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トップ>研究>シナイ半島の聖カテリーナ修道院に残るアラビア語の古文書

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松田 俊道

松田 俊道 【略歴

教養講座

シナイ半島の聖カテリーナ修道院に残るアラビア語の古文書

―中世エジプト史研究の貴重な史料―

松田 俊道/中央大学文学部教授
専門分野 中世エジプト史

シナイ半島と聖力テリーナ修道院文書

 日本史の分野では歴史研究を行う際に、各地に残っている古文書を利用するのは普通のことである。しかし、中世のイスラーム世界においては、歴史研究の史料となる古文書がそれほど多くは残されていない。ところが、エジプトのシナイ半島に位置する聖カテリーナ修道院には比較的まとまった量の古文書が長い間保存されていた。この文書はなぜここに残されていたのであろうか。聖カテリーナ修道院はシナイ山の麓に位置しており、モーセが十戒を授かった場所として古来信者の訪問は絶えることがなかった。西暦六世紀にはビザンツ皇帝ユスチニアヌス帝の命により現在の姿のような要塞化された修道院が出来上がった。その後ここは東方のキリスト教の信仰の拠点であるとともにキリスト教の学問研究の拠点の一つでもあり続けた。

 エジプトは7世紀の半ばにアラビア半島からやって来たアラブの軍隊に征服され、以後イスラーム政権によって支配される。しかし、修道院はイスラーム政権によって手厚く保護されていた。それは、かつてイスラームの預言者ムハンマドが聖カテリーナ修道院に盟約書を与えて修道院を保護したことによる。その盟約書のオリジナルは後にカリフとなるアリーによって起草され、ムハンマドの手によって押印されたものと言われているが(修道院の歴史を記した写本には、エジプトを征服したオスマン朝のセリム一世がオリジナルをイスタンブルに持ち帰り、そのコピーを修道院に残したと記されている)、修道院や修道士の保護を約束している。それゆえ、エジプトを支配した歴代の支配者たちはこれにならって修道院を保護する布告を数多く発布したのである。

ワクフ文書

ワクフ文書

 聖カテリーナ修道院の運営はワクフ財(寄進財産)によって支えられていた。キプロス、クレタ、ギリシアなどのキリスト教世界、そしてエジプトやシリアのイスラーム世界の建築物や土地などの不動産が修道院の運営のためのワクフ財に設定され、そこから上がる収益が運営のために使用されていた。トゥールやガザ、カイロのギリシア正教徒の街区内の不動産が比較的多くワクフ財に設定されていた。これらのワクフ財の設定はワクフ文書と呼ばれる文書に詳細に記されていた。それはイスラーム法の寄進財産設定の既定に基づき、裁判官や公証人の手を経て記された文書であった。その一部はイスラームの法廷に保存され(現存はしていない)、一部は修道院に保存されていた。

 また、修道院はシナイ半島南部の交通の拠点トゥールから内陸に入ったところにあり、周辺には遊牧民のいくつかの部族が暮らしていた。これらの遊牧民の部族は、修道院と協約を結んで修道院の食料や塩などの物資の運搬や警護などを請け負っていた。このため、以下に述べるような修道院の権利を証明するようなさまざまな文書が修道院に保管されたのである。

 また、聖カテリーナ修道院の図書館には、アラビア語、ギリシア語、シリア語、コプト語など12カ国語で書かれたおよそ3,300冊の古写本が残されている。これらのコレクションはバチカンの図書館に次ぐ重要なものとされている。これらの中には『シナイ古写本』と名付けられた四世紀のギリシア語の聖書、5世紀のシリア語の福音書、9世紀にアラビア語で書かれたキリスト教の聖者伝などが含まれている。これらの古写本にアカデミックな光が当てられるようになったのは19世紀になってからである。ティッシェンドルフは1844年から3回修道院を訪問し、啓典類の調査を行った。前述の『シナイ古写本』を見出したのも彼である。彼はそれを借用してセント・ペテルスブルグに持ち帰った(彼は必ず返還する旨を記した借用書を残している)。しかしそれは、第一次世界大戦後に大英博物館に10万ポンドで売却され現在に至る(現在は大英図書館にSinai Codexと名付けられて展示されている)。

聖力テリーナ修道院文書研究

 聖カテリーナ修道院文書は、羊皮紙や紙に記されている。アラビア語古文書の総数は1,072文書である。その内訳は以下の通りである。

  • 1.預言者の盟約書
  • 2.ファーティマ朝カリフからマムルーク朝に至るスルターンの布告
  • 3.十六世紀末までのオスマン朝の勅令
  • 4.協約
  • 5.ファトワー
  • 6.法文書
  • 7.報告書
  • 8.総督あての行政命令書
  • 9.諸事件記事
  • 10.書簡
  • 11.財産目録
  • 12.会計書
  • 13.請求書
  • 14.領収書
  • 15.補遺

