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服部 龍二

服部 龍二 【略歴

教養講座

歴史研究の地平

日中歴史認識とオーラル・ヒストリー

服部 龍二/中央大学総合政策学部教授
専門分野 日本政治外交史、東アジア国際政治史

過去と現在

 国際政治や外交の歴史を研究し始めてから、早いもので20年近くの歳月が刻まれようとしています。学界では国際政治史ないし外交史と呼ばれる領域ですが、なじみのない方も多いかもしれません。

 大まかにいえば、近現代史を研究しているということになります。最初の著作は、『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)でした。

 それにしても、歴史研究にはどのような可能性があり、歴史的アプローチを重視する意味はどこにあるのでしょうか。 およそきわめて現代的とされる事象でも、そこには過去の経緯が錯綜しており、歴史が積み重なって今日に至っています。現在のことを知るためにも、歴史に対する理解を深めたいものです。

 一見すると無味乾燥な史実であっても、知識を深めていくにつれ、実に多くの解釈がありうることに驚かされます。現在を理解するために過去を学び、過去を知ることで現在もみえてくるようです。

人間を描くということ

 国際政治史と対極的なアプローチが伝記的研究でしょう。国際政治史が俯瞰的に世界を見下ろすのに対して、人物研究は文字どおり個人に焦点を絞り、内面から人間を描こうとします。

 私がいままで研究してきた人物は、外交官の幣原喜重郎や広田弘毅です。いずれも外務大臣や首相を歴任していますので、日本の対外関係を語るうえで重要な存在といえます。いつの日か、別の人物についても評伝を書いてみたいと思います。

 伝記的な研究に取り組むようになったのは、自分の研究に対する反省でもありました。それまでは、各国の外交文書などを用いるマルチ・アーカイヴァル・アプローチという手法で国際政治史を研究していました。 上からの目線で歴史をたどってばかりいると、地をはうようにして現場を奔走した政治家や外交官のまなざしを見失いがちになってしまうようです。

 しかしながら国際政治とは、個々人による営為の絶え間ない相互作用にほかならなりません。その意味で国際政治史と評伝の双方をこなせるのが理想なのでしょうが、道はどこまでも遠く、ますます険しくなっているというのが実感です。

歴史認識

 近年では、歴史認識についても研究課題としています。日中間における歴史認識の乖離を象徴するものとして、とりわけ「田中上奏文」を研究してきました。

 「田中上奏文」とは、昭和初期に田中義一首相が昭和天皇に宛てたとされものです。日中関係史上おそらく最も著名な怪文書でしょう。その内容は中国に対する侵略計画であり、日本では偽造とされますが、中国では本物と見なす傾向にあります。

 歴史好きの方であれば、「支那を征服せんと欲せば、先づ満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ず先づ支那を征服せざるべからず」という不気味なその書き出しをご存じかもしれません。

 「田中上奏文」は満州事変後の国際連盟でも議論となっており、とりわけ国際連盟における松岡洋右と顧維鈞の論争がよく知られています。顧は中国の著名な外交官でした。日中戦争から太平洋戦争にかけて、「田中上奏文」は中国のみならずアメリカによっても宣伝材料に用いられ、フランク・キャプラ監督の戦時プロパガンダ映画にも登場します。

 「田中上奏文」は東京裁判でも審理されており、『人民日報』などにも史実であるかのように引用されてきました。中国の博物館では、いまでも本物として展示されることもあります。

情報戦としての国際政治

 「田中上奏文」に歴史の教訓があるとするなら、それは国際政治における情報戦の重要性ということかと思います。「田中上奏文」が示唆するのは、現代政治における宣伝とメディアの巨大な役割にほかなりません。日本は太平洋戦争に敗北しただけでなく、対日イメージをめぐる宣伝でも敗退したといわねばならないようです。

 戦時下での情報戦、そして戦後への長期的な影響力を想起するなら、世界中に流布された「田中上奏文」は単なる数奇な運命としてのみ片付けられません。数奇にみえたとしても、その背後には宣伝とメディアの存在があるのです。

 偽造文書や俗説でも、一度外国に流布されてしまえば否定するのは難しいものです。明らかな偽書でも対日観の形成に利用されうるし、そもそも「田中上奏文」を偽書だと見抜けるような日本通はアメリカ国務省にすらほとんどいなかったのです。

