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トップ>研究>最初の一語―なぜ母親は「ママ」、父親は「パパ」なのか―

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増田 桂子

増田 桂子 【略歴

教養講座

最初の一語

―なぜ母親は「ママ」、父親は「パパ」なのか―

増田 桂子/中央大学商学部准教授
専門分野 言語学・音声学

1.はじめに

 誰にでも赤ちゃんの時があり、まったくことばが話せない状態から、少しずつ母語を獲得していきます。生まれてすぐは泣くだけだったのが、「ウー」「アー」などの音を出すようになり、1歳頃には単なる音ではなく意味のある語を発するようになります。我が子が初めて「ことば」を発したときのことは、喜びとともによく覚えている親御さんが多いと思います。さて、その最初の「ことば」は何だったでしょうか。「ママ」だったという人がおそらく多いのではないでしょうか。では、他の言語を話す子どもは、母親や父親のことを何と呼ぶのでしょう。

2.母親は[mama]、父親は[papa]

 世界の言語は起源(祖語)を同じくすると考えられる、語族といういくつかのグループに分かれています。例えば、英語、ドイツ語、フランス語など、ヨーロッパの言語は多くがインド・ヨーロッパ語族に属しており、アラビア語やヘブライ語はアフロ・アジア語族、中国語(北京語)やタイ語はシナ・チベット語族、といったように分かれています。同じ語族に属する言語は、起源を同じくするとされているので、互いに似た音や語、文の構造を持つ傾向にあります。一方、異なる語族に属する言語では、借用語(外来語)である場合や偶然から音や語などが似ることはありますが、それはごく限られた範囲でしかありません。しかし、この「母親」と「父親」の幼児語にかぎっては、非常に似たパターンの音韻構造の語を持つ言語が、語族を超えて多く観察されるのです。ちょうど50年ほど前、人類学者のマードックがこの事実を報告し、さらに言語学者のヤコブソンが、その観察に対する仮説を発表しました。以下に簡単に紹介しましょう。

 興味深いことに、世界の多くの言語において、幼児語で母親を指す語は「ママ [mama]」「ナ [na]」「アマ [ama]」など、[m]または[n]という子音と、口を比較的大きく開けて発する母音の組み合わせであることが多いとされています(図1)。一方、父親を指す語は、[p]または[t]という子音と、同様の母音の組み合わせが多いとされています(図2)。異なる歴史を持つ言語において、これほど似た傾向がみられるのはなぜでしょうか。

図1

図1:「母親」を表す幼児語の音(標本数:474言語コミュニティーより531)(出典:Murdock, G. P. (1959) “Cross-language Parallels in Parental Kin Terms.” Anthropological Linguistics, Vol. 1, No. 9. pp. 1-5.

図2

図2:「父親」を表す幼児語の音(標本数:474言語コミュニティーより541)(出典:同上)

3.言語の獲得~1歳頃まで

 これは、子どもの言語音の獲得に関係していると考えられます。音声を発声するときに肺からの空気が通る部分、声帯から口唇までの空洞を声道と呼びますが、新生児の声道は未発達で、大人の声道とはかなり異なっています。生後6~8ヶ月頃からだんだん大人の声道に近づいていきます。例えば、「つめたい」を「ちゅめたい」と言ってしまうように、小さな子どもが、特定の音や音の連続をうまく発音できないのは、発声器官が未発達だからだといえます。

 個人差はありますが、子どもは生後6週目頃から母音のような音を発するようになり、4~5ヶ月頃には [ma] [bubu] といったような、[子音]+[母音]から成る喃語(なんご)と呼ばれる音の連続を発するようになります。最初は [ba] のような1音節から始まり、次第に [ba] [bababa] というように、反復した音節が現れるようになります。この段階では、発声する音が何かを指しているわけではありません。そして1歳頃になると、特定のものを指すのに一貫して同じ音(の連続)を使う、つまり「語」を発するようになります。

 大人は小さな子どもに話しかけるとき、子どもが理解しやすいように幼児語といわれることばを使います。幼児語は、大人たちが勝手につくるものでも、子どもだけで内発的に生み出すものでもなく、子どもと大人との双方向のやりとりを通して確立されるものです。したがって幼児語は、子どもの発話における発達の特徴や傾向を反映します。つまり、子どもにとって発音しやすい音や音の組み合わせを多く有することになるのです。幼児の日常において最も重要な存在である親を指す語は、なかでも特に発音しやすい音や構造である必要があるといえるでしょう。

4.言語の音声

 子どもにとって発音しやすい音を考える前に、言語の音声について簡単に説明します。言語音は、大きく母音と子音に分けられます。母音は、日本語の「アイウエオ」に代表される音で、声帯の振動を伴い、肺からの空気の流れが、声道を通る際に妨害されることなく、口から外に出される音です。母音の種類は、舌の位置および状態、唇の形などによって決められます。「ア、イ、ウ」とゆっくり発音してみてください。「ア」では口が大きく開き、舌が低い位置にあったのが、「イ」になると舌の位置が高くなり、口角が左右に引っ張られます。さらに「ウ」になると唇がすぼまり、「イ」のときと比べて舌の位置が相対的に後ろになります。母音は、舌の位置によって、上下方向には高母音、中母音、低母音、そして前後方向には前舌母音、中舌母音、後舌母音に分けられます。「イ」の音は前舌高母音ということができます。

