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トップ>人―かお>米国の法科大学院で教えて―――海を超え、「二足の草鞋」の16年

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さん

矢部 耕三さん【略歴

米国の法科大学院で教えて
―――海を超え、「二足の草鞋」の16年

矢部 耕三さん/ユアサハラ法律特許事務所

イリノイ大学での教員生活

 毎年12月某日、イリノイ大学ロースクールからどっさり答案ファイルのついた電子メールが届く。恒例のクリスマスギフトである。これを年内には採点しなければならない。本業も多忙になる頃だけに、なかなか厳しいお歳暮でもある。

講義中

 私の仕事は弁護士である。分野としては知的財産権と国際企業取引といった企業法務を取り扱っているが、その一方で、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校ロースクール(University of Illinois at Urbana-Champaign College of Law)の非常勤教授として、日本ビジネス法講座(Doing Business in Japan)を毎年秋学期に2週間の集中講義として教えてきた。イリノイ大学は、1867年にイリノイ州立の大学として創立された米国を代表する高等教育機関の一つで、ITはじめ様々な科学技術の故郷としても有名である。1867年といえば、徳川幕府の大政奉還、マルクスの「資本論」出版やダイナマイト技術への特許付与がなされた年であり、19世紀後半の様々な変革が始まった頃である。

 もともとこの講座は、1999年から始まった同校での比較法講座の一つである。当初は、同校卒業生である日本資格の弁護士3名が共同講師としてチームを作り、各人の得意分野(企業買収、不動産投資、国際紛争、知財)の講義をリレー講座として、一学期に渡って教えるという贅沢な講座であった。私も2000年からこのチームの一員になった。

 しかし、上級生向け少人数コースにも拘わらず、海外から招聘する講師3人というのでは予算的に厳しい。そのため、2006年からは、2週間の連続集中講座という形に衣替えした。その時点からは、私と共に、米国在住の米国人弁護士と二人で引き受けるようになった。以来、私は、秋学期のいずれかの2週間には必ずイリノイ大学へ出向き、昼間は教員、夜は弁護士の「二足の草鞋」を履いてきたわけである。

講義スタイルと学生の状況

ニューマン弁護士と共に

ニューマン弁護士や学生と共に議論

 講義構成としては、第一週目に日替わりで企業法務の根幹要素である司法制度と訴訟手続、契約法、会社法、独禁法、労働法と知財法の原理・原則をレクチャー形式でひとまとまり伝えた後、第二週目において、共同講師であるグレン・ニューマン弁護士も加わって、それぞれの法分野での実際の事例や判決に基づきながら双方向的なケーススタディをしている。

 ニューマン弁護士は、米国系法律事務所東京支所やシリコンバレー企業の東アジア担当法務部に勤務した経歴を有する。日本語堪能なイリノイ大学ロースクール同窓生でもある。この良き相棒と共に、ネット上で利用可能なビデオ教材や各種の企業情報の例を引用しつつ解説し、学生との議論を進めていく。日米の間での法に対する態度や考え方の異同を、企業の行動というところに焦点を当てて講義するのである。

 当初10名いるかどうかだった学生数は、近年増加の一途を辿っている。今年はこの講座史上最多の27名となった。内訳としては法務博士(J.D.)コース21名、法学修士(LL.M.)コース5名(聴講生1名)、客員研究員1名であったが、このうちアジア系米国人とアジア人の学生(中国、韓国、インド、シンガポール、モンゴル、日本)を合計すると17名であった。英語の達者な中国や韓国からの留学生がJ.D.及びLL.M.において増えているのだが、そういう学生が、米国の様々なエスニシティを代表する学生たちと共に日本のビジネス法に興味を持ってくれているところは、嬉しい限りである。

 時に、違った社会背景や母国語を有する者同志での議論が教室内で展開することもあり、クラスを教える側としても面白い体験をさせてもらっている。留学生の中には、アジア、欧州、南米からだけでなく、サウジアラビアやケニアからという者もいたりする。

「二足の草鞋」を可能にするIT技術

拝借した教授室にて、ノートPCとタブレットの二刀流

教室前にある講義表示

 米国への出講というと、東京の仕事から解放されると思われる方もおられるだろう。しかし、実際にそうはならない。

 勿論、法廷仕事のようなことはなかなかできないけれども、IT技術の発達(電子メール、ビデオ会議アプリ、各種のリモートアクセスシステム)のお蔭で、東京や日本各地での仕事もできる時代になってしまった。飛行機に乗っている時ですら、Wi-Fiが繋がる時代である。時差をうまく利用すれば、米国に居ても東京の仕事を半日分くらいはリアルタイムで処理することができる。

