人ーかお

海上自衛隊法務官として

=法学研究科を修了した護衛艦乗り=

宮原伸行(みやはら のぶゆき)さん/1等海佐、海上自衛隊警務隊司令(前統合幕僚監部首席法務官)

はじめに

 私が中央大学での研修の命令を受けたのは平成7年の春、2等海尉(諸外国でいう海軍中尉)の時でした。この命令は形式的には法学部の聴講生として1年間研修せよというものでしたが、その間に準備して大学院を受験せよとの海上自衛隊としての意向が含まれていました。

 大学院を受験せよということはすなわち入学せよということであり、命令を受けたからには何としてでも合格せねばなりません。現在では大学院への入学方法に社会人入試という制度もありますが、当時はそのような制度はなく研究者養成機関である大学院に一般入試で合格し入学するしか方法はありませんでした。

 海上自衛隊に入隊後6年を経過していた私は命令により法律学に向き合うことになったのです。

1. 艦隊勤務から大学院へ

 私が海上自衛隊に入隊したのは平成元年の春であり、大学を卒業すると同時に広島県江田島にある海上自衛隊幹部候補生学校に入校しました。幹部候補生学校では、海上自衛官としての躾・基本・各種術科等、初級幹部自衛官に必要な能力を1年間かけて徹底的に叩き込まれます。そして卒業すると同時に3等海尉に任官し、練習艦隊に乗り組んで約半年間の遠洋練習航海に出発します。

 練習艦隊では大海原での実戦的な訓練により海上武人としての潮気を身に着けるとともに、世界各国の港々をめぐり他国海軍と交流することにより国際感覚を身に着けて、候補生時代と比べて1回りも2回りも大きく成長して日本に戻ってきます。帰国後は航空部隊での部隊実習を経て、初の実任務となる艦隊勤務に就くことになります。

 私は護衛艦隊旗艦「むらくも」砲術士(兼)甲板士官を皮切りに、「ゆりしま」船務長、「まきぐも」応急長と3隻の艦艇乗組を命ぜられ、その後、自衛艦隊直轄部隊に勤務しました。この時に中央大学での研修、すなわち大学院の受験を命ぜられたのです。命ぜられてから調べてみると大学院入試は秋であり、1年間あると思っていた準備期間はあと半年しかないことに愕然としましたが、早急に受験計画を立ててこれに臨みました。大学時代に行政法を専攻していたものの、6年ぶりの受験勉強は潮気が身に染みた船乗りにとってはかなり厳しいものであり、仮に大学院に合格したら得られるであろう2年間の自由を求めて、ひたすらやるべきことをやっていたように思います。

2. 中央大学大学院法学研究科

 6ヵ月間の努力が実ったのか、自衛官として培った勝利への執着心が勝ったのか、何とか法学研究科公法専攻博士前期課程に合格させていただきました。そして平成8年の春に、海上自衛隊から公法を専攻する大学院研修生の第1号として中央大学大学院へ入学いたしました。

 防衛省海上幕僚監部からは行政法と国際公法の両方を学ぶよう指示を受けていたため、大学院ではこれに沿ったカリキュラムを選択し、研修修了後の海上自衛隊勤務を見据えた研究に勤しみました。高度で緊密なゼミの議論の中で先生方からの熱いご指導を得て、今まで身に着けていたと思っていた法律学の知識が如何に浅薄なものであったかを思い知らされるとともに、大学院の仲間達から知的な刺激を日夜縦横に受けつつ、艦隊勤務とは違ったアカデミックな世界にどっぷりと浸かりました。

 中央大学大学院で過ごした2年間は、業務に必要な行政法や国際公法の知識を身に着けるという意味においても、またかけがえのない師と友人を得ることができたという意味でも、その後の海上自衛隊法務官として勤務する上でなくてはならない貴重な2年間となったのです。

