岩田 整さん【略歴】
岩田 整さん/弁護士、中央大学法科大学院実務講師
早いもので、今年の春で、私が1992年に大学を卒業してから26年間が過ぎました。26年間のうち、前半の13年間は国家公務員として労働行政の分野で仕事をし、そして、後半の13年間は司法の世界で過ごしてきた勘定です。具体的には、2005年春に厚生労働省を退職し、本学の法科大学院や司法修習での勉強期間を経た後、弁護士として8年余り仕事をし、現在に至ります。
この原稿では、自分が行ってきた役人当時の仕事と弁護士になってからの仕事を振り返り、両者を比較して感じるところを述べてみます。
1992年、経済職の国家公務員として、労働省(当時)に入省しました。
働く人々が幸福になれるような社会の仕組みを作る仕事に携わることができるかもしれない、これが志望動機でした。
在職中、最も長く従事したのが、労働経済の分析の業務でした。労働経済の分析においては、短期と中長期、それぞれの視点で分析し、政策課題を検討することが求められるのですが、短期の視点でみた政策課題と中長期の視点でみた政策課題とは、往々にして、両立しにくい、あるいは、整合しないように見える面があります。
例えば、1990年代頃の日本経済は、バブル経済崩壊後の長期低迷が続き、雇用・失業対策が短期的にみた最大の政策課題である一方で、中長期的には、人口減少社会に転換することが確実に予測されていたため、高齢者などの就業率を高め、労働力を確保することが重要な政策課題でした。こうした中で、定年延長などにより高齢者の就業促進を図ると、経済全体の雇用の人数が増えないままでは失業者が増えてしまうのではないかとの懸念が生じます。
労働経済の分析を通じて、政策の立案と実行において、短期の視点と長期の視点のバランスが重要であることを、肝に銘じるようになりました。
2000年の夏、ILO(国際労働機関)の担当となり、ILO第182号条約(最悪の形態の児童労働条約)の批准に取り組みました。
この条約は、児童労働禁止の国際的な機運の高まりの中で、児童労働の中でも特に優先的に禁止・撤廃すべき類型のもの(①強制労働、②性的搾取、③不正活動、④危険有害業務)を「最悪の形態」として定義し、その禁止を定めた条約であり、世界の各国が速やかに批准することが強く期待されていました。
ところが、当時の担当者の間では、この条約の批准は極めて困難であると認識されていました。日本の国内法では、上記「最悪の形態」の4つの類型のうち、①強制労働、②性的搾取、③不正活動の3つの類型は完全に禁止されているが、④危険有害業務については、完全には禁止されていない、と言うのです。その理由は、労働基準法は18歳未満の者(児童)を危険有害業務で使用することを禁じているが、同法は「同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人」については適用を除外されているため、これらの適用除外事業において児童を危険有害業務で使用することまでは、日本の国内法では禁止されていない、というものでした。
さて、担当者としては、批准に向かって進めなければなりません。私は、労働基準法の適用除外事業において児童を危険有害業務に使用することは児童福祉法によって禁止される、との解釈が成り立たないだろうかと考えました。そして、同法を所管する厚生省(当時)の担当部署に対し働きかけを繰り返しました。その結果、同法所管部署は、この解釈を受け入れ、児童福祉行政の実施体制を整備することを決断してくれました。これにより、日本国は、ILO第182号条約を、比較的速やかに、批准することができました。
この件では、法の解釈・適用を通じて法的ルールを創設あるいは確認するという、貴重な経験をすることができました。
2001年1月、障害者雇用対策の担当となり、障害者雇用促進法の改正に取り組みました。法改正の最大のテーマは、障害者雇用率制度における「除外率制度」について、その廃止に向けた措置を執るか、あるいは、時期尚早として改正を見送るかでした。
障害者雇用率制度とは、企業に対し、その雇用する労働者の一定割合の障害者を雇用する義務を課す制度であり、ノーマライゼーションの考え方に沿ったものと言えます。しかしながら、この雇用率制度には、除外率制度という例外が設けられています。すなわち、障害者の雇用が「難しい」と考えられていた職務を抱える業種については、業種ごとに定める除外率を設けて、障害者雇用義務を減免しているのです。なお、雇用率制度は、国、地方公共団体などに対しても適用されていますが、ここでも除外率制度と同趣旨の例外が設けられています。
当時、当事者団体や学識経験者などからは、除外率制度を将来にわたって温存することは許されない、との考えが強く主張されていました。一方で、その廃止に対しては、雇用義務が強化され雇用すべき障害者の数が増大することが見込まれる特定の業界の団体や個別企業、関係省庁などの反発・抵抗を招くことが必至でした。こうした中で、改正案は、除外率制度を本則において全廃するとともに、附則において、当分の間は、除外率制度を存続させるものの、政令及び省令によって段階的に縮小することを明記する内容としました。除外率制度の全廃という名を取りつつ、雇用義務の強化については激変緩和措置を設け、緩やかに進めることにしたのです。
この改正案は、翌年の通常国会で無事に成立しました。ノーマライゼーションの考え方からすれば不十分な改正内容であることは否めませんが、雇用率制度の創設以来四半世紀にわたって温存されていた除外率制度を一先ず全廃できたことは、大きな前進であったと考えています。
弁護士としての仕事は、個々の依頼者を救済することが基本です。依頼を受けなければ事件に取り組むことすらできません。この点が、一担当者に過ぎないとはいえ国家権力の一端を担っていた役人当時の仕事との最大の違いです。事件処理を通じて、自身の力不足を痛感することも多いのですが、依頼者に感謝してもらえた時には、とても嬉しくなります。
まだ数えるほどですが、事件処理を通じて、個々の依頼者の救済に止まらず、行政実務や裁判実務の改善に繋げることができたと思える事例もあります。こうした経験から、役人と弁護士とでは、立場や手法は少し異なるものの、社会の仕組み作りにかかわることができるという点では共通している、と感じています。
自身の今後の職業生活においては、人々の救済の必要性に対する感度を磨き続けることが肝要だと考えています。どのような立場や手法によるにしても、幾ばくかでも社会に良い影響を及ぼす者でありたいと望んでいます。
齢50に近い者であるのに、「自分探し」のような原稿になってしまいました。本学や司法制度改革の懐の広さを現す一事例として、お許し下されば幸甚です。