人ーかお

中国を専門にして働く

-大学での学びから外務省へ-

入江 遥(いりえ よう)さん/在青島日本国総領事館副領事

1 海外への興味

 大学に入学したばかりの頃の私にとって、外国は遠くて、怖くて、未知の存在だったことを今でもよく覚えています。大学入学以降も、私には具体的な目標や目指したいものは定まっていませんでした。
 入学してしばらく経った7月頃、経済学講義の教員が「ラオスに行ってみたい人はいませんか」と募集をかけるのを聞きました。彼の研究室まで行くと、その呼びかけに興味を持った学生は私を合わせて二人だけで、それまで予備知識をテストされたり、英語ができなければ参加を断られたりするかと思っていたところ、すぐに先輩たちと一緒に渡航のための準備資料を作り始めました。
 海外では、同教員のアレンジした視察コースについていくだけでしたが、現地の大学訪問、学生との交流、企業訪問、食事、宿泊、買い物等、多くのことを体験しました。テストで勉強しただけで英語を使ったことのなかった私は、緊張しながらラオスの大学生に「Do you know Doraemon?」と話しかけ、初めて外国人と英会話が成り立ちとても感動したことを覚えています。
 これが、私が外国に興味を持ったきっかけであり、その後の大学生活から卒業後の進路、現在の生活にいたるまでのすべての基礎になっています。

2 開発経済学、学習仲間との出会い

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ゼミ活動で訪れたラオス。企業の方等にもご協力をいただき、近くの集落を訪れることができ、非常にいい学習になった。

 地方都市まで基本的なインフラや保健、教育、統治機構等が整備された日本に暮らしていた私にとって、ラオスの社会は良くも悪くも新鮮に感じられました。帰国後、もっと世界のことを学び、いろいろな国に行ってみたいと思うようになった私は、学部の垣根を越えて「国際協力」を学べるFLP国際協力プログラムを知り、すぐにも受講することを決めました。
 2年生になり同プログラムで出会った学習仲間は、入学前から国際的課題に興味を持ち、英語力も高く、私も彼らに触発され、英会話サークルに加入したり、長期休みに海外旅行したりしました。アルバイトにも時間を割き、あわただしい生活を送りました。
 3年次には大学生活にも慣れ、英会話にも自信がつき、モチベーションの高い仲間とともに、ラオスで海外調査を行うことを決めました。私が所属した林光洋先生のゼミの指導方針は、学生自身が課題を設定し、日程を決め、フライトや宿泊施設を予約し、希望訪問先に意図を伝え、アポイントメントを取り、調査の企画を通じて学習するというものでした。各自の興味ごとにチームを作り、どこで誰に意見を聞けばよいのか、日程や資金面、安全面で実現可能か等検討しながら調査日程を作り上げました。10日間ほどの海外訪問日程のために、20数名のメンバーが半年以上、時には夜遅くまで話し合い準備しました。

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ESSの活動。街で旅行者と思しき外国人に声をかけ、相手の都合がよければ観光地案内や交流をしていた。

 どんな職場においても共通することですが、必要な情報や人間関係を構築するために綿密な準備や関係者との意思疎通は欠かせません。問題意識や境遇の異なる学生同士で一つのグループ調査をやり遂げ、その成果を報告にまとめたという経験は、私の今の業務に通ずる点も多くあります。
 また、この経験を通じてゼミの友人たち、先輩方や後輩とは、強い仲間意識と密な交流が生まれ、卒業後も関係が続いています。私も、2019年6月、G20大阪サミット等業務のため比較的長く一時帰国していた際、退勤後に多摩キャンパスを訪ね、林先生の演習時間をお借りし、中国社会や外務省での経験等について在校生たちと交流しました。仕事で日本を離れたり、結婚し子育てする方もいる中、互いに時間を確保するのが難しい場合もありますが、今も皆で連絡を取り合っています。

3 外務省に入り、中国へ

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中国での食事。丸いテーブルの中央には可動式の台。食べきれないほどの料理を注文するのがお決まり。50度を超えるお酒もよく出てきます。

