中澤 秀雄 【略歴】
中澤 秀雄/中央大学法学部教授
専門分野 政治社会学・地域社会学
政治学の基礎概念を一つだけ選べと言われれば、多くの政治学者は「権力」を挙げるのではないか。経済学にとって貨幣が本質的対象であるのと同様、政治現象は基本的に「権力」をめぐって展開されている。多くの政治学者や社会学者が権力を論じ、それにも関わらず、あるいはそれ故に、この概念には誰もが納得するような定義は存在しない。いっぽう、日常の人間関係において、相手に無理矢理言うことを聞かせる行為――権力行使――じたいは頻繁に観察できるのだが、ふつう我々はそれを「権力」と意識して考察したりしない。
しかし昨年来、政権交代に伴って生起する様々な事件は、日常生活において我々が意識しにくい、巨大な国家「権力」を考える機会を提供する。
報道によって多くの読者がご存じのように、群馬県吾妻郡長野原町に建設中の八ッ場ダムの総工費は約5千億円、1967年の正式計画発表から42年を経てなお「建設中」、その間に当初想定されていた治水・利水需要は満たされ、必要性が薄れているのではないかと問題提起されてきた。民主党は野党時代からこのダムを「ムダな公共事業」の典型として問題視しており、前原国土交通大臣は昨年9月の就任直後に「マニフェストに書いてありますから事業を中止します」と述べた。写真1にある建設中の橋(2009年9月時点の写真)は、ダムが完成して湖面が上昇したのちに両岸を結ぶ橋として想定されているが、これら本体以外の事業にすでに3400億円以上が投入されている。この橋脚はメディア向けの格好の「絵」を提供したし、鳩山政権にとっても「コンクリートから人へ」という基本ポリシーをアピールするのに適当だったろう。
しかし地元の事情を知らない人々にとって驚きだったのは、地元の首長や議員、水没地区住民で構成する「八ッ場ダム水没関係5地区連合対策委員会」委員長といった人々が、この「建設中止」方針を歓迎するどころか、「発言を撤回し、もとの計画通りダムを建設してほしい」と大臣に迫ったことだった。「中止」発言をした週末に地元の群馬県長野原町を訪れた前原大臣は、ボイコットに遭って関係者と対話することすら出来なかった。このあと長野原町役場には、「民主党を選んだ国民民意を蔑ろにするのか」という抗議電話が殺到するという事態まで出来した。一方では、「計画を撤回して補償等する金額を考えると、建設してしまった方が経済的に割に合う」という議論も持ち上がった 1 。
1 これに対する再反論として、他のダム建設の例を見ると、工期が遅れるほど「後づけ」で予算が膨れあがるのが一般的パターンであることから、完成させようとすれば当初見込みでは到底足りないと推定され、傷の浅いうちに中止した方がよいという議論もある。当初予算を低く見積もっておき、完成時には総予算が当初見込みを大幅に超過するというやり方は、東海道新幹線(1964)いらい、日本の公共事業の常套手段となっている。
写真1(筆者撮影、2009年9月)
このように政権交代の象徴としてスポットライトを浴びた事例ではあるが、「なぜ湖底に沈むはずの集落の人々が、ダム建設を強く迫るのか」という矛盾に取り組んだ報道は、残念ながら多くはなかった。 この疑問に答えるためには、この地域の歴史的経緯を理解しなければならない。計画から半世紀が経過するなかで、当事者やジャーナリストが執筆したものなど多くの記録が残されている。地元では当初から激しい反対運動が展開されてきたが、世代交代などを経るなかで条件つき賛成派が次第に優勢になり、町と町議会も受け入れに転じ、昭和62年に正式に準備調査受け入れが決定した。地元は賛成派と反対派に分断され、深刻な対立が世代を越えて継続してきた。計画主体の国土交通省は、優柔不断な対応をしたり、約束を反故にしたりということを繰り返し、この分断に加担した(萩原好夫 1996『八ッ場ダムの闘い』岩波書店 2 )。
掘り下げた報道が少なかったなか、2009年10月10日放送のNHK総合『追跡! A to Z』では当事者の現在進行形の声を伝えた。父親とともに反対運動を続けてきたものの自分自身は途中で「もう建設を受け入れるしかないのかな」と思い始めたという、ある旅館経営者は反対を貫く父親と衝突し疎遠になっていく。父親の死後、旅館の水没・移転を所与のこととして、新しい建物の建設プランを練っていたという。移転する見通しがある以上、老朽化した現在の旅館建物の改築は行われず、客足は遠のいている。番組中、この経営者はインタビューに応じて「故郷が水没を免れて、計画撤回を本当は喜ぶべき人々が、喜べないというのは、ひとつの悲劇なんでしょうね」と述べた。
2 本書は反対派が執筆したものではなく、ダム計画実現のために奔走した地元有力者の回想の書である。その萩原氏の総括は次の通りである。「八ッ場ダムの長い歴史を振り返ってみるとき、政府が決定したダム建設は、その場所に住民が居住していることなど寸分も考えないで通告されるのが通例である。こうして弱い住民はいつしか生殺しの運命に置かれる」「国家は表面上ダムを強制しない。われわれを大きな力で取り巻いて、住民の疲れるのを待っている」(p.123)。
この「悲劇」の背景に、「権力」の作用を見て取ることができる。42年間、この地にダムを造るのだという国の意志は固く、日本列島を見渡しても類似の事例には事欠かず、人々はやがてダムはできるのだと観念せざるを得なかった。水没する長野原町の川原湯地区などでは、したがって次第に「ダムができる」前提で新しい生活設計を立てて行く人々が増えていく。これらの人々は、ダム計画を推進し事業者を叱咤激励するような「主体」(subject)となって、「建設中止反対」を叫んでいると理解される。