3. 法務官までの道のり

 大学院を修了した私は、身に着けた法的な知識を発揮して組織に還元するため法務関連配置を希望しましたがそうとはならず、江田島にある海上自衛隊第1術科学校の幹部中級艦艇用兵課程を経て、護衛艦隊第1護衛隊群に当時の最新鋭護衛艦であった「はるさめ」の砲術長として着任しました。

 折しも能登沖不審船事案が発生した直後であり、護衛艦隊は今までとは全く異なった艦砲射撃、つまり従来の敵艦を撃破するための射撃ではなく、対象船舶に敢えて命中させず至近に弾着させて停船を促す「警告射撃」、それでも停船せずに航行する船舶の船首部又は船尾部等の特定箇所に正確に弾着させて人的被害を発生させずに航行能力のみを無力化する「停船射撃」という新たな射撃方法に取り組んでいました。

 今が帝国海軍から引き継がれた砲術能力を如何なく発揮する時であるとの認識の下に、各艦の砲術長を徹底的に鍛えよとの護衛艦隊司令部の号令で、まさに月月火水木金金と血の滲むような射撃訓練に射撃指揮官として臨みました。1年間の学部聴講及び受験勉強、2年間の大学院、1年間の艦艇用兵課程と合計4年間も陸に上がり完全に潮気が抜けていた私はフラフラになりながらも何とか砲術長としての任を全うすることができたように思います。

 「はるさめ」砲術長の次には総理府(その後内閣府)国際平和協力本部事務局主査に補職され、2年間の在任期間中、国連平和維持活動のUNDOF連絡調整要員としてシリア・アラブ共和国ダマスカス等へ派遣3回(現地在住計12か月)、テロ対策特別措置法に基づくアフガニスタン被災民救援活動のためにパキスタン・イスラム共和国カラチへ派遣2回、国際的選挙監視活動のため旧ユーゴスラビア・コソボ自治州へ派遣1回と一般的な海上自衛官としての勤務では経験することができない貴重な勤務をさせていただきました。ただしこの勤務は特段、大学院法学研究科を修了したからといって補職された勤務ではなく、非常に特殊な勤務ではあるものの一自衛官としての勤務でした。

 内閣府勤務の後、海上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程を経て防衛省海上幕僚監部防衛部運用課に法制担当課員として着任しました。当時の海幕運用課は海上自衛隊の部隊運用の中枢であり、法律とは関係のないような部署に思えましたが、実際には防衛関係法令の整備や行動命令の立案、関係令達の運用等、海上自衛隊の部隊運用に直結する業務を実施しており、ようやくこの配置において行政法・国際法の知識の一端を実務の場面において使うことになったのです。この配置で痛感したことは、ただ単に法律の知識を持っているだけでは全く使いものにならず、海上自衛隊幹部自衛官としての知識と海上部隊の部隊運用に関する知識を併せ持ったうえで従事しなければならないということです。よって大学院の前後に部隊勤務を経験したことは回り道になったのではなくプラスになることばかりでありました。

 またこの勤務の最後にイタリア・サンレモに所在する国連の諮問機関である人道法国際研究所に武力紛争法国際軍事課程の学生として短期留学し、海上自衛隊という枠を越えて約30カ国の陸海空軍士官や法務官と共に武力紛争に関する国際法を学びました。大学院での研修に加えてこの留学をさせて頂いたことが海上自衛隊の法務官となるステップになったと思えます。

4. 海幕法務室での勤務

 海幕運用課での勤務の後に海上幕僚監部法務室勤務となり、ようやく正式に海上自衛隊の法務組織の一員となりました。大学院を修了して7年後のことです。

 海上幕僚監部の法務組織は、トップである首席法務官の下に法務室が設置されるとともに、行政(行政訴訟、法規審査)・民事(民事訴訟・賠償)・防衛の各法務業務を所掌する3名の法務官が配置されます。私は防衛法務担当の法務室員として法務室に所属し、個別具体的な法務業務に関しては防衛法務官の指揮を受けつつ勤務することになりました。