 子音は、空気の流れが声道にて妨害を受ける音です。例えば、破裂音または閉鎖音と呼ばれる音(例 [p, b, t, d, k, ɡ])は、空気の流れをいったん止めてから解放することで作られる音です。また、[s, z, ʃ]といった摩擦音は、空気が舌と口腔内の部分で作られた狭い隙間をこするようにして出る音です。他にも、破擦音([ʧ]など)や流音([r, l]など)といった子音があります。[m, n]は子音に分類されますが、これまでに紹介した他の子音や母音とはやや異なった特徴を持っています。これらは鼻音と呼ばれ、肺からの空気が口腔ではなく鼻腔を通り、鼻から外へ出る音です。

 子音は声帯の振動の有無(有声か無声か)や空気を妨害する方法(調音法)だけではなく、声道内のどの位置で妨害されるか(調音位置)によっても分類されます。例えば、[p, b, m]は上下両方の唇を使います(両唇音)。[t, d, s, z]などは舌先と上の歯の付け根の裏側もしくはそのすぐ上の歯茎を使います(歯茎音)。[k, ɡ]は舌の付け根のほうと軟口蓋と呼ばれる口内の天井部の奥を使います(軟口蓋音)。これらすべてを用いて分類すると、例えば[p]は無声両唇閉鎖音となります。

5.子どもが発音しやすい音・構造

 それでは子どもにとって発音しやすい音・構造とはどのようなものなのでしょうか。

 まず、構造に関しては、喃語の段階で多くみられるように、[子音]+[母音]の組み合わせが発音しやすい構造であると考えられます。日本語の音の基本単位である拍(モーラ)がちょうどこれにあたります。喃語には、英語のstreet [stri:t]という語の語頭にみられるような子音の連続はまず観察されず、語末が子音で終わる音節も比較的少ないことが、研究によってわかっています。連続子音を持たない日本語の話者のなかには、英語の[stri:t]を[sutori:to]と母音を入れて、つまり日本語の音の構造にして発音してしまう人が多くみられますが、いくら外国語とはいえ、発声器官が発達した大人でさえうまく発音できないのですから、これらが子どもに発音しやすい構造ではないことが想像できるでしょう。

 次に音を考えてみましょう。母音については、同じく喃語段階で圧倒的に多く観察されるのは中母音~低母音で、高母音はほとんど現れないようです。日本語でいうと、「ア、エ、オ」にあたります。大人がため息をつくときなどに無意識に出す音は、「ア」に近い母音が多いのではないかと思いますが、これは口の周りの筋肉や唇、舌などに力の入っていない、楽な状態で発音されているかと思います。疲れた1日の終わりに湯船に入ったときに、ついつい発してしまう声を想像してみてください。大人が楽に発音できるこの音は、子どもにとっても発音しやすい音といえます。

 子音においては、喃語段階での出現頻度をみてみると、頻度が高い順に、[m] = [b] > [p] > [d] > [h] = [n] > [t] ... と続くとされています。子どもが子音を獲得していくプロセスは、概して、口の入り口付近から奥へと順に進むとされていますが、喃語には、調音位置でいうと両唇音や歯茎音、調音法でいうと鼻音と閉鎖音が多いのです。これらの音を、口の周りの筋肉や唇、舌の動きや緊張度を意識しながら発音してみると、その理由がわかるかと思います。とくに[m]は、口を閉じて鼻から空気を出すだけですから、非常に発音しやすいといえます。また、[b]や[p]も唇を開閉するだけです。これなら小さな子どもでも発音できるでしょう。

 こうしてみてみると、子どもにとって最も近く重要な存在である母親が、[発音しやすい子音]+[発音しやすい母音]の組み合わせである[鼻音]+[中母音または低母音]、すなわち[ma(ma)]で呼ばれる理由がわかるかと思います。同じく子どもにとって非常に重要な「食べ物、ごはん」が、日本語の幼児語で「マンマ」と呼ばれ、「ママ」と非常に似ていることは、興味深く感じられます。離乳するまでは、「母親=ごはん」であり、離乳後も食事を作り与えてくれるのは母親である場合が多いことと、どこかつながっているのでしょうか。

 では「父親」はどうでしょう。父親も子どもにとっては非常に近く重要な存在ですから、なるべく発音しやすい音が好まれるはずです。しかし同時に、「母親」を表す語とはっきり対照区別できるような音でないと、混乱を招くことになります。先述の喃語における子音の出現頻度から考えると、[b]を使いたいところですが、[b]よりも[p]や[t]が多く使われているようです。これはおそらく、[m, n]が有声音であるため、同じ有声音の[b](あるいは[d])は、無声音の[p, t]よりも[m, n]との区別がつきにくいからだと考えられます。こうして、「父親」を意味する語には、発音しやすく、かつ「母親」を表す語と明確に区別できる音が用いられているのです。

参考

Jakobson, R. (1960) “Why ‘mama’ and ‘papa’?” In Jakobson, R. Selected Writings, Vol. I: Phonological Studies, pp. 538-545. The Hague: Mouton.
Murdock, G. P. (1959) “Cross-language Parallels in Parental Kin Terms.” Anthropological Linguistics, Vol. 1, No. 9. pp. 1-5.

(提供:草のみどり第214号)

増田 桂子(ますだ・けいこ)/中央大学商学部准教授
専門分野 言語学・音声学
1971年生まれ。岐阜県出身。1994年上智大学外国語学部英語学科卒業。1998年ケンブリッジ大学大学院言語学科修士課程修了、2003年ケンブリッジ大学大学院言語学科博士課程修了(Ph.D.)。2004年より中央大学商学部専任講師、助教授を経て、現職。専門分野は言語学・音声学。特にオノマトペなどの音象徴を研究対象としている。