 こういうIT技術は、この分野で多くのノーベル賞受賞者や先駆者を輩出してきたイリノイ大学で生まれたものも多い。その意味では母校の築いてきた業績に感謝している。しかし、世界の何処にいても弁護士としての仕事から逃れられなくなったという意味では、少々恨み言も言ってみたい。

教員生活の余禄

イライナイ・ユニオン(Illini Union、大学本部兼学生会館)

イリノイ大学アルトゲルト・ホール(旧ロースクール校舎)

 幸いにして2000年代になると、日本法に関する良いテキストが米国でも複数刊行されるようになった。そこで、これらの抄刷をコピー教材として使っている。しかし、それでも毎年、改正法や新判例を見直して講義に備えるのには、結構骨が折れる。ただ、こういうことをやっていると自分自身の知識の更新になるだけでなく、米国の学生に伝えるという場面では、英語でのプレゼン能力の涵養にもなっている。

 そのお蔭か、本業の方でも、外国からの依頼者に日本法や日本社会に関する説明をする場合や、逆に日本の依頼者に米国法との比較でリーガルリスクを説明する時に、以前よりも丁寧かつ的確に行えるようになったという実感はある。単純に彼我の異同を説明するのでは学生も依頼者も満足はしない。彼らの疑問や実現したいこととの関係で、法制度の差異がどういう理由で生まれたのかを制度の本質に立ち戻って分析しつつも、それがグローバルなニーズの中でどう具体的に影響を与えるのかということを簡潔明瞭に説明するというのは、いつも我々弁護士に求められる能力である。

 更には、教えた学生が卒業して各地で活躍してくれるというところにも楽しみがある。東京にある外資系法律事務所で働いている者もあれば、米国各地の法律事務所の国際部門で働く者もいる。また、中国系法律事務所の米国支所で働く者がいるかと思えば、母国に戻って判事として国際取引事件を取り扱う者もいる。俄か者とはいえ、教師冥利に尽きるというべきであろう。

イリノイ大学ロースクール

イリノイ大学キャンパスの中心にある四角い芝生の広場クァッド(Quad)

国際的な活躍を目指す中大卒業生との出会い

左から、福内さん、今泉判事補と筆者、イリノイ大学ロースクール内、リンカーン・ダグラス討論記念碑レプリカの前にて

 加えて今年はグローバルな中大卒業生と、イリノイ大学ロースクール出講のタイミングで出会えたことも喜ばしかった。

 イリノイ大学ロースクールでは、今泉さやか判事補(客員研究員として在籍中・中大法科大学院出身)、鉄鋼メーカー法務部の福内宏樹さん(法学修士課程に在学中・中大法学部出身)と会うことができた。

 また、休日を利用して、シカゴに増田雅史弁護士を訪ねた。彼は私が中大法科大学院で担当した知財リーガルクリニックの第一期生である。増田弁護士が米国法律事務所での研修中のところを訪ねたのだが、たまたまシカゴ出張中だった中大白鴻会(司法試験研究室)の後輩・渡邊知之さん(国際ビジネスコンサルタント)も誘い、シカゴ・カブスのMLBワールド・シリーズ優勝で沸き立つ街で、大きなステーキに舌鼓を打った。

筆者と増田弁護士、シカゴ川を渡るミシガン・ブリッジにて

左から、増田弁護士、筆者、渡邊氏

シカゴ・カブスのMLBワールド・シリーズ優勝記念クッキー

筆者と金子弁護士。カリフォルニア・サンタクララでの日米カウンシル会議にて

 一方、帰国する途中で立ち寄ったカリフォルニア州サンタクララで催された日米カウンシル会議では、金子晋輔弁護士とも会うことができた。金子弁護士も、米国での実務研修中であり、彼の恩師である中大法科大学院・遠山信一郎教授によるお引き合わせであった。

 いずれも偶々の道中における出会いであったが、国際標準を視野に入れて着実に前に進んでいる中大卒業生の姿に接することができた。彼らの今後の活躍に期待したい。

矢部 耕三(やべ・こうぞう)さん
ユアサハラ法律特許事務所
東京都出身。1980年 桐蔭学園高等学校卒業。1985年 中央大学法学部法律学科卒業。1988年 司法試験合格。
1991年 弁護士登録(第一東京弁護士会)。1994年 イリノイ大学ロースクール
法学修士(LL.M.)取得。2005年-2009年 中央大学法科大学院・客員講師。現在、ユアサハラ法律特許事務所・パートナー(弁護士・弁理士)。その他、一般社団法人日本国際知的財産保護協会(AIPPI Japan)・業務執行理事、日本商標協会・理事、弁護士知財ネットワーク・理事(国際チーム担当)、日本弁護士連合会・法科大学院センター副委員長などを務める。