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井口 寛司さん

井口 寛司さん【略歴

地域に求められる専門家になりませんか

井口 寛司さん/弁護士

1 専門家の「ことば」

(1) 22年前の1995年1月、阪神淡路大震災が起きました。神戸には、親や子、親族を失い、家や会社、工場を失くしてしまった人があふれました。私自らも独立開業した翌年のことで、収入の見込みが絶たれてしまいました。テレビやラジオからは、専門家と名乗る人たちが、「復興には最低10年かかるね」と冷徹に言い放っていました。私は、50㏄バイクを購入して「とにかく今は法律相談だ。」と思って走りました。朝も昼も夜も土日も問わず、寒風吹きすさぶ中で、机ひとつだけ置いては法律相談を受けていました。住宅の焼け跡だったり、駅前の駐車場だったり、カイロをポケットに入れて、ひたすら相談を受け続けました。相談に来られる人は、ただただ泣いていました。どうしたらいいんだ、みんなと一緒に死んだらよかったと。法律相談の看板にもかかわらず、そこに法律相談はなかったのです。「一緒にがんばりましょうよ。」「とにかく生きていきましょうよ。」そういう言葉しか出ませんでした。

(2) 私は、和歌山県出身です。高校まで和歌山県ですごし、弁護士になることを目標に中央大学法学部にはいりました。高校時代まで高度経済成長期。時代はどんどん発展していくなかでしたが、回りには裕福で幸福そうな家庭は多くはありませんでした。親父が働かないといって困っている人。長男が学生運動で逮捕されたという人。親戚からの借金を重ねて限界になっている人たちがいました。みんな、救われるすべを持っていませんでした。「不幸なのは、どうしたらいいかわからないことなのだ。」私は、選択肢があれば、いつも不幸なほうを選んでいる人たちに、その選択を何とかできないのだろうかと考えていました。

(3) この阪神淡路大震災の強烈な体験は、私の子どものころの原始体験をよみがえらせ、融合してくれました。普通に頑張って生きてきた人たちが、最後のよりどころとなる小さな幸せも失った。大震災は、そんな出来事でした。傷ついた神戸が痛々しかったのです。傷ついた神戸に、一日でも早く生まれ変わってほしいと思いました。それが弁護士になろうとした動機と融合しました。私は、この体験から、弁護士として普通の人たちの幸せをきちんと守るのが使命だったのだと感じるようになったのです。

「♪ 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう。支えあう心と明日への希望を胸に。響き渡れ、ぼくたちのうた、生まれ変わる神戸の街に 届けたい私たちのうた 幸せ運べるように・・」。「しあわせ運べるように」という歌のこのフレーズが聞こえると今でも涙がでて、声が詰まってしまいます。専門家とは何だろうか、それを強く考えさせてくれた阪神淡路大震災でした。

(4) 半年後から、マンション再建やまちづくりのための利益調整が主な仕事になっていきました。しかし、これを「事件」としてみる他地域の弁護士は、区分所有者である店舗の依頼者の直接的な利益のために金銭を請求してきました。被災者であるマンション住民が、仮設住宅住まいを余儀なくされているときに、立退料、移転費用など、およそ負担できないほどの金額を要求し、それが支払えなければ再建に協力しないと告げてきたのです。

 専門家たちは、その事態が過ぎれば、現場を去りました。地域住民に「専門的なことば」だけを残して彼らは去りました。その地域の人たちに発された「専門的なことば」の中には、復興の基礎となる重要なものもたくさんありました。励ましのことばもありました。しかし、それだけではありませんでした。その一言が、混乱の原因となり、人々の記憶に残り、ますます対立や不安を深めていくという「ことば」もあったのです。

 責任をもった「ことば」を発する専門家が必要なのではないか。阪神淡路大震災で体験した専門家の「ことば」に関するこの疑問は、私に、出身地とは無関係でも、その地域で一緒に生きていこうとする地場産業たる法律事務所の実現を目指すことを教えてくれたのでした。

