葉集のかながきのテキストの意義が見なおされ、万葉集の伝来の歴史を考える上で、未開の分野が切り拓かれたのだった。
もっとも、そう気づかされて改めて確かめてみると、これまでにそういう観点からの研究がなかったわけではない。たとえば、佐佐木信綱の『万葉年表大成』(1947年)は、万葉集の伝来について、写本の書写、影響を受けた作品など、享受の歴史についても、当時当たりうる資料を尽くして、くわしく記述している。
渋谷氏の功績は、そういう観点から、古代から中世に到る後世の和歌全体を徹底して見なおされた点にある。
そういう先学に導かれて、私も15、6年前から、中世の万葉集の伝来に関心を持つようになった。直接には、1993年~1996年に国文学研究資料館で行われた共同研究がきっかけである。当時資料館に所蔵されていた『三条西実隆自筆本 一葉抄』を、総合的に研究しようというもので、中世のかな書き万葉テキストに、直接ふれる貴重な機会を得た。それと同時に、中世のかな書き万葉テキストの重要性に気づかされたのだった。
先にふれた仙覚は万葉集の校定作業を進めると同時に、訓読もこころみている。その校定作業と同様、訓読のこころみも精緻なもので、現在の万葉集訓読のもとになっている。しかしそのために、仙覚以外の中世の万葉集研究については、あまり顧みられなくなったきらいがあるのではないか。そのことに気づかされたのであった。
私自身、万葉集に接するとき、平安時代の古写本や仙覚の校定のあとを留める西本願寺本、及びその系統の諸本に注意はするけれども、それ以外の、特に中世以降のかな書きのテキストにはあまり注意をはらってはこなかった。漢字の本文以外はあまり信用できない、という感覚がどこかに働いていたのである。しかし、考えてみると、平安時代以降、かなになれた人たちが、どれほどじかに漢字の万葉集テキストにふれていたか、はなはだ心もとない。むしろ、普通にはかな書きのテキストで万葉集にふれていたであろう。そういう人たちが、写し写し、伝えてくれたからこそ、私たちは今万葉集が読めるわけである。
そうだとすると、むしろかな書きのテキストから何を読みとるか、ということこそが問われるべきではないか。そういうことにようやく気づいたのだった。
そう気づいてみると、万葉集の伝来を考える上で、中世という時代はほとんど手つかずの沃野である。先ほど掲げた渋谷虎雄氏の業績によって、基本的な資料が整えられてはいるが、そこから先へはまだほとんど進んでいない。さらにその後、『新編国歌大観』の完成や、『和歌文学大系』、『私家集大成』など、新たなテキストクリティークを踏まえたシリーズが刊行され、『冷泉家時雨亭叢書』などの刊行によって、新たな資料が見いだされるなど、渋谷氏の業績についても、見直すべき段階にある。
さらに、人麻呂影供にみられるような、中世歌学の習俗化した万葉集享受のあり方や、和歌や連歌などの韻文ばかりでなく、中世文学全体にまで視野を広げて、万葉集の伝来・影響を確かめられるとすると、これまでとはことなった中世の古典研究・享受のあり方を確かめることができるかもしれない。
そう考えて取り組み始めたのであるが、言うは易くで、実際に始めてみると行く手は茫洋として、最初はどこから手を付けて良いかさえつかめなかった。さしあたり渋谷氏の『校本一葉抄』の見なおしから始めたのであるが『一葉抄』諸本の系統を見なおし、底本を差しかえ、さらに画像データを組みこんで、将来データベース化を、と思いはふくらむものの、道ほど遠しの感ひとしおである。
しかし、一方で『一葉抄』自体の資料的価値もさることながら、その存在から推し量られる、中世における万葉集研究・享受の広がりと奥行きとを思い合わせるとき、このテーマが中世文学全体のありように関わる側面をもっていることを確信しつつある。
述べたような観点から、中世の万葉集の伝来について考えることは、古今集以降の伝統にもとづく歌学とも相わたりながら、独自の歴史を形作ってきた万葉集の研究・享受の相に焦点を当てることで、中世の古典研究・享受に新たな一面から照明を当てることになるであろう。
また、このように、中世における万葉集研究・享受の広がりと奥行きを確かめ直すことは、中世の古典研究に対する方法的な批判に根ざす、近世国学の基盤を問い直すことにもなるであろう。そしてそれはまた、国学の伝統を受け継ぎつつ展開し今日大きな転機を迎えている、近代国文学、すなわち我々の古典研究のあり方そのものを問い直すことにもなるはずである。
道は遠いけれども、取り組み甲斐のある課題であると思う。