加藤 俊一 【略歴】
加藤 俊一/中央大学理工学部教授
専門分野 感性情報学、感性工学、コンピュータビジョン、ヒューマンインタフェース、マルチメディアなど
ある時には、壮大な景色を見て感動し、音楽に耳を傾けて癒され、また、元気づけられ、融通の利かないコンピュータに腹を立て、友人との話に関心もし、また、反発もする。感性とは、他の人やモノから受け取った様々な情報を自分が主観的に解釈し、また、他の人やモノに自分の主観的な考えに基づく働きかけをする、「主観」を司る仕組みである。その人の個性を特徴づける仕組みと言ってもいいだろう。
20世紀の大量生産・大量消費の社会では、「高い品質のモノや情報を大量に安く生産する」ことが重要な産業技術だった。ここでは、消費者一人一人の感性の違いには目をつぶり、平均的な人間を想定していた。しかし、21世紀に入る頃にこれらの技術は成熟し、いまや、一人一人の感性にマッチしたモノ作り・情報提供をしなければ、消費者は価値を感じなくなってきた。
一人一人の消費者に魅力的なモノ作り、魅力的な情報提供を実現するための大事な視点が「感性」であり、これを支えるための科学技術が「感性工学」である。
では、一人一人の感性の違いは、どこに現れるだろうか? これを考えるヒントは、機械的な仕組みの塊であるロボットとその科学技術(ロボティクス)である。
ロボットは、人間の行けないところで、人間の代わりに、自律的に、観察し、考え、判断し、行動するための仕組みとして発展してきた。そのロボットの情報処理の基本的な機能は、「対象観察」、「状況観察」、「知識ベース」、「意志決定」、「行動」である。
我々は、人間が主観的に行う情報処理の基本的な機能を、ロボティクス的な観点から整理して、各機能に、「個人による違い」を持たせる仕組みを考案してきた。(写真1)
写真1 ロボティクスの考え方による感性のモデル
(a) 知覚感性: 五感を通してモノやメディアから受ける情報を、物理→生理→心理→認知の各段階を経て、主観的に知覚する過程。例えば、絵画や音楽に対する嗜好の違いは、各段階を経る過程で、情報のある部分に人により異なった重みづけ・取捨選択がなされるためと考えられる。
(b) 状況感性: その人がおかれている状況を、主観的に解釈する過程。たとえ同じ時に同じ場所にいても、それぞれの人の普段の生活やその日の行動の履歴の文脈に基づいて考えると、異なった状況を感じ取っていると考えられる。
(c) 知識感性: その人の頭の中で概念や言葉を整理して関係付ける過程や、知識ベース。一人一人の興味関心の違いによって、例えば、ボキャブラリーの集合やその分類・整理の仕方が異なっていると考えられる。
(d) 行動・表出感性: 身体や多感覚情報を通して外界に向かって具体的に行動し、また、情報を表出する過程。例えば、カラオケやゴルフのスイングなどの技能のうまい・ヘタの違い、買い物時のじっくり型・せかせか型の行動パターンの違いなど、動作のクセ(ルール)の違いによると考えられる。
さらに、これらをつなぐ役割に相当する、
(e)意図感性: 内面的に持っている目標に基づいて、感じているイメージや状況の解釈(入力)から、行動・表出(出力)を選択する過程。ライフスタイルの違いが、入力と出力の対応付けの違いに相当すると考えられる。
知覚感性のモデル化に関しては、視覚・聴覚だけでなく多くの神経節にも見つかっている神経回路として、刺激の同時入力に関わる側抑制回路などに注目し、これらの機能を組み込んだ特徴抽出、および、学習アルゴリズムを開発している。
特に視覚刺激の検出から初期視覚過程に相当すると考えられる段階までの過程では、我々は、側抑制回路を高次の局所的コントラストとして数理的にモデル化し、これを生理的なレベルでの画像特徴とする特徴記述の手法を開発した。