 防衛法務官及び防衛担当法務室員の業務は、平時の海洋国際法規である国連海洋法条約や戦時国際法である海戦法・ジュネーブ諸条約、海上自衛隊の行動や権限が規定された自衛隊法を中心とする防衛関係法令等の調査研究であり、海上自衛隊内において作戦法規と言われている分野を担当します。

 ここでは部隊運用のみならず海上幕僚監部や海上自衛隊全体に対する法的支援・リーガルアドバイスを実施することになり、法務官として網羅的な観点で海上自衛隊の業務を見ることができました。

 またこの時にアメリカ海軍大学国際法部と海軍司法学校が共催する国際軍事作戦法規課程に同盟国教官として派遣され、同課程の学生である米海軍・海兵隊や他国軍の法務官に対して海上自衛隊の国際法についての考え方や防衛関係法令の解説等、海上自衛隊の法的側面への理解に関する所要の教育を実施することができました。

 そして1年後に防衛法務官に配置され、法務室員と合わせて約6年間海上幕僚監部において作戦法規を担当しました。その間の最大の出来事は海賊対処法の制定とソマリア沖アデン湾への海上部隊の派遣です。私は自衛隊法に従来から規定されている海上警備行動に関し、その権限行使について精通していたため、海賊対処法の成立に先立って海上警備行動の枠組みで派遣される第1次派遣海賊対処水上任務部隊に法務官として乗り組みました。

 海賊対処水上任務部隊においては、出港後から海上警備行動において規定される警察権限を関係令達及び部隊行動基準に基づいて適正に行使することができるように基礎的な教育を行うことからはじめて、実弾射撃を伴う実戦的な訓練や各級指揮官の判断を伴う総合的な訓練を実施し、アデン湾到着までの間に部隊の練度を任務に即応可能な状態にまで構築しました。指定海域に到着し日本関係船舶の護衛任務を開始したのちは緊張の連続であり、6回の事案対処を実施するなど全く気を抜くことができませんでしたが、約4か月にわたる任務期間を何とか乗り越え、無事日本に帰国することができました。

5. 統幕、そして警務官

 帰国後しばらくして、1等海佐(諸外国でいう海軍大佐)に昇任し、海上自衛隊幹部学校幹部高級課程及び統合幕僚学校統合高級課程を経て、防衛省統合幕僚監部法務官に着任しました。統合幕僚監部は陸海空自衛隊の部隊運用中枢であり、3自衛隊の総司令部的な役割を担っています。統幕首席法務官の下にも3名の法務官が配置され、私は国際法担当法務官として国際法及び海上作戦を、3法務官の中の先任法務官として首席法務官の補佐及び法務官室業務の総括を所掌しました。

 統幕が担う自衛隊の実オペレーションは災害派遣と対領空侵犯措置を除けば、周囲を海に囲まれているという我が国の地理的特性から海上作戦が主体とならざるを得ず、加えて海賊対処活動などの海外派遣活動を担っているため、国際法と海上作戦を担当する法務官の業務は今まで経験したあらゆる法務業務の中で最も忙しく、最も厳しく、かつ最もやりがいのある勤務でした。また普段はあまり接する機会がない陸空自衛官と業務を通じて密接に交流することにより、各自衛隊部隊の作戦特性、それに対応した幕僚業務、ものの見方考え方、組織文化等を肌で感じることができました。

 統幕法務官の後は陸上自衛隊小平学校幹部警務官課程を経て、防衛省司法警察員に任命され、海上幕僚監部警務管理官に着任しました。警務管理官の業務は海上自衛隊の犯罪捜査部隊である警務隊に関する業務です。今まで担当してきた法務業務、特に作戦法規とは全く異なる業務ですが、行政法や国際法に馴染んできた法務官は刑法・刑事訴訟法についても馴染み易いであろうという補職上の理由により配置されました。幹部警務官課程において基礎的な教育は受けたものの、警務業務、特に捜査に関してはそう簡単に馴染めるような業務ではなく、捜査一筋30年という超ベテランの警務官達に助けられつつ、私自身も「この道20年」という顔をしながら業務に励みました。この配置を経験することにより海上自衛隊における司法警察業務の在り方及び警務隊のあるべき姿をしっかりと見定めることができたように思います。