 卒業後には外国で働きたい、その国の人たちの言葉で話し、皆が何を考え、どんな違いがあるのか知ってみたい。そんなことを考えるようになった私がたどり着いた仕事は外務省職員でした。
 大学では東南アジア諸国について勉強することが多かった私ですが、外務省から言い渡された専門言語は中国語。始めは驚きましたが、目標に大きなブレはありませんでした。入省後の研修期間中には、授業や個別レッスンの合間を縫って積極的に中国人コミュニティに加わるなどし、中国語の実用能力を向上させました。元々中国語は第二外国語の授業で触れていた程度でしたので、基礎の発音から丁寧に勉強しました。
 外務省での仕事内容は、インターネット上や書籍等で多く紹介されているのであまり深くは触れませんが、私はこれまで、台湾、北京、広州、青島と移動し、それぞれの土地で、新たな出会い、新たな発見、喜びや苦労がありました。どれもいい思い出です。

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広州の街歩きサークル。SNS等で若者がグループを作り交流イベントを主催するのは中国でもよくみられる。日本人が参加するとよく驚かれる。

 中でも、美食と広東語で有名な広州での滞在が一番長く、計3年間を過ごし、記憶に残っていることも多いです。日本人、中国人の友達も多くできましたし、仕事において中国政府関係者や他の国の総領事館職員とも多く交流しました。中国の方とは中国語を使い、他国の方とは主に英語を使い、互いに完璧な言葉遣いではないかもしれませんが、お酒を飲みながら率直に政治的観点を伝え合い、双方が個人の視点で納得できる部分を見つけられた時などは感動しますし、これまでの自分の経験がすべて積み重なったような感覚を味わえます。自分にとって多くの思い出がある東南アジア諸国の方とも頻繁に交流しました。
 多くの方にとって外国で長期間暮らすことはめずらしいことだと思いますし、それを望まない方もおられます。私はすべての人がこういった経験をすべきだとも思いません。ただ、今の私にとっては、いろいろな土地を移動しながら、その一つ一つで新たな生活を始め、新たな交流をしていくことは、刺激的で、素直に楽しく感じられることです。

4 挫折後も理想像を目指し続けた

 私の経験をここまで読んでくださった方には、順風満帆のように思われるかもしれませんが、実際には挫折もありました。
 もともとテスト勉強が苦手で、高校3年の1度目の大学受験時には文字通りどこにも受からず失敗し、1年間の浪人生活を経験しました。私は他に明確な目標もなく、大学に入って何かを見つけなければという考えがあったため、黙々と受験勉強をしました。
 また、大学の約3年間でいろいろな経験を積んで臨んだ就職活動では、思うような結果が出ず、何とか内定をもらった会社に滑り込んだだけのような状態でした。案の定、学生時代の理想と仕事内容のギャップに悩み、2年もしないうちに辞職しました。
 仕事に悩んでいるときに知ったのが、外務省に入るという選択でした。以前から国際関係に興味があったとはいえ、外務省職員や外交官などという言葉はとても遠い存在に感じていましたし、語学力(英語力)も高かったわけではありません。ただ、大学の時に出合った多くの先輩方や、国際舞台で活躍されている方の話等を思い浮かべながら、自分の理想に近い存在を目指し続けました。
 幸いにも一度の受験で採用されるに至りましたが、それまでは親や親戚には心配をかけたと思います。

5 納得できる何かを見つける

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青島の中心部。海沿いに高層ビル群が広がる。6月はよく霧がかかっている。

 この仕事に就いた以上、私の人生のテーマはしばらく「国際関係」であると思っています。国家公務員としての責任もあります。他方で、学生の頃に思い描いていた「外国に住み、仕事をする」ことは、いつの間にか目標ではなくなり、海外への漠然とした憧れもなくなりました。多様な考え方に触れ、仕事を充実させることだけがすべてではないということにも気が付きました。
 外務省職員として、多くの後輩が国際舞台に羽ばたき活躍することを期待する気持ちはありますが、必ずしも国際関係でなくとも、皆さんが自分で納得し、これから頑張りたいと思える何かを見つけられるよう、私の経験が参考になればうれしく思います。

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休暇を利用して内モンゴル自治区を訪れるツアーに参加。ラクダや馬に乗って遊んだ。

入江 遥(いりえ よう)さん/在青島日本国総領事館副領事

大分県出身。1989年生まれ。
2012年に中央大学経済学部を卒業後、民間企業へ入社。2014年外務省専門職員採用試験に合格。専門言語は中国語。外務省中国・モンゴル第二課、在広州日本国総領事館等を経て、2020年6月より在青島日本国総領事館勤務(現職)。

在学中はFLP国際協力プログラムを履修し、林光洋教授のゼミナール(開発経済学)に参加。3年時にはゼミの仲間とともにラオスで現地の機関や企業を訪問し、多くの方々へのインタビュー調査等を実施した。