2 寄り添う専門家

(1) 今また、経済的社会的なものではありますが、大きな地殻変動が起こっています。人口減少と超高齢化社会です。上り調子であった日本経済の過去を後ろに見ながら、下りの階段を降りていく社会が始まったのです。おそらく今後、政府は、さまざまな制度を作りながら、安心な外国からの「準移民」を認め、最終的には「移民」容認をはかるほかないでしょう。限縮していく社会のなかで、高齢化社会がしばらく続き、さらに成長をしようとする動きとの中で、大きな軋轢も生じてくるでしょう。

(2) 地域に生きる専門家として、私たちは何をなすべきか。地域の弁護士には、地域に存在する企業、自治体、事業所、そして市民の皆さんからさまざまな相談が寄せられます。責任をもって、その問題にどのように向き合い、どういう「ことば」を発したらよいのかが問われているのです。もちろん私も正解を持ち合わせてはいません。しかし、地域において、ともに生き、根をはる専門家として、ともに悩みながら考え続けるほかないと思っています。人間の不安は、「問題が見えないこと」「誰も味方がいないこと」から生じます。下りの階段で混乱してしまう人たちに、公正に客観的に社会を見つめ、それをお伝えする道案内をすること、そして、しっかりと味方となっていくこと。これがこれからの地域の専門家に課された課題だと思っています。

3 専門家を志すみなさんへ

(1) 企業法務の専門といわれる弁護士は、株式会社の組織、資金調達、企業買収、デューデリジェンスを専門としています。海外との契約交渉等を中心として活躍している弁護士もいます。また、企業の倒産や再生を専門としている弁護士もいます。インハウスロイヤーとして企業内で社員として働いている弁護士もいます。そして他方で、私たちのように、不動産、離婚、遺産分割、交通事故などいわゆる一般民事事件や、大企業の法務とは異なる中小企業法務や自治体法務を専門としている弁護士がいるのです。

 しかし、大都市にいる企業法務の専門家だけが優秀であっていいというわけではありません。むしろ地域の専門家である私たち地方の弁護士こそ、法律や法的な観点、基礎的な法理論などから事案を検討し、事案を分析して、法的に推論し、その思考過程を正確に表現していく高い基礎能力と応用能力が求められるのです。

(2) 地方の弁護士は、今のところ、専門領域に特化するところまで進化していません。地域主体で活動している弁護士は、仕事の分化はしていません。むしろ分化しない事業体制をとってきていると言ってもよいと思います。漁業にたとえれば、クジラのような大きな対象物を解体して料理していくのには、大勢の調理人が必要となり、調理人がそれぞれのパーツの仕事をこなしていくことになりますが、マグロより小さな対象魚を解体調理するのであれば、ひとりの調理人がすべてをさばいていくことが求められます。プロ野球にたとえれば、先発とか、中継ぎ、抑えなど、投手だけでも専門分野に分かれますが、地方では、投手なら先発完投型、しかも野手もこなし、打率や長打も求められる。そして人気も。優しさも。そんな総合力のような力が求められているからです。

(3) 地域の法律事務所は、地域のインフラです。専門家の「ことば」の重みとともに、地域のインフラ法律事務所の活動に、もっともっと注目していただけるとありがたいと思います。

井口 寛司さん(いぐち・ひろし)さん
1962年 和歌山県生まれ
1985年 中央大学法学部法律学科卒業
1986年 司法試験合格
1987年 最高裁判所司法修習生(第41期)
1989年 兵庫県弁護士会登録
1994年に独立開業し、現在は、弁護士法人神戸シティ法律事務所代表社員として、地域のインフラとしての法律事務所を実現すべく、地方の弁護士として活動しています。金融機関、サービス業、製造業など中小企業を中心とした多業種の顧問活動をはじめ、事業再生案件、地方自治体の公共政策にかかる法務、そして家族の問題等を幅広く手掛けています。ミャンマー(ヤンゴン)にもデスクを構え、アジアで活躍する弁護士と連携しながら海外進出支援も行っています。平成15年から5年間は甲南大学法科大学院の実務教員の経歴ももち、現在でも後進の指導にも熱心に取り組んでいます。