カンボジア奮闘記
福岡 文恵さん/JICA民法・民事訴訟法運用改善プロジェクト長期派遣専門家
1 早朝のカンボジア
朝日とアンコールワット
カンボジア人の朝は早く、午前5時を過ぎた頃から、道端の露店のスタッフが簡易コンロで肉を焼き始め、肉の焼けるにおいと煙が通りに充満しています。また、街中の広場には、運動着を着た老若男女が集まり、ジョギングをしたり、ウォーキングをしたり、音楽に合わせて集団でダンスをしています。平均気温30度前後のカンボジアでは、多くの人が、日中の焼けつくような陽射しを避けて、日が昇る前の朝早い時間帯から活動を開始しているのです。日本でも「朝活」が話題になっていますが、カンボジアでは多くの人が朝活を実践中です。
2 民法・民事訴訟法運用改善プロジェクト
司法省(正面)とオフィスがある司法省別館(左)
専門家とスタッフ集合写真
司法省正面階段にて。
私は、2019年3月15日から、独立行政法人国際協力機構(JICA)の長期派遣専門家としてカンボジアの首都プノンペンにある司法省に派遣され、法整備支援プロジェクトに従事しています。カンボジアに対するJICAの法整備支援プロジェクトは1999年から始まりました。この20年間でプロジェクトはフェーズ5まで進み、2017年4月に開始された現行プロジェクト「民法・民事訴訟法運用改善プロジェクト」は、日本の支援によって成立した民法・民事訴訟法に基づいた適切な実務の運用を行うための活動を進めています。民法・民事訴訟法の起草作業については、中央大学の大先輩である本間佳子弁護士がJICA長期派遣専門家として関与されていました。
現行プロジェクトの活動は、具体的には、①民事関連法令の起草、②訴状や判決書などの書式記載例の作成、③民事判決書の公開という3つの活動です。活動毎に、カンボジアの裁判官、検察官、弁護士、大学教授、司法省スタッフなどで構成されるワーキンググループが設置され、毎週1回それぞれが会合を開き、熱い議論を繰り広げています。
私は、チーフアドバイザーとしてプロジェクト全体を取りまとめるほか、判決書公開ワーキンググループを担当しています。当プロジェクトオフィスには、私のほか3名の日本人専門家(弁護士出身、裁判官出身及び業務調整担当)と、カンボジア人スタッフ6名がいます。私は、カンボジア人スタッフに、「Malis」というニックネームを付けてもらいました。Malisは、カンボジアの言語(クメール語)で「ジャスミンの花」を意味します。スタッフだけでなく、プロジェクトマネージャーである司法省次官も、このニックネームで呼んでくれます。お気に入りのニックネームです。クメール語には、アルファベットのFに該当する文字がないからか、店に予約の電話を入れるときに「Fumie」と言ってもなかなか通じず、最近は「Malis」と名乗っています。
3 民事判決書の早期公開を目指して
カンボジアでは、日本のように、判決書が一般には公開されていません。ある一定期間、裁判所の掲示板に判決書を貼付して公開している裁判所もあるものの、一部の裁判所ですし、期間も限られています。また、判決書を含む訴訟記録が閲覧できるのは、当事者及び利害関係を疎明した第三者に限られます(カンボジア民事訴訟法258条1項)。このような状況の中、私が担当している判決書公開WGでは、民事判決書を司法省のウェブサイトで一般に公開するための活動を進めています。
2019年8月、フン・セン首相は、アン・ヴォン・ワタナ司法大臣に対し、一部の弁護士が裁判官や検察官に対して賄賂を渡している旨指摘し、司法の汚職防止を徹底するよう指示を出しました。この報道は、私にとって大きな衝撃でした。というのも、カンボジアの司法における汚職の存在は、私が2017年4月に法整備支援に関わるようになった当時は、カンボジア政府は公には認めていないと聞いていたからです。
その一方で、何年も前から、日本を含む海外の様々な媒体が、カンボジアでは各種の許可申請や訴訟での紛争解決等を迅速に進めるため、賄賂の授受が行われていることを取り上げていました。その一つが、法の支配指標(Rule of Law Index)です。これは、「法の支配」の促進を目指すアメリカの独立機関ワールド・ジャスティス・プロジェクトが、毎年公表しているものです。8つのファクターと44のサブファクターから、対象国をランク付けし、点数を出しています。法の支配指標2019年版によると、調査対象となった126か国中、カンボジアは125位でした。8つのファクターとは、①政府権限の統制、②汚職の不存在、③政府情報の公開、④基本的権利、⑤秩序と安全、⑥規制の執行、⑦民事司法、⑧刑事司法です。「②汚職の不存在」は更に4つのサブファクターに分かれており、そのうちの一つは、裁判官や司法関係者が、手続を処理するために賄賂を受け取るかどうかとの点です。また、「⑦民事司法」は、民事司法において汚職がないことなど、7つのサブファクターに分かれています。2019年版によると、カンボジアは、「②汚職の不存在」では126か国中125位、「⑦民事司法」では126か国中126位という結果でした。