この仕組みを感性の生理的レベルに相当する類似画像検索や、心理レベルに相当する主観的な分類基準の学習や類似検索に応用し、約14,000枚の画像データに対する評価実験を通じて、80%以上の精度で人間と同等の類似性の判断を示すなど、その有効性を実証した。(写真2)また、認知レベルに相当するイメージ語との結び付けでは、十分な教示データの組(絵画の画像とその主観的なイメージ語)を与えれば、90%以上の精度で、その人と同じイメージ語を「感じる」判断を示せるようになった。(写真3)
写真2 例示画像の題材の自動判別と類似検索の結果
写真3 感性検索(印象語:フレッシュでクリア) (参考)オンラインデモ
情報通信技術の小型化・低廉化により、普通の生活空間の中に多様なコンピュータやセンサー群を埋め込むことができるようになりつつある(ユビキタス情報環境)。しかし、そこで、普通の生活者が、「融通の利かないコンピュータの仕組みを理解して、使いこなすことを強要される」ようでは、便利さを十分に享受することはできない。
例えば、今までの情報システムのように、消費者が、情報システムから投げかけられる質問に対して、直接、そのインタフェースに向かって回答することが強要される形式では、そのインタラクションの回数が多い分だけ消費者への身体的・心理的な負担が大きく、また、生活空間内での自然な行動が阻害される可能性もある。
現実の生活空間に、一人一人の感性的特性を動的に計測・記録・分析するメカニズムを埋め込んだ情報環境を重畳させて、また、その時・その場で利用者に必要な情報サービスを提供するような「控えめな情報環境」であることが、「価値観の感じられる」「機械に対するストレスを感じない」生活を支える上で重要となってくる。
我々は、感性のモデル化と感性的なサービスを連動させつつ、効率よく人間の生活や活動を支援する環境(強化生活圏 Augmented Live Sphereと呼んでいる)の実現にむけて、感性工学からのアプローチを展開している。
我々の実験室「電脳ショップ」には、人間の位置の移動、身振りなどの時間変化を検出するために約50台のモニタカメラと画像処理装置、RFIDリーダー、人間の五感に対して種々の刺激・情報提示を動的に行なうための据置型・携帯型の情報提示装置群を空間内に分散配置している。
消費者にとって自然な状態とは、情報システムに応答することを強要されないことだ。でも、もし、店内で興味を引くような商品を見つけたり、情報が提示されれば、その消費者は、自然と足を止めて商品を手に取ったり、モニタ画面を見たりするだろう。一方、関心がなければ、無視して通り過ぎるだけである。
我々の電脳ショップでは、消費者の行動を追跡することによって、消費者の関心の対象やその度合いが、行動を通じて観測・記録される。これによって、消費者自身は、直接的に情報システム指示・応答する必要なく、自然に振舞うだけで、システムに間接的に主観的な情報を教示していることになる。
現時点では、電脳ショップ内の15分~30分程度の散策で、その消費者のショッピングの行動パターンの類別、興味を持ちそうな商品の特性(例:衣類の色、デザイン、素材など)の推定が、それぞれ70%、80%以上の精度で実現できるようになった。(写真4)
写真4 電脳ショップでの消費者からの行動抽出
我々は、感性工学の新しいチャレンジとして、一人一人異なる個性を持つ人間が、情報環境との自然な相互作用をとおして、メリットを享受できる生活する空間(共生的生活空間)の実現を目指している。
このような研究は、単に、感性工学やロボティクスのイノベーションだけでは進展しない。これらのコア技術の融合化と共に、生活空間におけるニーズに対する支援を最適に分析・構成・提供する技術、情報基盤・社会基盤としてのシステム化技術、環境への埋め込み技術、運用技術、さらには、個人情報の保護と利便性のトレードオフをどう解決するかなどの法律的な検討、新しい社会観の提案などを総合的に進める必要がある。
「人間のあり方」にまで技術が目を向けるようになってきたともいえる。20世紀型の技術イノベーション偏重の研究開発のスタイルから、21世紀型のソーシャルイノベーションまでを視野に入れた考え方・取組方が求められるようになったといえよう。