これらの文書を利用して中世エジプト史研究がこれまで行われてきたが、以下のようなことが明らかにされてきた。

(1)イスラーム国家は宗教の異なる人々をどのように支配したか

 国民国家による支配が確立する以前、宗教や民族の異なる人々はどのように支配されていたのであろうか。イスラーム国家は基本的にはイスラーム法に基づき支配を行った。領域内のキリスト教徒やユダヤ教徒は、イスラーム法ではズィンミーあるいはアフル・アッズィンマ(契約の民)として取り扱われていた。それは、イスラーム政権とズィンマ(生命財産の安全保障)の関係を結ぶ者を意味する。彼らはまた、啓典の民(アフル・アルキターブ)とも呼ばれた。彼らはイスラーム法の下でズィンミーとして国家の保護を受け、ある種の権利を享有することができた。

 イスラーム国家の政治理念は、その支配者がカリフであり、イスラーム法に基づき支配を行うが、国家の内部の異教徒にもできる限りの自由を与えるというものであった。たとえば、中世のエジプトを支配したマムルーク朝のズィンミーに対する公式の立場は、支配者であるスルターンの布告に見ることができる。布告には、「彼らの保護された立場は永久に続くし、イスラームの保護によって彼らの安全は守られる」。あるいは、「イスラームの支配とイスラーム法の規定に従って」というような表現が見られる。スルターンが発布した布告の中には、修道士たちがこうむった不利益をスルターンに直訴し、それに対する答えとして発布されたものもある。これはマムルーク朝時代の直訴の実態を現す史料でもある。

(2)イスラーム法は実際にはどのように適用されていたのか

 アラビア語の文書のなかで、キリスト教徒の地位を知る上で重要なのは法文書である。法文書には売却文書、抵当文書、ワクフ文書、債権文書、イクラール文書、イスティブダール文書、ファトワー文書などがある。法文書の大半は、売却・購入文書やワクフ文書などに見られるように不動産の移転を記したものである。それらの移転は、イスラーム教徒からキリスト教徒、またはその逆という異教徒との間で行われる例は少なく、キリスト教徒同士で行われるのがほとんどであった。

 ワクフは一般的にはイスラーム教徒の寄進制度として広く普及したものであるが、修道院に残された文書からは、イスラーム世界に暮らすキリスト教徒もまた教会や修道院の運営のためにワクフを設定していること、その際、イスラームの裁判官によってそのワクフが認可されていることがわかる。

(3)公証人の役割

 これらの法文書を作成したのは主として公証人であった。公証人は様々な証言を行ったり、法に関する相談を受けたり、裁判官と共に法文書を作成したりして一般民衆の日常生活にイスラーム法が適用される際に重要な役割を果たした。その際、公証人はシュルートと呼ばれる範例集を参照した。シュルートには公証人が文書を作成する際に実際にどのようにイスラーム法を適用し、文書を起草すべきか、想定される様々なケースが範例として示されている。たとえば、売買契約文書を書く際には、シュルートには多数の売買契約書のモデルが含まれているため、公証人はそれらの中から必要なものを選び出し、それをもとに必要事項を記入し、証人の署名を付けて契約文書を作成したのである。

 したがって、日常生活のなかで行われる法律上のことがらについて、多くの人は公証人のもとに出向きアドバイスを受けたのである。かくして、公証人は社会のなかでイスラーム法と民衆とを結びつける役割を担ったのである。

(4)ズィンミーの日常生活

 ズィンミーは政治的には差別をこうむったが、日常の社会生活においては、さまざまな社会活動や、経済的行為においてもイスラーム教徒と共通するものがあった。彼らはイスラーム教徒と共に社会的な共同作業にも平等に参加した。水利事業、たとえば水路や運河の開削、灌概土手の建設などにはズィンミーも参加した。建設に必要な資金は特別税としてズィンミーをも含めた民衆から徴収されたほか、モスク、修道院、教会からも徴収された。

 以上のようなことから、日常生活においては、信仰が異なることを別にすれば、ズィンミーとイスラーム教徒との共存関係を見ることができる。イスラーム法は理論上、ズィンミーと個々のイスラーム教徒およびイスラーム国家との関係にのみ適用され、個々のズィンミーと他のズィンミーとの関係には適用されることはない。しかし実際には、売買契約文書に見られるように、ズィンミーとズィンミーとの間でも、またズィンミーとイスラーム教徒との間でも売買が自由に行われ、イスラーム法に則って契約が交わされていたことがわかる。

 聖カテリーナ修道院文書は、何世紀にも亘ってしかもある程度まとまった量で修道院に保存されてきた。これまでこの文書は、イスラーム法制度史研究、ズィンミーのあり方をめぐる研究などに利用されてきたが、まだその全体が研究されたわけではなく、今後の研究が期待される。

松田 俊道(まつだ・としみち)/中央大学文学部教授
専門分野 中世エジプト史
1952年千葉県香取郡生まれ。博士(史学)(中央大学)。1992年中央大学大学院文学研究科博士課程中退。1995年中央大学文学部専任講師、同助教授を経て、2002年より中央大学文学部教授。
専門は中世エジプト史、特にマムルーク朝時代の歴史研究。アラビア語の古文書研究。イスラーム文明と西欧文明が邂逅した地中海世界に関心がある。
主要著書に『聖カテリーナ修道院文書の歴史的研究』(中央大学出版部)などがある。チェロをたしなむ。