6. 作戦法規の要石

 警務管理官を終えた私はいよいよ海上自衛隊作戦法規の要である海上自衛隊幹部学校作戦法規研究室長に着任しました。海上自衛隊幹部学校は諸外国における海軍大学に相当する海上自衛隊の最高学府であり、高級幹部に対する教育を実施するとともに、海上自衛隊のシンクタンクとして作戦に即した実務的な研究を行います。その中で作戦法規研究室は国連海洋法条約や戦時国際法である海戦法(海上武力紛争法)・ジュネーブ諸条約等の国際法及び自衛隊法を中心とする防衛関係法令等の教育と研究を担当します。教育や研究の一環として他国海軍の海軍大学国際法担当部門との交流が盛んであり、その中でも米海軍国際法部とは特に密接に協力連携しています。

 私の在任中は、米海軍大学と海自幹部学校が共催する国際法ワークショップの恒常的な開催や米海大へ作戦法規研究室員を教官として派遣するなど連携内容を格段に深化させるとともに、米海軍太平洋艦隊司令部や第7艦隊司令部等の実戦部隊の法務官との連携も一段と進めることができました。また海上武力紛争法の権威あるマニュアルである「サンレモマニュアル」の改定作業についても作戦法規研究室員を参画させたり、さらにはハーバード大学法学部において海上武力紛争法の授業を実施することができました。

 作戦法規研究室長の後、自衛官の最高位である統合幕僚長を直接補佐する法務官職である統合幕僚監部首席法務官に着任しました。2配置前に統幕法務官を経験していたため業務内容は熟知していたものの、やはりその重責に身が引き締まる思いでした。着任後は日々の自衛隊の活動の中における法規指導、将来作戦に対する作戦法規の調査研究、自衛隊と米軍が参画する大規模な日米共同統合演習における法的支援、米太平洋軍司令部法務部長や在日米軍司令部法務部長との連携等、法務官冥利に尽きる大変遣り甲斐のある仕事をさせていただきました。そしてこの配置をもって私の法務官人生は幕を閉じることになりました。

おわりに

 私は現在、海上自衛隊警務隊司令の職にあります。警務隊は海上自衛隊の秩序維持に専従する部隊であり、司法警察権を有する犯罪捜査部隊です。法務官としては統幕首席法務官を退いた段階で退職することになるのですが、警務隊始まって以来最大の部隊改編の必要があったため、現職自衛官として留まってその指揮を執っています。

 私の勤務経歴は艦艇乗組の海上自衛官としては極めて異例ですが、どの配置も自衛隊にとって重要な配置であり自分自身にとっても有益な配置ばかりでした。このような配置に着けて頂いたことは2等海尉の時に中央大学大学院で学ばせて頂いたことが端緒であったと確信しています。大学時代に艦砲射撃がやってみたいと思い海上自衛隊幹部候補生試験に出願し、その最中に横須賀沖で潜水艦による事故が発生しました。もしかしたら学部で勉強していた法律の知識を役立てることができるかもしれないと思って飛び込んだ海上自衛隊に、あともう少し恩返しすることができたらと思っている次第です。

宮原伸行(みやはら のぶゆき)さん/1等海佐、海上自衛隊警務隊司令(前統合幕僚監部首席法務官)

宮崎県日南市出身。
1965年生まれ。
1989年早稲田大学卒業、同年海上自衛隊入隊。
艦隊勤務を経て、1998年中央大学大学院法学研究科公法専攻博士前期課程修了
その後、護衛艦砲術長、内閣府PKO事務局、海上幕僚監部、海賊対処水上任務部隊、統幕法務官、海幕警務管理官、海自幹部学校作戦法規研究室長、統幕首席法務官を経て現職。
防衛省市ヶ谷居合道部長。