 不用意に歴史問題の真偽論争に挑めば、その主張が妥当であっても宣伝に逆用されることもあります。事実関係とは別に情報戦という次元が国際政治にはあり、そのことが諸外国の対日観を左右するのでしょう。

 少なくとも「田中上奏文」に関する限り、歴史認識の裏側には情報戦があったといわねばならないようです。80年以上も前から流布され続けた「田中上奏文」は、国際政治における宣伝と情報の重みをいまに伝えているのかもしれません。

日中歴史共同研究

 小泉純一郎内閣のときに中国や韓国との関係がこじれたこともあり、2006年から日中歴史共同研究が行われました。私も外部執筆委員として参加させていただき、「田中上奏文」を含む1章を執筆いたしました。報告書は2010年1月に公表されています。

 日本では、一笑に付されがちな「田中上奏文」ですが、歴史研究の観点からするなら、明らかに偽造の「田中上奏文」が諸外国で本物と信じられやすく、日本と乖離が生じるのはなぜかと自問すべきではないでしょうか。

 「田中上奏文」がもたらした長期的な影響力に鑑みれば、著作が1冊ぐらいあってもよいように思います。拙著『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)を執筆した意図もそこにあります。

オーラル・ヒストリー

 歴史認識と並んでここ数年、オーラル・ヒストリーに力を入れています。ここでいうオーラル・ヒストリーとは、政治家や外交官など政策の当事者から直接にお話を体系的に聞いていくことです。政治過程や人的関係、対外観などは、公文書からはなかなか伝わりにくいものです。

 その成果として、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳―その人と外交』(第一法規、2010年)を刊行しました。元運輸大臣で、大平正芳の女婿、秘書官としても知られる森田氏へのオーラル・ヒストリーです。

 もともと大蔵官僚の森田氏ですが、大平の秘書官を長年務めていました。大平が首相在任中の1980年に急逝すると、森田氏は香川の地盤を引き継いで政治家に転じます。主に外交面から大平を存分に語っていただいたのが、『心の一燈』にほかなりません。今年は大平没後30年であると同時に、生誕100年でもあります。

 『心の一燈』では、2度の外相や首相期における大平の外交や地域秩序構想、さらには日米「密約」について、側近中の側近ともいうべき森田氏に大いに論じていただきました。その日米「密約」とは、日米安保改定時の「核密約」と、沖縄返還における「財政密約」を指します。

 ライシャワー駐日アメリカ大使から「核密約」について説得を受けた大平は、「核密約」を国民に知らせるべきではないかと長く苦悩し、首相期には側近に公表を打診します。一方の「財政密約」とは、沖縄返還に際して日本が400万ドルを肩代わりしていたもので、森田氏は大蔵官僚として関与していたことをありのままに語っています。

 内政面でも、大平の描いた国家像、田中角栄ら有力政治家とのやりとり、宏池会の系譜、「加藤の乱」などについて、生き生きと述べられています。

歴史研究の地平

 どこまでやれるか手探りの段階ですが、伝記的研究や歴史認識などとともに、オーラル・ヒストリーも少しずつ続けられればと思います。研究の手掛かりを後世に残したいと考えています。

 つい先日も、ある元総理大臣や元外務次官に聴き取りを終え、刊行の準備を進めているところです。オーラル・ヒストリーは概して数名で実施するため、ほかの研究者からも多くを学んでおります。

 大平が外相として手掛けた日中国交正常化についても、深められないかと考えています。インタビューを重ね、情報公開請求を行うなどしながら、歴史研究の地平を追ってみたいと思います。

服部 龍二(はっとり・りゅうじ)/中央大学総合政策学部教授
専門分野 日本政治外交史、東アジア国際政治史
東京都出身。1992年、京都大学法学部卒。1997年神戸大学大学院法学研究科単位取得退学。同年、千葉大学助手。拓殖大学助教授、中央大学准教授などを経て、2010年から現職。博士(政治学)。 主著に、『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)、『幣原喜重郎と二十世紀の日本―外交と民主主義』(有斐閣、2006年)、『広田弘毅』(中公新書、2008年)『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)。

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