Max Weberによれば権力とは、「他者の抵抗を排してまで自己の意志を貫徹する」力である 3 。このように他人をその本来の意思に反して動かすとき、暴力や威嚇・脅迫あるいは高額報酬などのあからさまな「アメとムチ」を使うよりも、相手方がむしろ自分から動き出し、権力者が望む行為の担い手になるよう、お膳立てをするほうが効果的で長続きする。露骨な権力を行使された被治者には、自分の心の声に逆らった良心の呵責や、そこまで行かなくても無力感・不信感・反撥などが生まれざるを得ないからだ。このとき被治者は長期的には権力者に逆らうかも知れないし、少なくとも積極的に権力者が望む方向に動いてはくれない。それに対して、ダム計画推進へと地元住民を態度変容させた国土交通省(旧建設省)は高次な権力行使を行ってきたことが分かる。英語のsubjectという語には「主語」「主体」という意味とともに、「服属」「臣民」という正反対に見える意味がある。subjectという言葉自体に、自律的な意思をもつはずの主体が、いつのまにか誰かに従属する意思を内面化するという過程が埋め込まれているのだ。いな、その逆かもしれないが、このあたりの哲学的な議論は専門書に譲ろう 4 。いったんsubjectになった住民は、権力意思を自ら推進してくれるので、節目節目でアメとムチを行使したりする面倒はなくなるし、万事につけ話が早くなる。社会学者の町村敬志は、このように地域住民が開発計画を自分のなかで納得し、国家意思の代理人(agent)として計画推進を訴えるようになる現象を開発の「主体化」(subjection)と呼んでいる(『開発の時間 開発の空間』東京大学出版会、2006年)。
3 M. Weber, 清水幾太郎訳『社会学の根本概念』岩波文庫、原著1922. 訳書の正確な表現では、権力とは「或る社会関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性」(p.86)である。
4 J. Butler, 1997, The Psychic Life of Power: Theories in Subjection, Stanford University Press.
こうして八ッ場の地元では、ダム建設を「主体化」した人々こそが、「計画撤回」を打ち出した前原大臣に抗議していると理解できる。親子や地域の人間関係を壊し「開発を主体化」して一生に近い時間が費やされたあげく、梯子を外された。権力を行使する立場にいる人間は予め十分な情報を集め、段取りを熟慮してから決断を下さなければならない。この件に限らず鳩山政権には、そのように重大な力を行使しているのだという覚悟が窺われない瞬間が見え隠れしていたと、私は感じている。
しかし、急いで付け加えると、八ッ場ダム問題の本質は、自民党が悪いとか民主党が悪いとかいう次元を超越している。政権交代が仮になかったとしても、財政的理由や環境変化などを理由に1990年代頃からダム事業が中止される事例が続出するようになっており、八ッ場がいつまでも例外であり続けられたかは分からない。ローカルな地域に対して巨大すぎる国家権力は、外部要因によって「君子豹変」(?)し、突然ローカルを裏切るような恣意的な性質を、つねに持っている。国家権力は独自の意思と都合と論理を持つのであって、つねに約束を守ってくれる守護者だとか、天網恢々疎にして漏らさず、望みを実現してくれると期待するのは幻想である。政治学の教科書にあるように、多数の利益を少数の政策に「集約」する営みが、あるいは希少資源を配分する上での権威づけをするのが政治なのだから、国土内に存在する全ローカル世界の利益が完全に実現されることはない。さらに、利益集約や権威づけの優先順位は、可変的である。政権交代が頻繁に起きていれば、人々はそのことを学んでいただろう。しかし、この半世紀ほど、この国では国家意思を体したプロジェクトは非常に高い確率で実現してきたから(政策遂行過程に強い一貫性があったから)、人々はある意味、「裏切られる」経験を持っていないのである。
逆にいうと、権力は豹変するものだからこそ、それを統制するために市民参加や権力分散が必要だと理解しやすくなる。ダム建設をめぐる権限が地方自治体に分散されていれば、もう少し細やかに環境変化に対応できたのではないか。ダム建設を決定・遂行していく過程で、多様な立場の市民が関与したり情報共有したりするプロセスがあれば、42年間の途中で軌道修正することもできたのではないか。戦後日本において、ダムを含む広義のエネルギー関連政策は、決定過程においても執行過程においても、参加の回路や権力分散の手段を欠いていたといえる。こうした状況の中で立地先として選ばれてしまったローカルな生活世界は、国家権力に翻弄される宿命を潜在的に背負っていたと言える。20世紀後半には、この宿命が「開発の主体化」によって、単に覆い隠されていただけとも理解できる。
外部から巨大投資を導入して、地元がコントロールできない巨大施設を作ることではなく、意思決定の分権化の道筋をつけ、地方自治と住民の知の力を発揮させる環境をつくることに、成熟社会の国家権力は目標を変えなければならない。21世紀において、この順番を間違えると悲劇が繰り返されるだろう。