この発表に対し、カンボジア司法省報道官は、指標に問題があると指摘し、数値を気にすることはないとのコメントを出しました。しかし、その数か月後の本年8月には、先ほど述べたとおり、フン・セン首相が司法の汚職を指摘し、これを受けて、司法省が司法の汚職に関して徹底的な調査を行うことを明らかにしました。カンボジア政府が、司法の汚職防止に本腰を入れて取り組むことを示しています。
民事判決書の一般公開は、裁判結果とその判断過程を公にするものであり、司法の透明性確保に向けた取り組みでもあります。司法の汚職防止を徹底するという政府の方針にも合致するものです。この流れに乗って、早期の民事判決書公開を目指して活動を進めていきたいと思います。
4 カンボジアで朝活実践中
ワーキンググループ活動を含め、プノンペンでの日常業務は、日本語で行うことが可能です。なぜなら、当オフィスには、日本語堪能な優秀なカンボジア人スタッフが4人もおり、彼らが日本語・クメール語の通訳をしてくれるからです。それでも、大きな会合に出席して他のドナー関係者と話をする際や、通訳スタッフがいない場面などでは、英語を話す必要があります。毎週月曜日午前9時からは、専門家及びスタッフ全員でミーティングを行っており、このミーティングも英語です。また、日本語通訳担当以外のカンボジア人スタッフとの日常会話も英語です。私は、伝えたいことが十分に伝えられないもどかしさを何度も経験し、情けなさから一念発起し、知人に教えてもらった英語学校に7月から通っています。朝が早いカンボジア人ですから、午前6時から始まるクラスもあり、始業前に通うことが可能です。朝一のクラスの受講者は多くが働いており、始業前の時間帯、25~6歳のカンボジア人らと一緒に英語を学んでいます。私もカンボジアで朝活を実践中です。
5 試行錯誤の毎日
私は、カンボジアに赴任する前、約2年間法務省法務総合研究所国際協力部に所属していた以外、2005年に任官してからずっと捜査・公判に従事していました。そんな私が、民法・民事訴訟法に関してワーキンググループでカンボジアの裁判官らと議論し、時にはセミナーで講義をするのですから、正直なところ胃が痛くなることもよくあります。
しかし、この8か月間、試行錯誤でワーキンググループとセミナーを重ね、気持ちの変化がありました。ワーキンググループで議論していると、答えを求められているというよりは、「このような考え方からすればこうなる。一方でこっちの考え方からすればこうなる。」というように、法律家としてどのように考え、整理すべきかのヒントを示す、道標としての役割が求められているように感じます。この役割を全うする上では、分からない人の気持ちが分かるということは強みでもあると自分を励まし、法令や文献を徹底的に調べ、考える毎日です。幸い、周囲には頼りになる同僚の専門家がいて、日本には部会やアドバイザリーグループの先生方、国際協力部の教官、法曹界の先輩方がおり、いつでも相談に乗ってくれます。
困難を乗り越えた経験は、次に新たな困難に直面した際の自信につながります。カンボジア赴任の残り約1年と数か月も、引き続き試行錯誤を繰り返しながら、カンボジアのために精進していきたいと思います。
水祭りのトンレサップ川
水祭りは、雨季が終わり乾季の訪れを祝う伝統的なお祭りです。日中は川でボートレースが行われ、夜は各省のロゴを模った電飾が取り付けられた船が何隻も集まります。
- 福岡 文恵(ふくおか・ふみえ)さん
- 神奈川県出身。1981年生まれ。
2004年中央大学法学部国際企業関係法学科卒業。
2005年検事任官。横浜、釧路、東京、仙台、秋田等の各地検で勤務後、
2017年4月に法務省法務総合研究所国際協力部勤務となり、東南アジア各国に対する法整備支援活動に従事。
2019年3月から、JICA長期派遣専門家としてカンボジア王国司法省に派遣(現職)。